日語考試閱讀-報(bào)刊雜志精品選讀(一)

字號(hào):

小編給大家整理了日語考試:報(bào)刊雜志精品選讀,希望能助大家一臂之力。
    50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸國の前で、我が國は平和國家として、國家発展に努める決意を表明しました」。今も、その志にいささかの揺るぎもないと、小泉首相はジャカルタで演説した。
    50年前のバンドン會(huì)議の日本代表は、首相ではなく、高碕達(dá)之助・経済審議庁長官だった。その演説を本紙はこう伝えている?!袱铯毡兢瑖H紛爭解決の手段としての戦爭を放棄し、武力による脅しを行わざる平和民主國家であることを、この機(jī)會(huì)に再び厳粛に宣言する」。大戦後の講和會(huì)議から4年、アジア諸國とまみえる場で、新憲法の精神が強(qiáng)調(diào)された。
    ジャワ島のバンドンは、さわやかな風(fēng)が吹き渡る高原の街だという。かつて支配していたオランダ人は「ジャワのパリ」とも呼んだ。しかし過酷な植民の歴史は、この街を「火の海」にしたこともあった。
    獨(dú)立宣 言後の1946年、再植民地化をたくらむオランダの攻撃に遭い、インドネシア共和國軍はバンドン市の南部に火を放って山岳地帯に逃げた。人々の愛唱歌「ハロ・ハロ・バンドン」は、バンドンを奪い返す誓いの歌だという(『インドネシアの事典』)。
    支配され侵略された側(cè)では、その思いは世代を超えて伝わってゆく。相手國の過去を許したとしても、忘れはしまい。相手が忘れることは、許し難いだろう。
    小泉首相は昨日、日本のアジア諸國に対する植民地支配と侵略について「痛切な反省とおわび」を表明した?!笡Qして忘れてはいない」と伝わったのかどうか。耳を澄まして、答えを待ちたい。
    2005年04月23日(土曜日)付
    萬里の長城の東の起點(diǎn)・山海関は、北京の東約300キロの渤海沿いにある。地勢の険しい古來の兵爭の地で、「天下一の関所」とも言われた。
    第二次大戦後50年にあたる95年の終戦の日の直前、江沢民主席は、山海関近くの滯在地・北戴河で、本社と會(huì)見した。青年を?qū)澫螭诉M(jìn)めている愛國主義教育については、こう述べた?!笟s史を正しく認(rèn)識(shí)し、忘れないように教育することにあり、両國に不和をもたらす意図は全くない」
    それから10年後の今、中國から聲高に屆く、愛國主義の行動(dòng)に罪はないという「愛國無罪」には、両國の不和にまでつながりかねない危うさを感じる。そしてもう一つ、デモ隊(duì)が日本を見下して言う「小日本」については、山海関から海を望んだ時(shí)の思いがよみがえってきた。
    山海関は、西から延々と続いてきた萬里の長城が、ついに海に入る地點(diǎn)だ。その海のはるかかなたには、見えはしないが日本列島がある。ユーラシアという世界の幅を持って橫たわる陸地から望むと、地理地形の上からは、列島は大海に浮かぶ細(xì)いひもか縄のようにも思われる。
    中國の長い歴史と文化を誇る人たちが、日本に対して、ある種の優(yōu)越感を覚えたことは、想像に難くない。その日本に侵略され支配されたという屈辱と、負(fù)わされた傷とは、半世紀(jì)ぐらいで癒えたり消えたりするものではないとも思われた。
    街頭での「小日本」の裏には、屈折した大國意識(shí)と群集心理が感じられる。群衆(zhòng)から、例えばひとりの青年に戻った時(shí)にも、聲高に「小日本」と言うのだろうか