填空突破
目的:突破讀解
習(xí)題:
( )の中に入(はい)るのは?
一定の年齢以上の人が口にする言葉に、「近ごろの若い者はものを知らない」というのがあります。私もそう思っています。しかしだからといって「近ごろの若い者は知るべきことを知らない」と思っているわけではありません。
なぜなら、「近ごろの若い者はものを知らない」というのは、「高齢者(こうれいしゃ)が知っていることを知らない」ということにすぎないからです。
逆に、「若者が知っていることを高齢者は知らない」という意味では、「近ごろの高齢者はものを知らない」とも言えるのです。( )若者と高齢者とでは、知っていることが違うというかでのことなのです。
(秋庭道博「やさしくやさしく考えよう生きてみよう」による)
(注)高齢者(こうれいしゃ):年をとっている人
「問い」( )の中に入る言葉として適當(dāng)なものはどれか。
1 それで 2 例えば 3 むしろ 4 要するに
解説(かいせつ)
昨年度は縦書(たてが)きの問題が出題(しゅつだい)されました。新聞や雑誌など、日本語の出版物(しゅっぱんぶつ)は縦書きのものが多いです。慣(な)れていないと読みにくいかもしれません。いくつか目(め)を通(とお)しておきましょう。
( )に接続詞(せつぞくし)を入(い)れる問題は毎年出題されています。接続詞の前の文がどのような関係かということは、長い文を読むときにはとても大切(たいせつ)なポイントです。前の文のりゆうを言っているのか、逆にのことを言っているのか、同じようなことをつけ加(くわ)えているのか。接続詞をグループに分(わ)けて整理(せいり)しておくといいでしょう。例えば:
◇ 先に理由を述(の)べ、後で結(jié)果を述べる接続詞:したがって、だから、など
◇ 前の文と反対のことを述べる接続詞:しかし、けれども、ところが、など
◇ 前の文と同じようなことを述べる接続詞:つまり、すなわち、要(よう)するに、など
上の問題では、( )の前の內(nèi)容を短く言い換えたのが後(うし)ろの文ですから、「要するに」が正解になります。
所以這個文章中,最后一句話是總結(jié)性質(zhì)的:老少所了解的事物是不一樣的。所以要用要(よう)するに
正解 4
2 特定含義
目的:突破讀解
習(xí)題:這里,本詞什么意思?
ここではどういう意味?
「あなたは、花のような人ですね?!?BR> と、あるイタリアの男性に言われたことがあります。
「さすがイタリア人、口がうまい」なんて、そんなに感心しないで下さい。私は譽(ほ)められたわけでも、口説(くど)かれたわけでもないのです。
そのイタリア人というのは、私が通っている(通っていた?)英會話學(xué)校のマネージャーでして、毎年、春になると「今年こそ頑張(がんば)ります!」なんて意気込んでやっては來るけど、夏の陽(ひ)が照(て)り始める頃にはパッタリ姿(すがた)を現(xiàn)さなくなってしまう、そんな気まぐれ生徒の私を、花になぞらえてからかったのでした。
(檀 ふみ「ほろよいかげん」三笠書房による)
(注1) 口説(くど)く:戀人になってほしいと言う
(注2) 意気込む:張り切る
(注3) 気まぐれ:気持ちが変わりやすい
(注4) なぞらえる:たとえる
「問い」「花のような人」とは、ここではどういう意味か。
1 とても美しい人
2 明るく素直な人
3 華やかな服を著た人
4 春だけ現(xiàn)れる人
解説(かいせつ)
「花(はな)のような人(ひと)」というのは、一般(いっぱん)には「美(うつく)しい人」「華やかな雰囲気(ふんいき)を持(も)った人」という意味(いみ)に使(つか)われます。しかし、「ここではどういう意味か」という問(と)いの場合(ばあい)、この文章(ぶんしょう)の中(なか)だけで使われる使い方(かた)を説明(せつめい)している個所(かしょ)があります。その部分(ぶぶん)を探(さが)すことが必要(ひつよう)です。一般(いっぱん)な意味とは異(こと)なる特殊(とくしゅ)な使い方の場合もありますから、よく読(よ)んで答(こた)えましょう。上の例(れい)だと、6~7行目(ぎょうめ)が「花のような人」のここで使い方を説明している部分になります。そこを整理(せいり)して考えてみましょう。
