2016年日語文學作品閱讀賞析:《「良書普及運動」に寄せて》

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  •     アメリカのテネシー谿谷の水を合理的処理をすることで、かつて、洪水で人々の苦労の種であった落差が、今や、電力となり、木材の運搬の水路となり、光と、動力の根源とさえなったことは有名な事件である。
        テネシー・ヴァレーの事業(yè)として有名である。
        人間の技術(shù)は、今や、集団的構(gòu)造でもって、巨大なプランを企てている。ちょうど、英雄が大いなる馬を制禦したように、ドン河を、鴨緑江を、テネシー谿谷を、數(shù)學と科學の金具でしめつけることでその荒れ狂う力を止め、それを乗りこなしたのである。
        かつて、英雄が、それをしたように、今は、人々が協(xié)力し、お互いに組織化することで、それに成功したのである。
        今出版界においても、一つの大いなる落差をもっている。それは都會における良書の出版毎にストック化することである。そして、それを求めている田舎の良書の飢渇である。それを放置して置くと、それは、一つの洪水現(xiàn)象となって、一部のゾッキ本の混濁の中に、良書も涵されることとなるのである。これを防ぐ良心ある店は、二重の苦悩の中に落ちることとなるのである。
        これは、只読者の怠慢ではなくして、一つには金融界の逼迫が、地方小売店をして、返本を急がしむることが原因であり、一つには、配給機構(gòu)の転換期の大混亂が、一つのパニック現(xiàn)象を一時起したその傷口がまだ癒っていないことに原因している。
        このことは、良心ある書店の企畫精神を委縮せしめ、また著者をも、絶望的不勉強に導く可能性が充分にあるのである。
        かつて、學生時代、美しい良書にめぐり逢ったとき、秋夜、燈火の下、幸わいのこころもちは、かかるものかと、しみじみ味ったあの読書精神がもし萬一、日本民族の青年、少年のこころから去っていったとしたならば、それはまことに容易ならざることである。
        『群書類従』が、紙の値段と一つに売られて、硫酸で焼かれていると聞いたとき、まことに、私達の責任においての、焚書時代の出現(xiàn)であると、慄然たる思いであった。民族の読書力は「死の十字架」に面したのである。
        責任は私達にある。民族の読書力を復興せしめることが、今正に、私達の任務である。
        ここに私は、一つの実験を試みつつあるのである。協(xié)會の責任において、一般教養(yǎng)書を選定し、また各専門分野を組織することによって、専門書を選定し、それを配給機構(gòu)を通して、その棚を設定し普及せしめんとするのである。
        各図書館は、このわが図書館協(xié)會の良書速報と地方配給機構(gòu)の棚の本との一致をたしかめると共に、その內(nèi)容の価値の批判をも、更に協(xié)力されたいのである。この配給の対象は、公共図書館、學校図書館、農(nóng)業(yè)組合、各種工場の教養(yǎng)部門、さらに公民館の図書部、更に各官庁の機構(gòu)の中にその組織網(wǎng)をもたなくてはならない。
        新刊本については、國立國會図書館の印刷カードをこれに付することによって、整理の人手をはぶき、國家的統(tǒng)一の第一歩をここに実験しようとしているのである。
        事の便利、合理はさることながら、一九五〇年大いなる機械時代の出現(xiàn)にあたって、私達が、いたらずに機械の幻影におびえることによって、機械に敗れたる鉄屑となってしまわないことが、今段階の急務である。
        この機械時代を、わが民族の精神の下に組伏せること、これは、手力男が、かの巖壁に向って、たち向った渾身の力を要求するのである。
        図書館界は、今、この力を要求されている。