包羅萬(wàn)象的書籍
▼きのうの小欄で「人生もまた書物」と書くうちに、米國(guó)で會(huì)った民俗學(xué)者を思い出した。黒人の多い南部の州の大學(xué)教授だった人で、奴隷時(shí)代からの生活や文化を調(diào)べていた?!咐先摔蝗送訾胜毪韦?、分厚い本を一冊(cè)失うようなもの」と話していたのが印象に殘っている。
在昨日的專欄里寫到“人生亦是一本書”的時(shí)候,想起了在美國(guó)見到的一位民俗學(xué)者。這位大學(xué)教授生活在黑人較多的南部的一個(gè)州,專門研究奴隸時(shí)代開始的生活及文化。他說(shuō)過(guò)的一句話給我留下深刻印象:“一位老人的去世,就如同失去了一本厚重的書?!?BR> ▼彼の調(diào)べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた。だが、そんな人ほど回想は多彩で、具體的だったという。「の書物」は「無(wú)筆のおばあさん」だと言っていた。この評(píng)価は世界中に通じるものがあろう。
他走訪研究的地方也有很多不會(huì)讀寫的人。但是,就是這樣的人其回想更為多彩具體。這就是所謂的“的書就是不識(shí)字的阿婆”。這個(gè)評(píng)價(jià)該是全世界公認(rèn)的吧。
▼「生きている図書館」という活動(dòng)がいま、歐州で広まっている。こちらは元マフィアや同性愛者といった、ふだんは接する機(jī)會(huì)の少ない人たちを図書館が招く。そして「本」として貸し出す試みだという。
一個(gè)名為“活著的圖書館”的活動(dòng),正在歐洲各地盛行。圖書館聘用一些原黑手黨成員及同性戀者等常人平時(shí)接觸機(jī)會(huì)很少的人,然后以“書”的形式出借。
▼來(lái)館者は読みたい「本」を借りて、一対一で話を聞ける。社會(huì)の偏見を減らす目的で始まったといい、ある日のロンドンでは、26冊(cè)の「本」を100人の「読者」が交代で借りた。一番人気の元ホームレスは8人に読まれたそうだ。
到圖書館來(lái)的讀者借想看的“書”,展開一對(duì)一的談話。此項(xiàng)活動(dòng)是以減少社會(huì)偏見為目的開始的。一天在倫敦,26本“書”輪流借給了100名“讀者”。人氣最旺的“書”原先是一名無(wú)家可歸者,他被8位讀者借讀。
▼人にとどまらず、森羅萬(wàn)象を「読もう」と詩(shī)人の長(zhǎng)田弘さんが書いている?!磿欷课淖证坤堡兢扦悉胜ぁ#栅喂猡?、星の瞬き、鳥の聲、/川の音だって、本なのだ…その本は見えない言葉で書かれている〉(「世界は一冊(cè)の本」)。
不僅限于人,詩(shī)人長(zhǎng)田弘曾寫過(guò)要包羅萬(wàn)象地“閱讀”?!皶鴮懴碌奈淖植恢皇菚L?yáng)的光芒,行星的閃爍,鳥兒的啼鳴,乃至河流的水聲才是“書”……這書是用看不見的詞語(yǔ)撰寫的。”(《世界是一部書》)
▼人にせよ、風(fēng)物にせよ、いつもとは違った「書物」に出會(huì)える夏休みである。心を澄まし、想像力をかきたてて、「見えない言葉」を読んでみるのもいい。思いがけない1行が、ひっそりと待ち受けているかも知れない。
無(wú)論是人、還是風(fēng)景,與這些平時(shí)不同的“書籍”相會(huì)的暑假中,凈化心靈,豐富想象力,試著讀一些“看不見的詞語(yǔ)”也很好。也許意想不到的那一行正悄悄地等著你。
解說(shuō):
長(zhǎng)田弘:福島県福島市生まれ。福島県立福島高等學(xué)校、早稲田大學(xué)第一文學(xué)部卒業(yè)。 1960年、詩(shī)誌「鳥」を創(chuàng)刊。雑誌「現(xiàn)代詩(shī)」「詩(shī)と批評(píng)」「第七次早稲田文學(xué)」の編集に加わる。 1965年に詩(shī)集『われら新鮮な旅人』でデビュー。以來(lái)詩(shī)人として活躍し、中でも『深呼吸の必要』が代表作となり、現(xiàn)在でも多くの読者に読まれているロングセラーである。數(shù)多くの詩(shī)集の他には評(píng)論、エッセイなどの著書がある。1971年~1972年までアイオア大學(xué)國(guó)際創(chuàng)作プログラム客員詩(shī)人を務(wù)めた。NHKのオピニオン番組『視點(diǎn)·論點(diǎn)』での、ユニークな視點(diǎn)からの警世を楽しみにしている人も多い
