日語閱讀:我是高中生

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此稿是望月敦子同學(xué)參加第十五屆全日本中國語講演大賽(日中友好協(xié)會(huì)全國本部于一九九七年十一月主辦)的講演稿的原文。參賽的都是從各地區(qū)預(yù)賽中選拔出來的優(yōu)秀選手。望月同學(xué)作為靜岡縣代表參賽,并在從高中生到六十歲的共二十名選手中,奪得了國際文化交流中心獎(jiǎng)。此獎(jiǎng)是國際文化交流中心從一九八九年舉辦的第七屆大會(huì)以來為了鼓勵(lì)青少年學(xué)習(xí)中文而設(shè)。
    我是高中生?,F(xiàn)在我是高中4年級(jí)的學(xué)生。大概你們覺得奇怪“為什么高中四年級(jí)?”因?yàn)槲业膶W(xué)校是學(xué)分制高中,學(xué)制很獨(dú)特。學(xué)生們可以根據(jù)自己的興趣自主地選擇學(xué)科。大多數(shù)的同學(xué)讀完三年,就畢業(yè)了。但是因?yàn)槲页藢?duì)學(xué)科的感興趣外,還對(duì)其他的事情感興趣。所以我選擇了四年的高中生活。我在高中生活中遇到了很多有意義的事。
    其中,有意義事就是啞語。我高中的入學(xué)考試非常特別,要求每個(gè)人要表現(xiàn)自己的個(gè)性。于是,我用初中時(shí)學(xué)過的啞語講話。啞語是聾啞人的語言。用啞語說話我是頭,我覺得非常愉快。因此我想更好地深造啞語技術(shù)。在高中一年級(jí)的時(shí)候,在有關(guān)方面安排下我當(dāng)了演講會(huì)的翻譯。啞語翻譯很難,我常常感到灰心喪氣。但是有的聾啞人對(duì)我說:“你長進(jìn)了,你的翻譯比以前好。”有人說:“我喜歡你的啞語,加油!”我聽了,覺得很受鼓勵(lì)。以前我聽過這樣的話:“學(xué)習(xí)啞語的人應(yīng)該站在聾啞人一方?!蓖ㄟ^兩手的啞語翻譯和學(xué)習(xí),我領(lǐng)悟到學(xué)習(xí)啞語的人應(yīng)充分體會(huì)別人的想法,不應(yīng)該以自我為中心。啞語的學(xué)習(xí),使我自己的高中生活充滿了溫馨柔和的氣息。
    在高中生活中另一件有意義的事情就是漢語。我的學(xué)校是靜岡縣早教漢語的高中。因?yàn)槲液芟矚g學(xué)習(xí)外語,就選擇了漢語課。可是漢語課很難。初我犯了很多錯(cuò)誤。比如,用英文的方式朗讀拼音,無法區(qū)別中國的簡體字和日本的漢字。能不能堅(jiān)持下來?我常常感到不安。但是,我被中國強(qiáng)大的魅力吸引住了。我開始感到只在學(xué)校里學(xué)習(xí)是不夠的,要去外邊的學(xué)習(xí)單位學(xué)習(xí)漢語。我學(xué)漢語學(xué)了三年了,今年暑假我終于去了中國。在中國也遇到了很多有意義的事。中國的大學(xué)生笑著對(duì)我說:“日本對(duì)中國的戰(zhàn)爭(zhēng)雖然是一段不好的歷史,可是我們還是好朋友!”我覺得很高興。當(dāng)我買糖果時(shí)自由市場(chǎng)的婦女對(duì)我說:“歡迎日本朋友─”我又覺得非常高興。中國人非常熱情大方、中國地大物博。耳聞目睹,我對(duì)中國更加喜歡了。漢語讓我的思想國際化,又使我對(duì)將來充滿了夢(mèng)想。
    “我是高中生。”只剩下幾個(gè)月還可以這樣說了。我馬上就要畢業(yè)了。我的高中生活比其他的同學(xué)多一年,可是我比他們收獲更大?,F(xiàn)在日本大多數(shù)的高中好象是為了考中大學(xué)的補(bǔ)習(xí)班。而我們的高中目標(biāo)是“鍛煉個(gè)性,向時(shí)代挑戰(zhàn)?!边@也是我的人生目標(biāo)。我的高中生活是在遇到很多有意義的事的基礎(chǔ)上渡過的。我感到其樂無窮。我永遠(yuǎn)懷念這四年有意義的高中生活。
