山との出會(huì)い

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まるで、パレットに絵の具を落としたように、あざやかに彩る山の紅葉を見(jiàn)たことがありますか。一面真っ白な雪景色の中で、コバルトブルーにかがやくオオルリの美しさを知っていますか。山小屋の庭先で、寶石のように光るミドリシジミを、ひとりこっそり見(jiàn)つけたら、どんなに心がときめくと思いますか。
    初めて私が富山県の立山に登ったのは、小學(xué)三年生の秋でした。山岳寫(xiě)真家の私のおじさんに連れて行ってもらったのです。
    「星に一番近い駅」と言われる立山の室堂は、標(biāo)高二四五0mというものすごい高さにあります。そんな高さの世界では、私の知らないおどろくことばかりでした。そのながめは壯大で、周りの山々を見(jiàn)下ろすと、白いきりが海のように広がっていて山の頂だけが浮かんで見(jiàn)えました。何かとても不思議な感じはしていたのですが、きりだと思って見(jiàn)ていたものは、実は雲(yún)だったと知って本當(dāng)にびっくりしました。まさか自分達(dá)の下に雲(yún)があるなんて。まして雲(yún)よりもっと高い所に自分が立っているなんて信じなれなかったのです。それから、山はすごく寒くて、水は凍るように冷たかったです。うっかり手袋を落としてしまった私は、おじさんに、
    「山での手袋は、自分の手と同じようなものなんだぞ?!?BR>    と叱られました。そして本當(dāng)に、冷たさで手がちぎれるように痛かったです。私はその時(shí)、ちょっぴり山のきびしさを知りました。
    立山の秋の紅葉は、その全てが絵ハガキのようでした。赤や黃やオレンジに色づいたナナカマドやカエデ、ダケカンバなどの葉っぱか、お花畑のように見(jiàn)えました。私は生まれて初めて、こんなきれいな紅葉を見(jiàn)たので、感動(dòng)でむねがいっぱいになりました。そしてこの美しいを?qū)懻妞摔丹幛?、もう一度みたいと思い、カメラを片手に、感じたものを取りながら歩きました。遠(yuǎn)くの紅葉もすばらしいのですが、足もとに目をやると、そこにもきれいに色づく植物が木道の脇を飾っていました。私は、雨のしずくにしっとりとぬれた、赤く美しいチングルマのしげみの中に、黃色い葉をもつトリカブトを見(jiàn)つけました。その近くには、オヤマリンドウが、青むらさきの花をつけて、ひときわ美しい咲いていました。大自然の中では、人の命をうばうほどのおそろしい植物も、こんなに美しい花とともに共存しているのだと、おじさんに教えてもらいました。それを聞いたので、カメラでトリカブトを撮る手が少しふるえてしまいました。
    「なんでこんなに低い木があるんだろう。このはっている木はなんだろう?!顾饯?、その場(chǎng)に立って、しばらく考えこんでしまいました。するとおじさんが、
    「これはね、ハイマツと言って、標(biāo)高二○○○m以上にしか生えない松なんだよ。」
    と教えてくれました。私は雪の重みにたえきれず、はってしまったのかなと思いましたが、本當(dāng)は、強(qiáng)い風(fēng)がふく高山では、上の方にのびることができず、はうことしかできなくなってしまったからだそうです。
    冬が近づくとなかなか見(jiàn)るのがむずかしい山の忍者“雷鳥(niǎo)”。きりの中、どうしても見(jiàn)たい!という思いで目をこらしていたその時(shí)、きせきが起こりました。私の目の前を一羽の雷鳥(niǎo)がバッと飛び立ったのです。もうびっくりして心ぞうが止まるぐらいドキっとしました。願(yuàn)いがかなったのです。そして雷鳥(niǎo)が飛び去ったあと、急にものすごい雨がザーっと音を立てて降ってきました。雷鳥(niǎo)が現(xiàn)われる時(shí)は、天気がくずれるというのは本當(dāng)でした。いっしゅんの出來(lái)事でしたが、その光景を思い出すたび、私の心は今でもときめくのです。
    大自然の中には、さまざまな植物や動(dòng)物に、やっと出會(huì)えた時(shí)、感動(dòng)するのです。私は時(shí)々、山に行きたくてたまらなくなります。いつも心がわくわくすることを探しています。そして、どこにそれがあるかも知っています。だから、もし友達(dá)で心が傷ついたり、毎日が苦しくてなやんでいる人がいたら、「山に行こうよ。山には自分だけにしか見(jiàn)つけられない寶物がいっぱいあるんだよ。きっと探せるよ。自分が見(jiàn)つけたもの全てが寶物だから。」と、いうつもりです。
    山と出會(huì)えて、本當(dāng)に良かったです。