"像花一樣的人"一般來說,便是"美人"、"氣質(zhì)高貴的人"的含義,然,在問"此處的涵義"的場合時,是要問在文章這個特定環(huán)境下的特定涵義。需要探尋文中要問的部分。因為涵義多是和普通涵義不同,所以要好好讀后,再回答。以上題為例,6~7行的便是對"花一樣的人"的解釋說明。讓我們看如下整理:
筆者(ひっしゃ):春になる→勉強(べんきょう)に來(く)る(現(xiàn)(あらわ)れる)、
夏が近づく→勉強に來(こ)なくなくなる(消(き)える)
[b]筆者:春天來了→開始學(xué)習(xí) 夏天近了:不再學(xué)習(xí)(消失
花:春になる→咲(さ)く(現(xiàn)れる)、
夏が近づく→散(ち)る/枯(か)れる(消える)
花:春天來了:開放 夏天近了:枯萎(消失)というように、花の周期(しゅうき)と勉強に來る周期が一致(いっち)していることを、「花のような人」と言っているのだとわかります。
這就是說,"像花一樣的人"便是"學(xué)習(xí)勁兒和花的周期一樣的人"這樣的理解了。
答案4
3 作者意圖
本期主要來分析作者的意圖。筆者(ひっしゃ)の考えは?
作者的意圖,就是要看作者對一個事情的態(tài)度,是肯定,還是否定。還有具體的情況。
閱讀練習(xí):
電話がかかってくる。こちらが出ると、たいてい。
「電話でまことに失禮ですが。。。。。。」
と相手は言う。
そういうのが禮儀(れいぎ)らしい、電話でものを頼むのは、そんなに失禮なことであろうか。そうれでは、なんのために電話があるのかわからない。
私は、自分の結(jié)婚式の仲人(なこうど)をお願いするのも、電話で頼んだ。大學(xué)者のK先生である。すると、すれを聞いた某氏(ぼうし)が立腹(りっぷく)しあらしい。K先生に対して失禮ではないかというのである。
私に言わせれば、學(xué)者というような方の時間を少し無駄(むだ)にしたくなかった。尋(たず)ねてゆけば、當(dāng)然お茶くらいだされるであろう。
(北 杜夫「マンボウおもちゃ箱」新潮社による)
注1仲人:結(jié)婚する男女の世話をする人
注2大學(xué)者:非常に優(yōu)れた學(xué)者
某氏(ぼうし):ある人
立腹(りっぷく)する:怒る
「問い」筆者は、電話でものを恃むことについてどのように考えているか。
1. たいした內(nèi)容の依頼でなければ、失禮ではない。
2. 目上の人に恃む場合には、失禮である。
3. 互いに負擔(dān)が少ないのだから、失禮ではない
4. やむをえない場合もあるが、失禮である。
筆者(ひっしゃ)の考えは?
解説
上の例では、「そんなに失禮なことであろうか」「それではなんのために電話があるのかわからない」というぶんから、筆者が電話の利用(りよう)に肯定的(こうれいてき)であることがわかります。また、重大(じゅうだい)な用件(ようけん)(=結(jié)婚式の仲人)で、目上の人(=大學(xué)者)に依頼いた場合を例に挙(あ)げ、電話の利點(りてん)を述(の)べているのですから、相手や依頼內(nèi)容に関係なく、電話でいいと考えていることが読み取れます。このように、文章(ぶんしょう)の中にはっきりと書かれていない場合、文章全體(ぜんたい)の流(なが)れや文末(ぶんまつ)、副詞(ふくし)などから筆者の意図(いと)を読み取る必要があります。いくつか例を挙げてみましょう。
電話がいいと思っている場合:電話での依頼はそんなに失禮だろうか。/電話では失禮だなどと言う人が、いまどきいるのだろうか。/電話の利點を生(い)かさない手はない。
電話がよくないと思っている場合:電話なんかでものを頼んでくる人がいる。/人にものを頼むのに電話で済まそうなんて。/頼みごとを電話でするとは。
電話はよくないが、仕方がないと思っている場合:電話でお願いせざるをえないこともある。/時間の関係で、やむをえず電話でお願いした。/電話で済(す)ませてしまった。
正解:3
目的:突破讀解
習(xí)題:
( )の中に入(はい)るのは?
一定の年齢以上の人が口にする言葉に、「近ごろの若い者はものを知らない」というのがあります。私もそう思っています。しかしだからといって「近ごろの若い者は知るべきことを知らない」と思っているわけではありません。
なぜなら、「近ごろの若い者はものを知らない」というのは、「高齢者(こうれいしゃ)が知っていることを知らない」ということにすぎないからです。
逆に、「若者が知っていることを高齢者は知らない」という意味では、「近ごろの高齢者はものを知らない」とも言えるのです。( )若者と高齢者とでは、知っていることが違うというかでのことなのです。
(秋庭道博「やさしくやさしく考えよう生きてみよう」による)
(注)高齢者(こうれいしゃ):年をとっている人
「問い」( )の中に入る言葉として適當(dāng)なものはどれか。
1 それで 2 例えば 3 むしろ 4 要するに
解説(かいせつ)
昨年度は縦書(たてが)きの問題が出題(しゅつだい)されました。新聞や雑誌など、日本語の出版物(しゅっぱんぶつ)は縦書きのものが多いです。慣(な)れていないと読みにくいかもしれません。いくつか目(め)を通(とお)しておきましょう。
( )に接続詞(せつぞくし)を入(い)れる問題は毎年出題されています。接続詞の前の文がどのような関係かということは、長い文を読むときにはとても大切(たいせつ)なポイントです。前の文のりゆうを言っているのか、逆にのことを言っているのか、同じようなことをつけ加(くわ)えているのか。接続詞をグループに分(わ)けて整理(せいり)しておくといいでしょう。例えば:
◇ 先に理由を述(の)べ、後で結(jié)果を述べる接続詞:したがって、だから、など
◇ 前の文と反対のことを述べる接続詞:しかし、けれども、ところが、など
◇ 前の文と同じようなことを述べる接続詞:つまり、すなわち、要(よう)するに、など
上の問題では、( )の前の內(nèi)容を短く言い換えたのが後(うし)ろの文ですから、「要するに」が正解になります。
所以這個文章中,最后一句話是總結(jié)性質(zhì)的:老少所了解的事物是不一樣的。所以要用要(よう)するに
正解 4
2 特定含義
目的:突破讀解
習(xí)題:這里,本詞什么意思?
ここではどういう意味?
「あなたは、花のような人ですね?!?BR> と、あるイタリアの男性に言われたことがあります。
「さすがイタリア人、口がうまい」なんて、そんなに感心しないで下さい。私は譽(ほ)められたわけでも、口説(くど)かれたわけでもないのです。
そのイタリア人というのは、私が通っている(通っていた?)英會話學(xué)校のマネージャーでして、毎年、春になると「今年こそ頑張(がんば)ります!」なんて意気込んでやっては來るけど、夏の陽(ひ)が照(て)り始める頃にはパッタリ姿(すがた)を現(xiàn)さなくなってしまう、そんな気まぐれ生徒の私を、花になぞらえてからかったのでした。
(檀 ふみ「ほろよいかげん」三笠書房による)
(注1) 口説(くど)く:戀人になってほしいと言う
(注2) 意気込む:張り切る
(注3) 気まぐれ:気持ちが変わりやすい
(注4) なぞらえる:たとえる
「問い」「花のような人」とは、ここではどういう意味か。
1 とても美しい人
2 明るく素直な人
3 華やかな服を著た人
4 春だけ現(xiàn)れる人
解説(かいせつ)
「花(はな)のような人(ひと)」というのは、一般(いっぱん)には「美(うつく)しい人」「華やかな雰囲気(ふんいき)を持(も)った人」という意味(いみ)に使(つか)われます。しかし、「ここではどういう意味か」という問(と)いの場合(ばあい)、この文章(ぶんしょう)の中(なか)だけで使われる使い方(かた)を説明(せつめい)している個所(かしょ)があります。その部分(ぶぶん)を探(さが)すことが必要(ひつよう)です。一般(いっぱん)な意味とは異(こと)なる特殊(とくしゅ)な使い方の場合もありますから、よく読(よ)んで答(こた)えましょう。上の例(れい)だと、6~7行目(ぎょうめ)が「花のような人」のここで使い方を説明している部分になります。そこを整理(せいり)して考えてみましょう。
"像花一樣的人"一般來說,便是"美人"、"氣質(zhì)高貴的人"的含義,然,在問"此處的涵義"的場合時,是要問在文章這個特定環(huán)境下的特定涵義。需要探尋文中要問的部分。因為涵義多是和普通涵義不同,所以要好好讀后,再回答。以上題為例,6~7行的便是對"花一樣的人"的解釋說明。讓我們看如下整理:
筆者(ひっしゃ):春になる→勉強(べんきょう)に來(く)る(現(xiàn)(あらわ)れる)、
夏が近づく→勉強に來(こ)なくなくなる(消(き)える)
[b]筆者:春天來了→開始學(xué)習(xí) 夏天近了:不再學(xué)習(xí)(消失
花:春になる→咲(さ)く(現(xiàn)れる)、
夏が近づく→散(ち)る/枯(か)れる(消える)
花:春天來了:開放 夏天近了:枯萎(消失)というように、花の周期(しゅうき)と勉強に來る周期が一致(いっち)していることを、「花のような人」と言っているのだとわかります。
這就是說,"像花一樣的人"便是"學(xué)習(xí)勁兒和花的周期一樣的人"這樣的理解了。
答案4
3 作者意圖
本期主要來分析作者的意圖。筆者(ひっしゃ)の考えは?
作者的意圖,就是要看作者對一個事情的態(tài)度,是肯定,還是否定。還有具體的情況。
閱讀練習(xí):
電話がかかってくる。こちらが出ると、たいてい。
「電話でまことに失禮ですが。。。。。。」
と相手は言う。
そういうのが禮儀(れいぎ)らしい、電話でものを頼むのは、そんなに失禮なことであろうか。そうれでは、なんのために電話があるのかわからない。
私は、自分の結(jié)婚式の仲人(なこうど)をお願いするのも、電話で頼んだ。大學(xué)者のK先生である。すると、すれを聞いた某氏(ぼうし)が立腹(りっぷく)しあらしい。K先生に対して失禮ではないかというのである。
私に言わせれば、學(xué)者というような方の時間を少し無駄(むだ)にしたくなかった。尋(たず)ねてゆけば、當(dāng)然お茶くらいだされるであろう。
(北 杜夫「マンボウおもちゃ箱」新潮社による)
注1仲人:結(jié)婚する男女の世話をする人
注2大學(xué)者:非常に優(yōu)れた學(xué)者
某氏(ぼうし):ある人
立腹(りっぷく)する:怒る
「問い」筆者は、電話でものを恃むことについてどのように考えているか。
1. たいした內(nèi)容の依頼でなければ、失禮ではない。
2. 目上の人に恃む場合には、失禮である。
3. 互いに負擔(dān)が少ないのだから、失禮ではない
4. やむをえない場合もあるが、失禮である。
筆者(ひっしゃ)の考えは?
解説
上の例では、「そんなに失禮なことであろうか」「それではなんのために電話があるのかわからない」というぶんから、筆者が電話の利用(りよう)に肯定的(こうれいてき)であることがわかります。また、重大(じゅうだい)な用件(ようけん)(=結(jié)婚式の仲人)で、目上の人(=大學(xué)者)に依頼いた場合を例に挙(あ)げ、電話の利點(りてん)を述(の)べているのですから、相手や依頼內(nèi)容に関係なく、電話でいいと考えていることが読み取れます。このように、文章(ぶんしょう)の中にはっきりと書かれていない場合、文章全體(ぜんたい)の流(なが)れや文末(ぶんまつ)、副詞(ふくし)などから筆者の意図(いと)を読み取る必要があります。いくつか例を挙げてみましょう。
電話がいいと思っている場合:電話での依頼はそんなに失禮だろうか。/電話では失禮だなどと言う人が、いまどきいるのだろうか。/電話の利點を生(い)かさない手はない。
電話がよくないと思っている場合:電話なんかでものを頼んでくる人がいる。/人にものを頼むのに電話で済まそうなんて。/頼みごとを電話でするとは。
電話はよくないが、仕方がないと思っている場合:電話でお願いせざるをえないこともある。/時間の関係で、やむをえず電話でお願いした。/電話で済(す)ませてしまった。
正解:3