2016年日語等級文學(xué)作品閱讀賞析:《両輪創(chuàng)造と評論活動の問題》

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  •     十一月一日から三日の間、新日本文學(xué)會の第三回大會がもたれた。こんどの大會は、各専門部會の報告、中央委員會報告、各地方支部、文學(xué)サークル?yún)f(xié)議會の報告で、充実したプログラムであった。第一回、第二回と大會をもってきて、去年から今年までの一ヵ年が、日本の民主主義文學(xué)の発展の過程として非常に複雑な、具體的な內(nèi)容をもって経験されたことが示された。しかし、三日間の大會で討議の時間は終日にわずか二時間たらずになってしまったことは、問題の発展的な討議を不十分にした。
        こんどの大會の第一日に、小説部會の報告があった。よく整理され、十分間で、一年間の小説部會としての報告が行われた。そして、この報告は、報告そのものが一つの問題としてあらわれた。過去一年間の新日本文學(xué)會員の創(chuàng)作活動が、作者と作品の題名、発表誌の名だけをならべて報告されたぎりで、各作品が民主主義文學(xué)のきょうの段階にとって、どういう意義をもつものかという評価は一つも行われなかった。そのかわり、小説部會は、第三回大會に向って民主主義文學(xué)の基礎(chǔ)である三つの問題をだした。一、「創(chuàng)作をはばむものはなにか」、二、「評価の基準(zhǔn)」、三、「民主主義文學(xué)の主體はなにか」これら三つの基本的問題が、こういう問いの形でだされなければならなかった以上、小説部會の報告が創(chuàng)造活動についてただ記録し羅列する形しかとれず、発展的、鼓舞的なヒントを與えられなかったわけである。小説部會の報告では、過去一年間理論と創(chuàng)作活動とがてんでんばらばらに行われ、各作家もそれぞれの特質(zhì)を発揮して活動したにもかかわらず、民主主義文學(xué)運(yùn)動として統(tǒng)一綜合された力として感じられなかったという點もふれられた。
        ところで、三日の間、理論部會や中央委員會の報告をきいたわたしの心に、やはりこの小説部會報告のなかにあったような、一つのみたされないこころもちがのこった。それぞれの報告は、それとして熱心であり、勉強(qiáng)されており、発展的なモメントをふくんでいながら、會衆(zhòng)の精神をめざまし、情感をかきたて、民主主義文學(xué)のために努力しているものとしての歓喜や勇気を感じさせる統(tǒng)一的な熱量を欠いていたことである。一つ一つの報告が盆にのせられた果物のようにあらわれた。生きて、交流して、たがいに響き合うなにかが欠けていた。これは議事の進(jìn)めかたとも関係があっただろう。しかしながら、やっぱり感銘としてはそのものたりなさが深くのこった。徳永直が折にふれてよくいう文學(xué)的なぬくもりの不足という言葉も思い浮んだ。
        文學(xué)のあたたかさ、熱気、創(chuàng)造にはげましふるいたたせる熱量は、けっして世俗の人情の上にだけ立つものではない。千八百円ベースの日々の辛酸が図表や統(tǒng)計にあらわされて、バケツは二百年に一箇、靴七年に一足と示されたとき、家々のチャブ臺のまわりの歎息は公の場所にその整理された形での実感を見いだし、実感が必然の行動にうつるスプリング・ボードの一つともなってくる。創(chuàng)作への情熱は、作家の実感のなかで、テーマへのうちこみと表現(xiàn)の欲望のうずきとして感じられるものではあるけれども、そのうちこみをもたせる自分のテーマへの信頼は、どこから生れるだろう。あるテーマは本質(zhì)的にある表現(xiàn)をもたせるが、それがそれでよい、という文學(xué)上の信念は、どこから湧いてくるだろう。今日の社會と文學(xué)の現(xiàn)実はいくらかでも、社會的自覚をもって、前進(jìn)的に生きようと欲し、前進(jìn)的な文學(xué)を生みたい望をもっているものにとって、個人的な、才能主義で解決するようなものではない。文學(xué)的情熱の拋物線が大きくゆたかであるためには、ごくしっかりした、ふみごたえのあるスプリング・ボードがいる。
