自分のしていることを,幸福に思える人は幸福である。毎日他をうらやみ「自分はどうして、こうも不幸だろうか……」などと,ことごとに愚癡を並べる人があるが、これは自分自ら好んで、不幸を作る人であるというべきである。幸不幸は、その人自身の胸方寸のうちにあることで、決して他より來るものではない。他に望む幸福は真の幸福ではない。他に求める時には、際限がない。ちょうど自分の影を追うようなもので、追えども追えども際限なく、追えば追うほどに、心身ともに疲労して、物質(zhì)を得れば得るほど、それは苦労の種となり、寂しさを感ずるもので、愚癡をいい、不平を並べねばならぬことになる。それよりも自分自らを修め、自分の仕事に忠実に、自分の子供を真面目に教育して、自分の家庭を平和に和気藹々としていければ、億萬長者になって、金殿玉樓に住んで。栄華なくらしをすることよりも幸福である。幸福は遠(yuǎn)くにあるのではなく、寶所は近くにあるということである。