日語(yǔ)閱讀:背水の陣

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「背水の陣」
    <はいすいのじん>
    逆境に追い込まれて覚悟を決めて、死にものぐるいで頑張ること。
    昔から、川や絶壁を後ろにして陣地をとることは、敵が攻めてきたとき窮屈になるので、絶対にしてはいけないと言われてきました。
    漢の國(guó)が、天下統(tǒng)一を果たそうとしていました。
    最後に立ちはだかったのは、趙の大軍です。
    漢の名將韓信は、一萬(wàn)二千の軍勢(shì)を率いて、約二十萬(wàn)もの大軍である趙の國(guó)の軍勢(shì)と向きあうことになりました。
    韓信は、二千人の兵士に赤い旗を持たせて山中に隠れて待っていろ、と命令しました。
    そして殘りの一萬(wàn)が、河を背にして敵陣と向きあったのです。
    趙の人々は「河を背にして陣地をとるとはばかなことだ」とあざけり笑い「夜のうちに奇襲をかけてやっつけた方がいい」という意見(jiàn)も出されましたが「あんなことを考えるやつらにそんな必要もないだろう」と判斷されました。
    朝になって戦いが始まり、激戦となりました。
    韓信は、予定どおり退卻するふりをして、さらに河辺にさがりました。
    余裕のある趙の兵士達(dá)と違い、後がない漢の兵士達(dá)は、覚悟を決めて必死になって応戦しました。
    そのすきに、山中に潛んでいた漢軍の伏兵達(dá)がからっぽになった趙の陣地を占領(lǐng)して、一気に赤い旗を掲げたのです。
    自分の陣地に敵の旗が立ち並ぶのを見(jiàn)た趙の兵士は驚きました。
    そして、慌てふためいて亂れた趙の軍勢(shì)を漢の軍は挾み撃ちでやっつけてしまった、ということです。
    勝利の戦いの後「兵法にない手段をとったのはなぜか」
    と尋ねられた韓信は、
    「確かに兵法には具體的な戦術(shù)としては書(shū)かれていないが「軍隊(duì)は死地に陥れてこそ生きる道がある。
    滅びてしまう境遇に置かれてこそ存ずる道がある?!?BR>    ということが書(shū)かれているよ?!?BR>    と答えました。
    追い込まれて真剣になったときの人々の強(qiáng)さを利用したのです。