被災(zāi)地の港に久しぶりに活気が戻りました。カツオの水揚(yáng)げが14年連続日本一の宮城県気仙沼で、震災(zāi)後初めてカツオが水揚(yáng)げされました。復(fù)興に向けて一歩踏み出しました。
午前4時(shí)半、カツオ船を迎える準(zhǔn)備は、夜明けとともに始まりました。午前5時(shí)20分過ぎ。
「長(zhǎng)いことお待たせしました。東北に來ました。がんばろう日本!」(第31大師丸)
水揚(yáng)げされたカツオは、茨城県沖でとれた35トン。
「初ガツオでうれしいよ。足元が震える」(「フジミツ巖商」巖渕光男社長(zhǎng))
14年連続、カツオの水揚(yáng)げ日本一の気仙沼にとって、28日の初水揚(yáng)げは復(fù)興への第一歩。魚市場(chǎng)は久しぶりに活気に満ちあふれました。
「待ちに待ったので・・・。いいですね」(気仙沼の水産関係者)
しかし、ここへ至るまでには想像以上の困難がありました。あの日、海にのみ込まれた港町。町全體が水産業(yè)で支えられてきた気仙沼ですが、津波で加工工場(chǎng)や製氷工場(chǎng)など水産業(yè)の関連施設(shè)は壊滅しました。
生鮮カツオを出荷するのに欠かせない発泡スチロールの箱。年間100萬箱を扱う気仙沼一の箱屋、藤田秀一郎さんは、あの日の津波で自宅や事務(wù)所、箱を保管するための7つの倉(cāng)庫(kù)をすべて失いました。それでも、カツオの水揚(yáng)げを目前に立ち上がりました。
「余裕はないです。最低限のところだけは、とりあえずクリアしたかな」(「藤田製凾店」藤田秀一郎社長(zhǎng))
また、カツオの出荷には氷も欠かせません。被災(zāi)した製氷工場(chǎng)も採(cǎi)算度外視で氷をつくり、カツオを待ちます。
「どうですか親分」(仲買人)
「やりませんよ」(カツオ漁船の関係者)
仲買人もカツオ船を呼び込もうと必死です。悪天候に加え、漁場(chǎng)が遠(yuǎn)いこともあり、なかなかカツオ船は來ません。
魚市場(chǎng)の再開から6日。待望のカツオの初水揚(yáng)げ・・・ようやく訪れたカツオ。
初日の入札では、1キロ3230円という去年の3倍にも上る高値をつけました。そこには、復(fù)興への期待ものせられています。津波ですべてが流された魚市場(chǎng)周辺では、壊れた書店を借りてカツオの箱詰め作業(yè)が行われていました。氷屋も箱屋も一緒になって気仙沼のカツオを全國(guó)へと送り出します。
「私たちも含めて待っていた人がたくさんいる。その人たちが 一斉に動(dòng)きだしたということ」(「藤田製凾店」藤田秀一郎社長(zhǎng))
一方、町では・・・
「(カツオが)やっと來ましたから」(気仙沼の鮮魚店)
「うれしいってば。やっぱり(カツオは)気仙沼だってば」(鮮魚店を訪れた客)
カツオの水揚(yáng)げは気仙沼の復(fù)興のシンボル。壊滅的な被害を受けた町は、ようやく立て直しの入り口に立ちました。(28日17:51)
想進(jìn)一步學(xué)習(xí)的童鞋可以通過連接下載該視頻:http://news.neworldedu.org/UploadFiles/201162985922974.asx
以上是日本留學(xué)網(wǎng)https://riben.liuxue86.com/exam/日語組小編整理的2011年07月日語能力測(cè)試的《『日語學(xué)習(xí)』社會(huì):復(fù)興の初ガツオ、気仙沼の港で水揚(yáng)げ》文章,恭祝大家考試順利通過!