        日本にプロレタリア文學(xué)運(yùn)動がおこって、文學(xué)の価値評価の客観的な基準(zhǔn)の問題がとりあげられるまで、日本の文蕓批評は、ほとんどすべて批評するものの主観による印象批評であった。一人の若い婦人作家が、少しずつ作品をかきはじめたようなとき「臍へそのあかでもほじっているがいい」というふうにいわれた場合、批評と創(chuàng)作活動とのおかれる関係は、だいたい想像される。その時分、すべての作家は里見□がそのころいっていたように批評を無視する態(tài)度をとった。本心において批評を気にしないわけではないが、それを気にしていたら、一つの小説もかけないような工合だった。一人一人の批評する人が、てんでのうけとりかたばかりに立って、內(nèi)在的な心理や感受性にしたがって感想をのべ、注文するのであったから。
        プロレタリア文學(xué)運(yùn)動の初期に、平林初之輔によって外在批評の提唱がされ、だんだん客観的・科學(xué)的な評価の基準(zhǔn)が究明されていった。一九三三年プロレタリア文學(xué)運(yùn)動がまったく抑圧されてしまうころ、まだ日本の進(jìn)歩的な文學(xué)における評価の基準(zhǔn)は、しんから確立しきっていなかった。それは、當(dāng)時の日本に獨(dú)特な転向という現(xiàn)象が各方面におこっていたことを思えば十分わかる。進(jìn)歩的な文學(xué)の評価の基準(zhǔn)の一つとなる社會発展の歴史的な現(xiàn)実認(rèn)識、文學(xué)における階級性の自覚の問題は一九三三年、屈伏に便利な多くの歪曲をもって行われた過去のプロレタリア文學(xué)運(yùn)動批判ということのなかで、きわめてあやふやな、動揺的なものとされた。そして、今日わたしたちにもたらされている不幸は、それからのち文蕓評論の仕事を志し、プロレタリア文學(xué)理論を?qū)Wんだ少からぬ人々が、その骨子を歪められた批判的プロレタリア文學(xué)運(yùn)動史を土臺にし、暴力に対して膝頭をかがめた階級文學(xué)の諸理論のなかをひきまわされながら、現(xiàn)在の活動力を蓄積しなければならなかったという事実である。
        プロレタリア文學(xué)運(yùn)動がはじまってから、作家と理論家との活動は、當(dāng)然新しい統(tǒng)一と協(xié)力の方向をとった。そのころの日本における階級的自覚の段階から必然されて、プロレタリア文學(xué)運(yùn)動では、理論活動が創(chuàng)作活動よりも先進(jìn)した。自然発生にあらわれはじめた無産者文學(xué)一般の中に、プロレタリア文學(xué)とルンペン・プロレタリアート文學(xué)とのけじめをつけ、プロレタリア文學(xué)と農(nóng)民文學(xué)、同伴者文學(xué)との現(xiàn)実的な関係をあきらかにしたのも、プロレタリア文學(xué)理論であった。文學(xué)內(nèi)部の課題として、世界観の問題、內(nèi)容と形式の問題、リアリズムの発展についての研究、主題の積極性の問題など、すべての理論活動は、作家の創(chuàng)作活動の具體的な動きに沿いながらも一歩半歩ずつ先に立って、未知の社會的・文學(xué)的崖に、切りどおしをつける役割をもった。その間に、理論家と作家との感じる困難がなかったわけではない。多くの摩擦があった。作家はいつの時代にでも、一つの段階からより成長した段階への移行に時間がかかる。作家にとってその成長のひとまたぎは、どんなにささやかなものであるにしても、つねに血肉をもって生きられたひとまたぎでなければならなかった。しかし、理論家にとっては一篇の作品を細(xì)心に吟味することで、プロレタリア文學(xué)として次の発展段階へ、しかじかにありたい、という要望をひき出すことが可能である。作家が、その要望を自身のものとして実感したとしても、作品の現(xiàn)実でそれを具體化することは、必ずしも、作家にとって一二ヵ月の間にゆるされる可能でない場合が多い。とくに、プロレタリア文學(xué)において、この點は深い意味をもっていた。プロレタリア文學(xué)における作家の成長は、ブルジョア文學(xué)の分野にあるように、ただ書きかたのこつの問題ではないし、獨(dú)特性の異色の獲得でもないし、ましてただ珍奇な題材の発見の問題ではない。プロレタリア作家は、日本の社會の歴史とともに階級的に成長しなければならなかったのだから。極端な暴圧とたたかい自身の恐怖を克服しながら――。
