「日本」という國(guó)名の読み方について

字號(hào):


     
     
    日本。この國(guó)名の読み方について考えてみたい。いま「ニッポン」か「ニホン」かという議論がある。しかしこのいずれにしても音読み、すなわち中國(guó)語(yǔ)系の読みであることはあまり意識(shí)されていないようだ。日の丸や君が代と並べて「獨(dú)立國(guó)」の象徴として稱(chēng)揚(yáng)されるべき國(guó)の名が音読みでしかないことには、少々気が抜ける思いがする。ちなみに訓(xùn)読みにするなら「ひのもと」であり、熟語(yǔ)で訓(xùn)読みするのなら「やまと」であろう。
    「日本」が國(guó)名として対外的に登場(chǎng)するのは八世紀(jì)初頭のことで、百済救援のため白村江で唐・新羅連合軍と戦った(663年)後の669年以來(lái)、約30年ぶりとなる702年の遣唐使のことを記録した『舊唐書(shū)』に初見(jiàn)される。これに少録という役職で萬(wàn)葉歌人・山上憶良も隨行している。帰國(guó)後詠んだ歌が、
    いざ子ども 早く日本へ 大伴の御津の浜松 待ち戀ひぬらむ
    で、初めて「日本」の文字を織り込んだ憶良の気持ちを、吉田孝氏は『日本の誕生』(巖波新書(shū))で、従來(lái)「やまと」の訓(xùn)を當(dāng)ててきた「倭」や「大和」に替え、唐に伝えた新國(guó)名「日本」を意識(shí)して用いたと読む。
    このときの遣唐使が、國(guó)の名を「倭」から「日本」へと自ら替えたことを唐に通知したのだ。それまでは「倭」と書(shū)き、「ヲ」や「ヰ」や「ワ」と音読みされてきた?!弗颉工显饺摔巍冈健梗ā冈街恰工颉弗颔痢工日iむ)に通ずる音である?!纲痢工稀弗铩工趣いσ簸椁坤恧Αⅰ负汀工趣胜?、また美稱(chēng)として「大」の文字が載せられ、「大倭」や「大和」となる。その訓(xùn)は言うまでもなく「やまと」「おおやまと」である?!干介T(mén)」や「山都」などと音訓(xùn)を混ぜ込んだこじつけをせずとも、「邪馬臺(tái)」(ヤマト)と発音された中心地があり、それが國(guó)名に拡張使用されたということでよいであろう。
    本稿で問(wèn)題としたいことは、実は「倭」から「日本」への変化ではない。次の疑問(wèn)を解きたいのだ。すなわち、「日本」は「にほん」とは読めない、ということである。例えば「日本紀(jì)」(『日本書(shū)紀(jì)』のこと)は何と読まれたのだろうか。おそらく「ニチホンギ」であり、訓(xùn)で「やまとふみ」である。702年の遣唐使を日本側(cè)で記述した『続日本紀(jì)』に「日本國(guó)使」の文字があり、近年の研究(青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸校注『続日本紀(jì)』・「新日本古典文學(xué)大系」巖波書(shū)店)によれば、當(dāng)時(shí)の音を推定し「日本」を「ニチホン」と読み下している。
    また、本朝最古の仏教説話集『日本霊異記』の読み下し文(出雲(yún)路修校注『日本霊異記』・「新日本古典文學(xué)大系」巖波書(shū)店)でも、発音史を踏まえた上で「日本」は「ニチホン」と読まれている。音読みの結(jié)晶「仏典」に連なる『日本霊異記』の音読みは信用してもよいのではないだろうか。
    仏教伝來(lái)は538年ということになっている。これは仏教そのものではなく、仏典の正式な伝來(lái)の意だと見(jiàn)てよい。直接には百済からだが、その元は中國(guó)南朝である。この時(shí)代の中國(guó)語(yǔ)音を「呉音」と言う。日本語(yǔ)の仏教語(yǔ)は古い中國(guó)語(yǔ)音なのである?!溉铡工趣いh字には、「ニチ」と「ジツ」という音がある?!弗衰痢工瑓乙簸?、「ジツ」は「漢音」(名に惑わされてはならない。「漢音」とは唐時(shí)代の音)である。
