北朝鮮から脫出した住民が「脫北者」と呼ばれるようになって久しい。経済危機(jī)の深刻化とともに目立ち始めた脫北者のうち、韓國までたどりついた総數(shù)が1萬人を超えた
把逃離北朝鮮的人稱為“脫北者”,為時已久。隨著経済危機(jī)的劇化,“脫北者”問題開始突出,其中,輾轉(zhuǎn)抵達(dá)韓國的人數(shù)已超過1萬人。
脫北者の「元祖」的存在とされるのが金萬鉄さんだ。1987年1月、さびだらけの小型船「ズ?ダン號」に一家11人で乗り込み、「南の暖かい國で自由に生きたい」と北朝鮮の港を出たが、エンジン故障で福井県に漂著し、翌月、臺灣経由で韓國に亡命した
金萬鉄被認(rèn)為是“脫北者”的“元老”級人物。1987年1月,為了在南方溫暖的國度過上自由的生活,他一家11口人乘坐銹跡斑斑的小型船只“ZU-DAN9082號”,離開北朝鮮的港口,但由于引擎故障,漂流到日本福井県,并于第二個月,經(jīng)由臺灣,流亡韓國。
あれから20年。韓國の朝鮮日報が金さんの近況を伝えた。娘たちは結(jié)婚し、末っ子は米國の大學(xué)に留學(xué)した。だが、詐欺にあって築いた財産をすべて失った
事件之后,20年過去了。韓國的《朝鮮日報》報道了金萬鉄的近況。他的女兒們已經(jīng)結(jié)婚,小兒子曾留學(xué)于美國的大學(xué)。但他卻因遭遇欺詐,致使攢積的財產(chǎn)喪失殆盡。
人里離れた野山に據(jù)えたコンテナを仮住まいに袋作りの內(nèi)職で日々の糧を得る貧乏暮らしとか??鄤氦蛑丐亭繕斪婴坤㈨n國へ來たことに「後悔はない」という一言に素樸な人柄を感じた
泊居在荒郊野外的集裝箱里,以制作袋子為副業(yè),過著且以糊口的貧困日子……雖然他歷經(jīng)了重重困難,但是,對于流亡韓國的遭遇,他說的那句“不后悔”,體現(xiàn)出他質(zhì)樸的品性。
ズ?ダン號事件の処理にあたった日本政府は、金さん一家の自由意思の確認(rèn)や受け入れ國の打診など、人道主義と國際法に基づく手続きを踏んだ。自由を認(rèn)めない北朝鮮は、日本の行為を「國際テロ」「非人道的犯罪」と非難した
負(fù)責(zé)處理“ZU-DAN9082號”事件的日本政府,在對金萬鉄一家的自由意向確認(rèn)和接受國探詢等問題上,是遵循人道主義和國際法而進(jìn)行手續(xù)辦理的。沒有自由可言的北朝鮮譴責(zé)日本的行為是“國際恐怖”和“不人道的犯罪”。
だが日本人拉致や大韓航空機(jī)爆破テロなど、その後に立証された北朝鮮の行為こそ非難に値するものだろう。全體主義*體制という沼からは、絶えず問題が噴き出してくる。
然而,日本人綁架案和大韓航空客機(jī)爆炸恐怖事件等這些日后被證實是北朝鮮所干的勾當(dāng)才值得譴責(zé)吧。從全體主義*體制這一泥潭中,將會不斷爆發(fā)出問題來。