        プロレタリア文學(xué)運(yùn)動で、はじめて日本の作家の一部がこれまでの小説をかくこつや文學(xué)のかん以外の客観的なところに自身の創(chuàng)作理論をもつことができるようになった。作家が評論風(fēng)な執(zhí)筆をする能力をもってきた。これは、感性的・主観的にだけ流れてきていた日本の現(xiàn)代文學(xué)史の中で注目される一齣こまである。そしても興味あることは、この現(xiàn)象が一人の作家の上に、大きい矛盾としてさえあらわれたことである。たとえば、わたしのように、文學(xué)における階級性の問題などまったく知らずに書きはじめた作家が、プロレタリア文學(xué)運(yùn)動に參加したとき、理論的な大すじについての理解と創(chuàng)作活動の実踐にくいちがいをおかした。理論めいたことについて、理解が素樸であるだけにむしろ極端に強(qiáng)硬だが、創(chuàng)作は正直に自身の新しい生活経験の蓄積の貧寒さをあらわして、ろくな小説一つもかけないという、當(dāng)人にとって苦しく、文學(xué)史的には興味つきない時期をももたらしたりした。
        今日、民主主義文學(xué)の運(yùn)動のなかで、理論的活動と創(chuàng)作活動との統(tǒng)一、有機(jī)的な協(xié)力は、いっそう重要になってきている。なぜなら、世界の資本主義がファシズムにまで進(jìn)んだ一九四〇年以來、被害をうける人民層は労働者階級ばかりでなくなった。フランスが反ファシズム運(yùn)動としての人民戦線、文化擁護(hù)運(yùn)動を世界に提唱したときから、すべての人民層は、インテリゲンツィア、中小工業(yè)者までをふくめて、自身の生存権のためにたたかわなければならなくなった。プロレタリア文學(xué)運(yùn)動が、民主主義文學(xué)の運(yùn)動として展開される必然は、こういう世界史的な人民的基盤をもっている。そこでは、あらゆる社會階層の、あらゆる生活內(nèi)容の、あらゆる矛盾をもった精神が、ただひとすじ、人民的生存の要求にせき上げられて、抑えがたい聲をあげてゆくわけである。作品は、それが作家の全実感に支えられ肉體的なものであるという意味で、理論的労作にくらべれば、どういう場合でも、自然発生的な要素をもっている。種々さまざまのニュアンスと角度をもって生れる民主的傾向の諸作品を、民主的な人民の歴史の推進(jìn)勢力である労働者階級の現(xiàn)実と課題にてらしあわせて、それぞれがどういう関係におかれるものであるかを明瞭にし、同時にそのことでそれらの作品をかいた作者たちに、客観的にあらわれた自身の階級性と発展の歴史とのつながりにおけるその在り場所、將來の展望を與えることこそ、民主的理論活動の任務(wù)である。
        われわれの理論活動は、このたのもしい義務(wù)を活溌に果してゆくためには、まだ十分成熟していず、骨格がしっかりしていない。このことが新日本文學(xué)會の第三回大會の小説部會の報告に赤*々に表白された。そして、この報告につづくいくつもの理論部會の報告は、おのずから、小説部會からの訴えが根拠のないものでないことを感じさせたのであった。
        今日民主的立場に立つ若い評論家は、新しい作家が成長してくるよりも早い速度と人數(shù)とで活動に參加しはじめている。それは、第三回大會で、理論部の報告をした人々のほとんどすべてが、去年の大會にはそういう部署についていなかった新人であったことをみてもわかる。
        新しく活動にしたがうようになった評論家は、それぞれにちがいながらある共通な困難をもっている。それは、これらの人々も日本のインテリゲンツィアとして、全人民の一部として、久しい戦爭の年々の間、理性的文盲政策のもとに苦しみ、すき間から洩れる光を追うように、自分たちの生存と文學(xué)の理性を辛くももちこたえてきたと同時に、マイナスの面もさけきれなかったという事実である。
        戦爭の年々の絶大なマイナスのために日本の民主化は今日混亂し、獨(dú)善にはびこられてもいる。作家も評論家も、この混迷からまったく自由にはなっていない。日本の民主主義革命の現(xiàn)在の本質(zhì)をはっきりつかまないところからおこるブルジョア民主的な自我確立論、または、実際の批評にあらわれたような部分的形象論のなかに作品全體の評価を埋沒させてしまうような現(xiàn)象がある。同時に一方には、一つの作品が描き出しているものの社會的客観性を見ないで、作者がとらえている題材の點からだけ、私小説であるとか、そうでないとか論議する機(jī)械的な傾向もある。
