天聲人語(yǔ)08年08月03日られた

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福田首相的內(nèi)閣改組
    ▼思索的な隨筆で知られた故·串田孫一さんが、幼時(shí)に買ってもらった12色の色鉛筆について書いている。物の豊かでない大正時(shí)代のこと、使えば短くなる色鉛筆を惜しみながら、力を入れず、そっと淡く色を塗ったそうだ。
    以擅寫邏輯思維性隨筆而的已故作家串田孫一曾寫過一篇關(guān)于幼時(shí)別人給他買的12色鉛筆的故事,那是發(fā)生在物質(zhì)不甚豐富的大正時(shí)代。因?yàn)椴噬U筆會(huì)越用越短,因此他在使用時(shí)非常珍惜,不敢用力,只是淡淡地上色。
    ▼今の子のように、ぐいぐい塗り込んでは描けなかったと回想している。さて、自前のカラーを出すべく內(nèi)閣を改造した福田首相はどうだろう。思い通りにぐいぐい色づけしたのか。それとも黨內(nèi)のしがらみに縛られて、ろくに色づけ出來ずに終わったのか。
    作者回想說,當(dāng)時(shí)的環(huán)境是不能像現(xiàn)在這樣,允許小孩可著勁地肆意上色涂描。那么,為了展現(xiàn)自身特色而進(jìn)行內(nèi)閣改組的福田首相又怎么樣呢?按照自己的想法用力著色了嗎?還是被黨內(nèi)“不和諧勢(shì)力”所束縛,以根本不能上色而告終呢?
    ▼改造に先立つ自民黨人事では、「きのうの敵」だった麻生氏を味方につけて幹事長(zhǎng)に置いた。解散総選挙に向けての「顔」である。けられる心配もあったようだが、まずは挙黨一致の色を濃く塗ったといえる。
    自民黨的人事改組走在改革的最前面,“昨天的敵人”麻生變成了“今天的朋友”,出任自民黨干事長(zhǎng)之職,是解散內(nèi)閣進(jìn)行總選舉的“預(yù)定人選”。雖說存在被麻生踢下去的擔(dān)心,但可以說福田的此次改組還是首先涂抹上了全黨同心協(xié)力的濃郁色彩。
    ▼意外と言っては失禮だろうか。新內(nèi)閣の顔ぶれは「しがらみ色」をさほど感じさせない。黨三役をそろって閣僚に橫滑りさせた。派閥間のバランスも、例によってなかなかのものだ。とはいえ、何とか「適材適所」と折り合っている印象は殘す。
    如果說這次改組是預(yù)料之外有點(diǎn)失敬了吧。新內(nèi)閣的成員組成并沒有讓人 “色彩不諧調(diào)”之感。集中黨內(nèi)三大主力,實(shí)現(xiàn)大臣間換位。派性爭(zhēng)斗間的權(quán)力平衡,較之以往有過之而無不及。雖說如此,卻多少給人留下了為“量才器使”而互相遷就的印象。
    ▼だが、わだかまるものもある。結(jié)局は選挙のための改造で、政策のためではないのでは、という不信だ。口をそろえて「難局」を叫んでも、それが黨の難局であって、國(guó)民の難儀でないようでは困る。
    盡管如此,還是有讓民眾心存芥蒂之處。這種改組結(jié)果實(shí)際上是為了選舉而進(jìn)行的變動(dòng),而不是政策上的改革,讓人產(chǎn)生不信任感。即使異口同聲的喊道 “難關(guān)”,可卻是自民黨自身的難關(guān),而非國(guó)民的難題,讓人感到困惑無奈。
    ▼冒頭の串田さんには後日談があって、還暦を過ぎて60色の色鉛筆を贈(zèng)られたそうだ。鉛筆は申し分ないのに絵が下手で、と悔しがっている。ぐいぐい上手な絵を描いて、それを絵に描いた餅に終わらせない。國(guó)民が期待するのは、そんな首相に違いない。
    本文開頭提及的串田先生在日后訪談中提到,60歲生日時(shí),獲贈(zèng)了60色的彩色鉛筆。但是畫得不好有點(diǎn)對(duì)不住鉛筆,因此感到遺憾。工于美麗丹青、最終又并非僅僅是“畫餅充饑”之流,國(guó)民所期待的,正是這樣的首相。
    解說:
    1、串田孫一(くしだ まごいち)の紹介:
    1915年?yáng)|京に生まれる。詩(shī)人·哲學(xué)者·隨筆家。東京大學(xué)哲學(xué)科卒。人生一般、山、植物など多様なテーマについて詩(shī)的·哲學(xué)的エッセーを上梓し、絵畫·裝丁など幅広く活躍されています。
       2、福田改造內(nèi)閣について: