作者:王貞(大連大學(xué))
感知日本——私が感心を持つ日本事情
——鉛筆からの感想
日常の感想は日記、未來(lái)への幻想は小説、遠(yuǎn)方の友達(dá)には手紙。わたしにとって、文章を書(shū)くのは日常茶飯事のことだ。どんな短い文でも、書(shū)くと心の穏やかさを取り戻すことができる。
わたしは、白い紙に、人の手できれいに書(shū)かれた薄い文字が、一番美しい文字だと思う。お茶やコーヒーを飲みながら、昔書(shū)いた文章を読んで、その時(shí)の事や、心境、一緒に過(guò)ごした人を思い出して、ゆっくりと味わいながら、今の自分を反省する。そういう時(shí)間は、長(zhǎng)い人生で一つの幸せではないだろうか。
そしていつの間にか、鉛筆が一番好きなものになった。書(shū)き直しやすく、色が薄くてきれいだし、書(shū)くときにペン先と紙が摩擦するあの特別な「サクサク」という音も非常にすてきだと感じている。鉛筆削りで鉛筆を削りながら、次の文章を考えるのも、一つのくせになってきた。
しかし、一つの問(wèn)題が生じた。鉛筆だ。國(guó)産の鉛筆はどうも使いたくないのだ。なぜかというと、質(zhì)が良いものは、デザインが悪い。中國(guó)でもっとも有名なある鉛筆メーカーを例にすると、その鉛筆は、書(shū)きやすくて質(zhì)が良い。しかし、伝統(tǒng)的な六角形に、深緑がぬられている。たしかにまじめな印象を與えるが、まじめすぎで、趣がないと、わたしに嫌われた。
それに対し、かっこうのよい鉛筆のほとんどは質(zhì)が悪い。芯の色が不均等で、書(shū)きにくいし、よく紙や手が汚れてしまう。あるいは、芯がとても脆くて、數(shù)回落としただけで使えなくなることもよくある。
完璧主義のわたしは、こんなことが許せないので、長(zhǎng)い間、ずっとシャープペンシルで我慢しながら、あちこちいい鉛筆を探していた。
母に怒られるほどたくさんの鉛筆を買(mǎi)った後、ようやく今使っているのを手に入れた。
日本製の鉛筆だ。握りやすい三角形に、鮮やかな色がぬられている。目立つデザインはないが、簡(jiǎn)潔でかえって気品がある。芯も丈夫で、何度落としても大丈夫だ。普通の鉛筆の二倍の価格で販売されているが、とてもお買(mǎi)い得と考えている。
初めてこの鉛筆を使った時(shí)の喜びを、今でも覚えている。
それから、日本製の文具に好感を持つようになった。ある日、文具店である日本製の消しゴムを見(jiàn)つけた。デザインがとてもおもしろい消しゴムだった。店員に値段を聞くと、10元だと言うのだ。中國(guó)の普通の消しゴムはたった1元ほどなので、これは本當(dāng)にたかすぎる。二週間悩んでいたが、日本製の鉛筆で書(shū)いた文字は、やはり日本製の消しゴムで直したほうがいいと思い、ついに、「買(mǎi)おう!」と決めた。
もともとデザインが気に入って買(mǎi)ったのだが、使ったら、意外に消しやすいのだ。そのため、うれしくてたまらなかった。
それから、日本製品に惚れてしまって、文房具だけでなく、日本製品についての事情にも関心を持つようになった。
日本製品は世界中で愛(ài)されている。日本製品といえば、ハイテクノロジー、ユニバーサルデザイン、高いコストパフォーマンスなどのイメージがある。上海萬(wàn)博でも、日本館は「心の和、技の和」をテーマとして、各國(guó)の観光客の目を引いている。日本製品は先端技術(shù)が使われているだけでなく、人の心を溫める力も持っている。歐米のハイテク製品は、冷たいと感じる。それに対し、日本のハイテク製品にはやさしい感じがある。それはなぜかというと、やはり細(xì)かいことに著目しているからだ。
日本人は製品をデザインするとき、使う人の立場(chǎng)に立っている。それはわたしが最も感心を持っているところだ。技術(shù)は、人によりよい生活を與えることにこそ意味がある。そのため日本製品はユニバーサルと言われる。
鉛筆やロボットなど、日本製品の相手のための考え方に感銘する。そして、いつか中國(guó)製の製品も日本製品のように、細(xì)かいことにも著目し、細(xì)部まで心をこめて作ってほしいと思う。
評(píng):日本語(yǔ)を縦橫に使いこなし、楽しんで書(shū)いていることが感じ取れる。短文を連ねる手法は新鮮だ。