        とくに今日の日本の現(xiàn)象として注目されることは、多くの若い評論家群が、自身の理論活動によって、これまで抑えに抑えられていた自分というものを存分に働かしてみたい本能的な欲望にうごかされているように思えることではなかろうか。日本じゅうの人民が、八月十五日ののちに、官能として感じたといえるこの欲求を、同じ窒息狀態(tài)に過した評論家たちがどうして感じなかったことがあろう。これはあるいは意識に潛在する欲求であるかもしれないが、潛在するその力は現(xiàn)実にきょうの理論活動に作用している。過去のプロレタリア文學(xué)理論の発展的展開をめざしての努力であるだろうけれども、その発展のモメントは、一人一人の理論家が、自分として著眼した點を主張するところにおかれている傾きがつよい。理論活動も人生的な実感に立たなければならない。それぞれの理論がそれぞれの階級的蓄積と天稟とにしたがって、民主主義文學(xué)運(yùn)動に貢獻(xiàn)してゆくいとぐちは多種多彩であってこそ自然である。けれども、どういう門から入ろうと、それが葛かずらのからんだ小門からであろうと、粗石がただ一つころがされた目じるしの門からであろうと、あらゆる道が、一つの民主主義文學(xué)の広場に合し流れ集まらなければならないことは明らかだろう。理論家は自分としての著眼のモメントに立って、その著眼の筋を辿りつつ大股に、民主主義文學(xué)の核心に歩みすすんで、その理論と自分とを、階級的に強(qiáng)壯に発育させなければならない。おのれの第一歩的な著眼に固執(zhí)して、千たび萬たび、その角度からだけものをいい、またはその著眼のために理論の全體的な把握を失うような習(xí)癖に陥り、それがやがてジャーナリズムにおけるその人の商標(biāo)となったりしては、理論家としての成長はまったくすたれてしまう。そして、これまで書いている作家が、そのことでかしこくされないとともに、これから書こうとしているかくれた新鮮なエネルギーの上にかかるかさぶたになってしまうだろう。
        小説部會が「創(chuàng)作をはばむものはなにか」という形で出した問題は、こういう機(jī)會に詳細(xì)につきつめられていいことではなかろうか。現(xiàn)在の歴史のなかで考えられる民主主義文學(xué)の主體が、十九世紀(jì)のインディヴィジュアリズムのように単なる個々人の自我ではなく労働者階級であることは、大會でもさまざまの人から明瞭にされた。労働者階級とその同盟者としての農(nóng)民、それに協(xié)同して革命を遂行してゆく小市民およびインテリゲンツィア。民主主義文學(xué)の主體をそのように理解すれば、文學(xué)評価の基準(zhǔn)が、歴史の推進(jìn)発展の方向に沿って、どういうものでなければならないかということもわかりやすいことであろう。作品に対する評価が非常にまちまちで、小説部會の報告として、作品評価がされなかったということは、根本には日本における民主主義革命の現(xiàn)実と、その文學(xué)についての現(xiàn)実の理解が、民主的といわれる作家の間にも混亂していることを語ったと思う。
        「創(chuàng)作をはばむものはなにか」という問題に対して、わたしたちは新しい真実の解答を見いだし、民主主義文學(xué)理論が創(chuàng)作の溢れだす力を阻むというような誤った先入観をうち破らなければいけない。作品を書こうとするものを、また舊い小説のかんやこつに追いこんではならない。そういうまちがいを結(jié)果しないために理論家のしなければならないことは、理論家たちがきょうまだ多分に身につけている「私論的要素」をはやく乗りこえることである。一つ一つの作品を分析し、綜合し、生きた作品として評価しつつ、その作品が日本の人民的民主主義のために歩んでいる道を明確に示しつつ、民主主義文學(xué)全運(yùn)動の広場に向って適切に、やさしくきびしく導(dǎo)く能力をもたなければならないと思う。
        「創(chuàng)作をはばむものはなにか」という意味深長な伝統(tǒng)を背後にもっている提疑は、この點からこそ作家と理論家と、雙方からの努力で氷解されなければならない。作家が創(chuàng)作の力をたかめ、強(qiáng)固にし、あるいは創(chuàng)作する可能性そのものをさえよろこびをもって自身の日々の間に発見してゆくのは、民主主義文學(xué)の鮮明な理論が確立され、個々の進(jìn)歩的意図をもって書かれる作品が、それぞれの角度と本質(zhì)とで大なり小なり、前進(jìn)する歴史の生きたいのちに參與しえたことが客観的に評価され、なっとくされたときである。少くとも民主的な立場に立ってかかれた作品に対して、まったく対立する評価があらわれ、それが、民主主義文學(xué)の収穫という大きい眼目に立って一致點を見いだせないというようなことがあるとすれば、それは民主主義文學(xué)者の敗北である。
