螳螂捕蟬,黃雀在后

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春秋の昔である。呉の國(紀元前585~前477)の王夫差は軍隊をやって楚の國を攻めるようとした。と、臣下のものは口々に、「それはまことに危険でございます。あの越がその機に乗じて、後ろからわが國を襲うことになります」と諌めた。
    それを聞いた夫差は、忠言を容れるどころか大いに怒って、「敢えて諌めつづける者は死を申し付ける」と言った。
    それで、臣下たちは黙り込み、敢えて何も言わなくなった。
    さて翌日のこと、夫差の息子がびしょびしょにぬれたズボンをはいて父親のとことに來た。ふしぎに思った夫差は、「そなた、なぜ、そんな姿でいる?」とたずねた。すると、息子は少しもあわてず、こう答えた。
    「さきほど、花壇で遊んでおりましたところ、ちょうど蟬が一匹飛んでまいりまして、樹の枝で得意そうに鳴きました。かまきりが後ろから、自分を狙って近づいているのを知りません。かまきりがいまにも蟬を食おうとしているその時、かまきりの後ろには黃雀がいて、いまにも飛びかかろうとしていましたが、かまきりがそれを知りませんでした。それを見てあわてたわたくしは弾弓を手にその黃雀を打とうといたしましたところ、つい足元に水たまりのあることをさとりませんでした。そのため、水たまりに落ち、このていたらくでございます」
    夫差は、息子の話を聞き終わると、笑いながら、「そなたの言わんとするところは、よくわかった」といって、すぐ、楚の國へ攻め入ることを停止するよう命令を下した。
    後世、人はこの故事から「螳螂、蟬を窺い、黃雀、後に在り」を成語として用い、目先の利益にばかり気をとられて後ろから迫っている危険に気がつかないことのたとえに使うようになった。
    中文釋義:
    這個成語出自劉向的《說苑·正諫》
    書中記載了這樣一個故事:春秋時期,吳國國王壽夢準備攻打荊地(楚國),遭到大臣的反對。吳王很惱火,在召見群臣的會上警告:“有誰膽敢阻止我出兵,將他處死!”
    盡管如此,還是有人想阻止吳王出兵。王宮中一個青年侍衛(wèi)官想出一個好辦法:每天早晨,他拿著彈弓、彈丸在王宮后花園轉來轉去,露水濕透他的衣鞋,接連三天如此。吳王很奇怪,問道:“這是為何?”侍衛(wèi)道:“園中的大樹上有一只蟬,它一面唱歌,一面吸飲露水,卻不知已有一只螳螂在向它逼近;螳螂想捕蟬,但不知旁邊又來了黃雀;而當黃雀正準備啄螳螂時,它又怎知我的彈丸已對準它呢?它們?nèi)齻€都只顧眼前利益而看不到后邊的災禍?!眳峭跻宦牶苁軉l(fā),隨后取消了這次軍事行動。