▼きのうの小欄で「人生もまた書物」と書くうちに、米國(guó)で會(huì)った民俗學(xué)者を思い出した。黒人の多い南部の州の大學(xué)教授だった人で、奴隷時(shí)代からの生活や文化を調(diào)べていた?!咐先摔蝗送訾胜毪韦?、分厚い本を一冊(cè)失うようなもの」と話していたのが印象に殘っている。
在昨日的專欄里寫到“人生亦是一本書”的時(shí)候,想起了在美國(guó)見到的一位民俗學(xué)者。這位大學(xué)教授生活在黑人較多的南部的一個(gè)州,專門研究奴隸時(shí)代開始的生活及文化。他說(shuō)過(guò)的一句話給我留下深刻印象:“一位老人的去世,就如同失去了一本厚重的書?!?BR> ▼彼の調(diào)べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた。だが、そんな人ほど回想は多彩で、具體的だったという。「の書物」は「無(wú)筆のおばあさん」だと言っていた。この評(píng)価は世界中に通じるものがあろう。
他走訪研究的地方也有很多不會(huì)讀寫的人。但是,就是這樣的人其回想更為多彩具體。這就是所謂的“的書就是不識(shí)字的阿婆”。這個(gè)評(píng)價(jià)該是全世界公認(rèn)的吧。
▼「生きている図書館」という活動(dòng)がいま、歐州で広まっている。こちらは元マフィアや同性愛者といった、ふだんは接する機(jī)會(huì)の少ない人たちを図書館が招く。そして「本」として貸し出す試みだという。
一個(gè)名為“活著的圖書館”的活動(dòng),正在歐洲各地盛行。圖書館聘用一些原黑手黨成員及同性戀者等常人平時(shí)接觸機(jī)會(huì)很少的人,然后以“書”的形式出借。
▼來(lái)館者は読みたい「本」を借りて、一対一で話を聞ける。社會(huì)の偏見を減らす目的で始まったといい、ある日のロンドンでは、26冊(cè)の「本」を100人の「読者」が交代で借りた。一番人気の元ホームレスは8人に読まれたそうだ。
到圖書館來(lái)的讀者借想看的“書”,展開一對(duì)一的談話。此項(xiàng)活動(dòng)是以減少社會(huì)偏見為目的開始的。一天在倫敦,26本“書”輪流借給了100名“讀者”。人氣最旺的“書”原先是一名無(wú)家可歸者,他被8位讀者借讀。
▼人にとどまらず、森羅萬(wàn)象を「読もう」と詩(shī)人の長(zhǎng)田弘さんが書いている?!磿欷课淖证坤堡兢扦悉胜ぁ#栅喂猡?、星の瞬き、鳥の聲、/川の音だって、本なのだ…その本は見えない言葉で書かれている〉(「世界は一冊(cè)の本」)。
不僅限于人,詩(shī)人長(zhǎng)田弘曾寫過(guò)要包羅萬(wàn)象地“閱讀”?!皶鴮懴碌奈淖植恢皇菚L?yáng)的光芒,行星的閃爍,鳥兒的啼鳴,乃至河流的水聲才是“書”……這書是用看不見的詞語(yǔ)撰寫的。”(《世界是一部書》)
▼人にせよ、風(fēng)物にせよ、いつもとは違った「書物」に出會(huì)える夏休みである。心を澄まし、想像力をかきたてて、「見えない言葉」を読んでみるのもいい。思いがけない1行が、ひっそりと待ち受けているかも知れない。
無(wú)論是人、還是風(fēng)景,與這些平時(shí)不同的“書籍”相會(huì)的暑假中,凈化心靈,豐富想象力,試著讀一些“看不見的詞語(yǔ)”也很好。也許意想不到的那一行正悄悄地等著你。
解說(shuō):
長(zhǎng)田弘:福島県福島市生まれ。福島県立福島高等學(xué)校、早稲田大學(xué)第一文學(xué)部卒業(yè)。 1960年、詩(shī)誌「鳥」を創(chuàng)刊。雑誌「現(xiàn)代詩(shī)」「詩(shī)と批評(píng)」「第七次早稲田文學(xué)」の編集に加わる。 1965年に詩(shī)集『われら新鮮な旅人』でデビュー。以來(lái)詩(shī)人として活躍し、中でも『深呼吸の必要』が代表作となり、現(xiàn)在でも多くの読者に読まれているロングセラーである。數(shù)多くの詩(shī)集の他には評(píng)論、エッセイなどの著書がある。1971年~1972年までアイオア大學(xué)國(guó)際創(chuàng)作プログラム客員詩(shī)人を務(wù)めた。NHKのオピニオン番組『視點(diǎn)·論點(diǎn)』での、ユニークな視點(diǎn)からの警世を楽しみにしている人も多い