    私は今、高校4年生です。「どうして4年生なのか」と不思議に思われるかもしれません。私の高校は単位制高校といって、自分の進(jìn)路や興味に合わせて勉強(qiáng)できる學(xué)校です。ほとんどの生徒は3年間で卒業(yè)しますが、私は學(xué)業(yè)のほかにも挑戦してみたいことがあったため、4年間のコースを選びました。4年間の高校生活は私にたくさんの出會(huì)いを與えてくれました。
    その大きな出會(huì)いのひとつは手話です。私の高校の入試はとてもユニークで、自分の個(gè)性をアピールする場(chǎng)があります。私は中學(xué)生の時(shí)に習(xí)い始めた手話でスピーチを行いました。手話とは耳の聞こえない人たちの言語です。手話で自分の考えを表現(xiàn)するのは初めてでしたが、それは非常に楽しい経験でした。手話をもっと學(xué)びたいと思うようになった私は、高校1年の秋から2年間、講演會(huì)などの手話通訳をさせていただくことになりました。思うように通訳できず、落膽することも度々ありました。けれど、聾唖者が「上手になったね」「あなたの手話が好きだよ」といって下さった時(shí)、手話をやっていて本當(dāng)に良かった、と心が熱くなりました?!甘衷挙?qū)Wぶ人は聾唖者の味方にならなければならない」と聞いたことがあります。私は手話を通して、相手が必要としていることに敏感でなければいけないこと、自分中心に物事を考えてはならないことを?qū)Wびました。手話との出會(huì)いは私の高校生活に暖かさと優(yōu)しさを與えてくれたのです。
    そして高校での大の出會(huì)い、それは中國語です。私の學(xué)校は、靜岡県で初めて授業(yè)に中國語を取り入れた高校です。語學(xué)の好きな私は、さっそく中國語の授業(yè)を受け始めました。しかしピンインを英語読みしてしまったり、簡體字と日本の漢字の區(qū)別がつかなかったり。中國語の授業(yè)は難しく、一體これで続くのだろうかと不安になりました。けれど次第に中國のもつ強(qiáng)大な魅力に引きつけられた私は、高校の授業(yè)だけではもの足りなくなり、中國語講座にも通い始めるようになったのです。中國語を?qū)Wび始めて3年たった今年の夏休み、私はついに中國に行くことができました。そこでもたくさんの出會(huì)いがありました?!溉毡兢戎袊伍gには悲しい歴史があるけれど、私たちは親友だよ」といって笑いかけてくれた中國人の大學(xué)生。お菓子を買った時(shí)「日本の友達(dá)、ようこそ!」と歓迎してくれた自由市場(chǎng)の女の人。中國人のもつ溫かさ、中國の自然の雄大さ、私はそのすべてが大好きになりました。中國語は私の考え方を國際化し、將來の夢(mèng)を與えてくれたのです。
    「私は高校生」こう言えるのもあと數(shù)ヵ月です。他の友達(dá)と比べて1年間余分に高校生活を送った私ですが、想像以上の収穫があったことに満足しています。日本の高校の多くは、大學(xué)に合格するための予備校のような存在です。しかし私の高校の目標(biāo)は「?jìng)€(gè)性を磨き、時(shí)代に果敢に挑戦すること」であり、これは私の生涯の目標(biāo)でもあるのです。私の高校生活は様々な出會(huì)いによって築かれました。私は4年間の有意義な高校生活を決して忘れないでしょう。