提高日語(yǔ)閱讀的途徑有很多,其中多讀日語(yǔ)小說(shuō)和文章就是其中之一。以下為大家?guī)?lái)日語(yǔ)小說(shuō)閱讀:源氏物語(yǔ)第四部分。
「こちらへあがりますと、またいっそうお?dú)荬味兢摔胜辘蓼筏?、魂も消えるようでございますと、先日典侍(ないしのすけ)は陛下へ申しあげていらっしゃいましたが、私のよう淺薄な人間でもほんとうに悲しさが身にしみます」
といってから、しばらくして命婦は帝の仰せを伝えた。
『當(dāng)分夢(mèng)ではないであろうかというようにばかり思われましたが、ようやくおちつくとともに、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんな時(shí)はどうすればよいのか、せめて話し合う人があればいいのですが、それもありません。目立たぬようにして時(shí)々御所へ來(lái)られてはどうですか。若宮を長(zhǎng)く見(jiàn)ずにいて気がかりでならないし、また若宮も悲しんでおられる人ばかりの中にいてかわいそうですから、彼を早く宮中へ入れることにして、あなたもいっしょにおいでなさい』
「こういうお言葉ですが、涙にむせかえっておいでになって、しかも人に弱さを見(jiàn)せまいとご遠(yuǎn)慮をなさらないでもないごようすがお?dú)荬味兢?、ただ、おおよそだけをうけたまわっただけで參りました?BR> といって、また帝のお言(こと)づてのほかのご消息を渡した。
「涙でこのごろは目も暗くなっておりますが、過(guò)分な、かたじけない仰せを光明にいたしまして」
未亡人は、お文を拝見(jiàn)するのであった。
時(shí)がたてばすこしは寂しさもまぎれるであろうかと、そんなことをたのみにして日を送っていても、日がたてばたつほど悲しみの深くなるのは困ったことである。どうしているかとばかり思いやっている小児(こども)も、そろった両親に育てられる幸福を失ったものであるから、子を失ったあなたに、せめてその子のかわりとしてめんどうを見(jiàn)てやってくれることをたのむ。
などこまごまと書(shū)いておありになった。
宮城野(みやぎの)の霧吹き結(jié)ぶ風(fēng)の音に
小萩(はぎ)が上を思ひこそやれ
という御歌もあったが、未亡人は湧(わ)き出す涙がさまたげて明らかには拝見(jiàn)することができなかった。
「長(zhǎng)生きをするからこうした悲しい目にも會(huì)うのだと、それが世間の人の前に私をきまりわるくさせることなのでございますから、まして御所へ時(shí)々あがることなどは思いもよらぬことでございます。もったいない仰せをうかがっているのですが、私が伺候(しこう)いたしますことは今後も実行はできないでございましょう。若宮様は、やはり御父子の情というものが本能にありますものと見(jiàn)えて、御所へ早くおはいりになりたいごようすをお見(jiàn)せになりますから、私はご道理(もっとも)だとおかわいそうに思っておりますということなどは、表向きの奏上でなしに何かのおついでに申しあげてくださいませ。良人(おっと)も早く亡(な)くしますし、娘も死なせてしまいましたような不幸ずくめの私がごいっしょにおりますことは、若宮のために縁起(えんぎ)のよろしくないことと恐れ入っております?!工胜嗓趣い盲俊¥饯韦Δ寥魧mも、もうおやすみになった。 I
「またお目ざめになりますのをお待ちして、若宮にお目にかかりまして、くわしくごようすも陛下へご報(bào)告したいのでございますが、使いの私の帰りますのをお待ちかねでもいらっしゃいますでしょうから、それでは、あまりおそくなるでございましょう」
といって命婦は帰りを急いだ。