    日本が「日本」と自稱(chēng)した頃、唐人は何と発音したか?!溉毡尽工趣いh字だけを差し出されれば、「ニッフォン」か「ジッポン」である。一方で、現(xiàn)代においてよく主張される當(dāng)國(guó)読みを尊重するなら、日本人は呉音の「ニチホン」を通したはずだ。ところが、「チ」が促音化し「ッ」となり、それが破裂音を誘い、「ニッポン」となったのだろう。「ニチホン」がいきなり「ニホン」とはならない?!弗衰邾蟆工稀弗拴`フォン」とも聞こえる中國(guó)語(yǔ)音から生じたのであろう。
    戦國(guó)時(shí)代を経た17世紀(jì)初めの『日葡辭書(shū)』(日本語(yǔ)-ポルトガル語(yǔ)辭典)には、「日本」を「ニッポン」「ニフォン」、あるいは「ジッポン」と読むと記録されている。ちなみに「日本紀(jì)」も「ニッポンギ」「ニフォンギ」と読まれている。
    ある意味で「日本」を作ったのは、本居宣長(zhǎng)なのである。やまとことばは濁らない清音であるとし、「日本」を「にほむ」と読むと決めつけた。宣長(zhǎng)も自覚していたであろうが、先にも述べたように「ニホン」自體が音読みである。音読みがあくまで便宜的であるかのように觸れ回ることは、実はかえって「二重複線語(yǔ)」であるわが日本語(yǔ)を窒息させ、日本人を死に追い込むことになるのである。このことについては後ちの論で述べたい。
    ともあれ、かくして「日本」の音は「ニチホン」→「ニッポン」→「ニホン」と変化し、いまも二つの音読みが用いられている。ただし、最後の「ニホン」には「にほむ」と読み替えられるとき、何やら倒錯(cuò)した「訓(xùn)読み」めいた臭いが忍び込んでしまう。
    「日本」のいま一つの新しい「音読み」の話をして本稿を終える。すなわち、「日本」はなぜ「ジャパン」(Japan)なのかである。朝鮮語(yǔ)で「日本」を「イルボン」(il-bon)と読む。この「イル」は朝鮮語(yǔ)の數(shù)「一」の「音読み」(前稿『數(shù)詞からニッポン人を考える』參照)と同じ音(il)で、「日」(ニチ)の音が「一」(イチ)と聞こえたのではないかとまず考えられる。
    しかしそれより、「二」の「音読み」が、朝鮮語(yǔ)で「イ」(i)であり日本語(yǔ)では「ニ」(ni)であることに注目したい。すなわち、日本語(yǔ)の「ニ」は朝鮮人の耳には「n」が落ち、「イ」と聞こえるということだ。もしそうなら、「ni-n=i」という式が成り立ち、「nichifon-n=ichifon」「nippon-n=ippon」となり「ilbon」に大変近い音となる?!竔」は「y」そして「j」の音に通じる。
    現(xiàn)代中國(guó)語(yǔ)では「日本」を「ジーペン」(riben)と読む。この「r」音はそれまでの「n」音が唐代の漢音によって非鼻音化したものである。すなわち、「ni」が「ri」に変わったのだ。この「r」は巻き舌の音で、外國(guó)人には「ジ」とも聞こえるものである。日本人は「r」音を受容できず、これが「日」の漢音である「ジツ」なのだが、ヨーロッパ人にも「ジーフォン」や「ジッポン」と聞こえて、やがてユーラシア大陸「極西」の英語(yǔ)では「ジャパン」になったと筆者は思うのであるが、果たしてどうであろうか。
     
    日語(yǔ)知識(shí)點(diǎn):中國(guó)字在日語(yǔ)中叫漢字,實(shí)際上是表意符號(hào),每一個(gè)符號(hào)都代表一件事或一個(gè)觀點(diǎn)。常見(jiàn)的是一個(gè)漢字有一個(gè)以上的音。在日本,漢字是用來(lái)書(shū)寫(xiě)起源于中國(guó)的詞和土生土長(zhǎng)的日本詞。
    日本留學(xué)網(wǎng)https://riben.liuxue86.com友情提醒,點(diǎn)擊日本留學(xué)網(wǎng)考試頻道可以訪問(wèn)《「日本」という國(guó)名の読み方について》的相關(guān)學(xué)習(xí)內(nèi)容。