感知日本——私が感心を持つ日本事情
——鉛筆からの感想
日常の感想は日記、未來(lái)への幻想は小説、遠(yuǎn)方の友達(dá)には手紙。わたしにとって、文章を書(shū)くのは日常茶飯事のことだ。どんな短い文でも、書(shū)くと心の穏やかさを取り戻すことができる。
わたしは、白い紙に、人の手できれいに書(shū)かれた薄い文字が、一番美しい文字だと思う。お茶やコーヒーを飲みながら、昔書(shū)いた文章を読んで、その時(shí)の事や、心境、一緒に過(guò)ごした人を思い出して、ゆっくりと味わいながら、今の自分を反省する。そういう時(shí)間は、長(zhǎng)い人生で一つの幸せではないだろうか。
そしていつの間にか、鉛筆が一番好きなものになった。書(shū)き直しやすく、色が薄くてきれいだし、書(shū)くときにペン先と紙が摩擦するあの特別な「サクサク」という音も非常にすてきだと感じている。鉛筆削りで鉛筆を削りながら、次の文章を考えるのも、一つのくせになってきた。
しかし、一つの問(wèn)題が生じた。鉛筆だ。國(guó)産の鉛筆はどうも使いたくないのだ。なぜかというと、質(zhì)が良いものは、デザインが悪い。中國(guó)でもっとも有名なある鉛筆メーカーを例にすると、その鉛筆は、書(shū)きやすくて質(zhì)が良い。しかし、伝統(tǒng)的な六角形に、深緑がぬられている。たしかにまじめな印象を與えるが、まじめすぎで、趣がないと、わたしに嫌われた。
それに対し、かっこうのよい鉛筆のほとんどは質(zhì)が悪い。芯の色が不均等で、書(shū)きにくいし、よく紙や手が汚れてしまう。あるいは、芯がとても脆くて、數(shù)回落としただけで使えなくなることもよくある。
完璧主義のわたしは、こんなことが許せないので、長(zhǎng)い間、ずっとシャープペンシルで我慢しながら、あちこちいい鉛筆を探していた。
母に怒られるほどたくさんの鉛筆を買(mǎi)った後、ようやく今使っているのを手に入れた。
日本製の鉛筆だ。握りやすい三角形に、鮮やかな色がぬられている。目立つデザインはないが、簡(jiǎn)潔でかえって気品がある。芯も丈夫で、何度落としても大丈夫だ。普通の鉛筆の二倍の価格で販売されているが、とてもお買(mǎi)い得と考えている。
初めてこの鉛筆を使った時(shí)の喜びを、今でも覚えている。
それから、日本製の文具に好感を持つようになった。ある日、文具店である日本製の消しゴムを見(jiàn)つけた。デザインがとてもおもしろい消しゴムだった。店員に値段を聞くと、10元だと言うのだ。中國(guó)の普通の消しゴムはたった1元ほどなので、これは本當(dāng)にたかすぎる。二週間悩んでいたが、日本製の鉛筆で書(shū)いた文字は、やはり日本製の消しゴムで直したほうがいいと思い、ついに、「買(mǎi)おう!」と決めた。
もともとデザインが気に入って買(mǎi)ったのだが、使ったら、意外に消しやすいのだ。そのため、うれしくてたまらなかった。
それから、日本製品に惚れてしまって、文房具だけでなく、日本製品についての事情にも関心を持つようになった。
日本製品は世界中で愛(ài)されている。日本製品といえば、ハイテクノロジー、ユニバーサルデザイン、高いコストパフォーマンスなどのイメージがある。上海萬(wàn)博でも、日本館は「心の和、技の和」をテーマとして、各國(guó)の観光客の目を引いている。日本製品は先端技術(shù)が使われているだけでなく、人の心を溫める力も持っている。歐米のハイテク製品は、冷たいと感じる。それに対し、日本のハイテク製品にはやさしい感じがある。それはなぜかというと、やはり細(xì)かいことに著目しているからだ。
日本人は製品をデザインするとき、使う人の立場(chǎng)に立っている。それはわたしが最も感心を持っているところだ。技術(shù)は、人によりよい生活を與えることにこそ意味がある。そのため日本製品はユニバーサルと言われる。
鉛筆やロボットなど、日本製品の相手のための考え方に感銘する。そして、いつか中國(guó)製の製品も日本製品のように、細(xì)かいことにも著目し、細(xì)部まで心をこめて作ってほしいと思う。
評(píng):日本語(yǔ)を縦橫に使いこなし、楽しんで書(shū)いていることが感じ取れる。短文を連ねる手法は新鮮だ。