        小市民、インテリゲンツィアの生活からの取材によって描かれている作品でも、その作品が全體としては労働者階級の立場に立って社會的現(xiàn)実のリアリティーを描きだしており、日本の社會発展の下で、その主題が発展のモメントに立って扱われている場合それはけっして小市民文學(xué)、インテリゲンツィア文學(xué)ということはできない。よしんば、職場の読者が、その作品を批評して、目の前に労働者の生活をかいてないというにしても、民主的文學(xué)者は、そういう作品でさえも、今日の日本の労働階級の解放と日本の民主主義の達(dá)成にとって、どういうつながりをもっているものであるかということを理解させてゆくことが大切である。「それはわたしたちの世界でない」という言葉には、労働者階級としての危険がふくまれている場合さえある。支配者、そして搾取者、さまざまの形でうごめく反動者たちにとって、人民階層の間にそういう疎隔のあることは、どんなによろこばしいことだろう。労働者階級が、かりに自身の仲間、協(xié)働者である農(nóng)民、小市民、インテリゲンツィアなどの革命的価値を清算主義的に見るならば、抑圧の側(cè)にとってこんな好都合なことはなくなる。労働階級は孤立し、孤立は無力を意味し、解放は実現(xiàn)されることがおくれるばかりであるのだから。
        文化・文學(xué)の面でもこの歴史の発展のこの原則は共通である。永年支配階級の文化政策にしたがえられてきた労働者、一般勤労階級がどんなに舊い低俗ないわゆる文化性に毒されているかということは、こんどの大會で文學(xué)サークル?yún)f(xié)議會から、詩、小説、文學(xué)サークル雑誌の質(zhì)についての報告、批判があったことを見てもよく諒解された。そして、この報告につれて心をうたれたことが一つあった。それは、小説部會が、民主主義文學(xué)としての基準(zhǔn)からの作品評価を含んだ報告ができなかったのに反して、文學(xué)サークル?yún)f(xié)議會の詩、小説の部門の報告には、簡単ながらちゃんとそれぞれの作品の評価がこめられていたことであった。しかも、それは慎重に発展的に行われ、報告されて、長い拍手をもってこたえられた。
        まだ今日の段階では、そしてこれから當(dāng)分の間、小市民インテリゲンツィアの民主主義文學(xué)への貢獻(xiàn)が予想されなければならない。民主主義文學(xué)者が労働階級の文化・文學(xué)を要望するあまり、現(xiàn)実の発展してゆくこまかい足もとをとばして、過去と現(xiàn)在の積極的文化・文學(xué)の業(yè)績の吸収と消化なしに新しい文學(xué)が生れうるかのような鼓舞激勵を與えることは、かえって、地道な新しい文學(xué)の創(chuàng)造力の歩みだしを戸まどいさせる。いきぐみばかりつよくて、さて、書くてがかりがつかめるのかわからなくなる。文學(xué)ジャンルとしてルポルタージュ文學(xué)の奨勵だけでも十分ではないであろう。小市民出身の民主的文學(xué)者が実際に自分で生きていっている日々の民主的活動の內(nèi)容や動きから、出身問題だけをきりはなして、自分を小市民でしかありえない、ときめている例がある。これは、労働者出身であれば、その理由だけでプロレタリア作家であったり、民主的作家でありうると考えるのと同じまちがいだといえる。生きている階級性は、生れだけの問題ではない。その作家・評論家のよりたっている社會の歴史とその中における階級問題の見かた、生きかた、実感のありどころにかかっている。きのうも、きょうも、あしたも、ある種の労働者よりもっとよく明瞭に労働階級の意義、人民的民主主義を理解してそのために獻(xiàn)身する小市民出身者、インテリゲンツィア出身者がある。この場合これらの小市民であった人々、インテリゲンツィアであった人々は、いまや労働階級の立場に立つ民主主義文學(xué)者なのである。労働階級は、自身のたゆみないたたかいを、搾取する階級に対して行っていると同時に、おなじ不屈さをもって、労働者階級のうちに巣くいむしばむ搾取階級仕入れのすべての考えかた、好み、偏見とたたかっているのである。この事実が具體的にのみこめたとき、文學(xué)の大衆(zhòng)化の問題について中央委員會から報告されたように、民主的作家は、社會のあらゆる階層を描破しなければならないという課題が、現(xiàn)実性をもってくるのである。
        〔一九四八年三月〕
        附記 『風(fēng)知草』『播州平野』『二つの庭』などについて、非常にどっさりさまざまの批評がある。作者して[#「者し」に「ママ」の注記]、それらから學(xué)ぶことも多いが、見解のちがうところもある。それらについてはいくらかまとめて書く適當(dāng)な折もあろうかと思っている。[#「附記」は底本の「解題」に掲載]