觀《對決-巨匠們的日本美術》
▼信長と秀吉に仕(つか)えた絵師、狩野永徳(えいとく)は、以後300年続く狩野派の栄華(えいが)を決定づけた。最晩年、狩野家が獨占する御所の襖(ふすま)絵制作に割り込みを策す絵師がいた。激怒(げきど)した永徳、公家(くげ)筋を動かし、その「はせ川と申す者」を外させる。長谷川等伯(とうはく)だ。
信長和秀吉的御用畫師狩野永徳,開創(chuàng)了其后300年間長盛不衰的狩野畫派。在他晚年的時候,曾經(jīng)有一位畫師企圖走進由狩野家族獨霸的皇家隔扇畫制作領域。永德大怒,動用朝廷人馬,將這個“自稱為はせ川”的人趕出了自己的視線。那個人就是長谷川等伯。
▼評論家の室伏哲郎さんは近著『ライバル日本美術史』(創(chuàng)元社)に「永徳は、等伯のなみなみならぬ野心、タフな行動力、強力なネットワークに度肝を抜かれたことだろう」と書いた。好敵手(こうてきしゅ)現(xiàn)る、と軽くまとめては永徳に怒られよう。過労に心労が重なり、ひと月後に急逝するのだから。
評論家室伏哲郎在近期出版的《ライバル日本美術史》(創(chuàng)元社)一書中寫到:“等伯超乎尋常的野心、頑強的行動力、以及廣博的人脈,令永德非常吃驚”。”世人輕描淡寫地將(等伯的出現(xiàn))說是出現(xiàn)勁敵,激怒了晚年的永徳。也許正是因為過度勞累加上操心,一個月后永德便突然與世長辭了。
▼東京國立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た(8月 17日まで)。美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。國寶 ·重文約50點を含む名作が入れ替わり展示される。
近日我去東京國立博物館參觀了一場名為《對決-巨匠們的日本美術》的展覽(截止日期8月17日)。(舉辦方)選取了美術的十二次巔峰對決,意在借此讓觀眾領略到畫家不同的創(chuàng)作風格。這些名作被輪流展出,其中約50件屬國寶及重點文物。
▼永徳の「檜図屏風(ひのきず びょうぶ)」に隣り合い、等伯の「松林(しょうりん)図屏風」。濃く彩られた檜は、金地から飛び出す勢いだ。片や、涙でにじんだような水墨の松林は、頼りにしていた千利休と、愛息(あいそく)を続けて亡くした時期の作という。
緊挨著永德“絲柏圖屏風”的是等伯的“松林圖屏風”。前者是濃厚色彩的絲柏在金箔底色上呼之欲出;而后者是如同滲透了淚水般的水墨松林,據(jù)說這是等伯相繼失去支持他的千利休及愛子時的作品。
▼二つの國寶の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。作者は互いに目を合わさず、正面に群(むら)がる私たちに評価をゆだねる趣だ。居心地は、まあ悪かろう。どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている。
盡管上述兩幅國寶的距離不足兩米,但畫風上卻無法撞擊出火花。兩作者互不想望,只面對圍攏在旁的觀者,意在將評判權交給了我們。估計兩人都會心情頗差地低聲自語:“又和那個家伙的畫擺在一起了”。
▼この特別展は、現(xiàn)存の美術誌では世界最古という「國華(こっか)」の創(chuàng)刊120年にちなむ。宗達と光琳、円空と木喰(もくじき)、歌麿に寫楽。通し見て、文化の熱源とは先人の獨創(chuàng)を超えんとする執(zhí)念だと知った?;à蛞姢?、花となり、やがて華になる。
此次特別展,是為了紀念被稱為世界上現(xiàn)存的最古老的美術雜志-《國華》創(chuàng)刊120周年而舉辦的。宗達和光琳、円空和木喰、歌麿和寫楽。一路看來,令我明白了文化進步的能源,來自于超越前人的獨樹一幟而不斷有所創(chuàng)新的信念。由含苞待放至百花齊放,終于演繹出華麗。(暗指《國華》雜志)。
解說:
1.長谷川等伯:日本戰(zhàn)國時期最杰出的畫家之一,與狩野派的宗師狩野永德并稱“雙璧”,兩人代表了那個時代畫壇的成就。
2.円空:(1632?~1695)江戸初期の臨済宗の僧。美濃の人。生涯に12萬體の造像を発願し、諸國を遍歴、布教しながら、円空仏とよばれる仏像を多數(shù)制作した。
▼信長と秀吉に仕(つか)えた絵師、狩野永徳(えいとく)は、以後300年続く狩野派の栄華(えいが)を決定づけた。最晩年、狩野家が獨占する御所の襖(ふすま)絵制作に割り込みを策す絵師がいた。激怒(げきど)した永徳、公家(くげ)筋を動かし、その「はせ川と申す者」を外させる。長谷川等伯(とうはく)だ。
信長和秀吉的御用畫師狩野永徳,開創(chuàng)了其后300年間長盛不衰的狩野畫派。在他晚年的時候,曾經(jīng)有一位畫師企圖走進由狩野家族獨霸的皇家隔扇畫制作領域。永德大怒,動用朝廷人馬,將這個“自稱為はせ川”的人趕出了自己的視線。那個人就是長谷川等伯。
▼評論家の室伏哲郎さんは近著『ライバル日本美術史』(創(chuàng)元社)に「永徳は、等伯のなみなみならぬ野心、タフな行動力、強力なネットワークに度肝を抜かれたことだろう」と書いた。好敵手(こうてきしゅ)現(xiàn)る、と軽くまとめては永徳に怒られよう。過労に心労が重なり、ひと月後に急逝するのだから。
評論家室伏哲郎在近期出版的《ライバル日本美術史》(創(chuàng)元社)一書中寫到:“等伯超乎尋常的野心、頑強的行動力、以及廣博的人脈,令永德非常吃驚”。”世人輕描淡寫地將(等伯的出現(xiàn))說是出現(xiàn)勁敵,激怒了晚年的永徳。也許正是因為過度勞累加上操心,一個月后永德便突然與世長辭了。
▼東京國立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た(8月 17日まで)。美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。國寶 ·重文約50點を含む名作が入れ替わり展示される。
近日我去東京國立博物館參觀了一場名為《對決-巨匠們的日本美術》的展覽(截止日期8月17日)。(舉辦方)選取了美術的十二次巔峰對決,意在借此讓觀眾領略到畫家不同的創(chuàng)作風格。這些名作被輪流展出,其中約50件屬國寶及重點文物。
▼永徳の「檜図屏風(ひのきず びょうぶ)」に隣り合い、等伯の「松林(しょうりん)図屏風」。濃く彩られた檜は、金地から飛び出す勢いだ。片や、涙でにじんだような水墨の松林は、頼りにしていた千利休と、愛息(あいそく)を続けて亡くした時期の作という。
緊挨著永德“絲柏圖屏風”的是等伯的“松林圖屏風”。前者是濃厚色彩的絲柏在金箔底色上呼之欲出;而后者是如同滲透了淚水般的水墨松林,據(jù)說這是等伯相繼失去支持他的千利休及愛子時的作品。
▼二つの國寶の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。作者は互いに目を合わさず、正面に群(むら)がる私たちに評価をゆだねる趣だ。居心地は、まあ悪かろう。どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている。
盡管上述兩幅國寶的距離不足兩米,但畫風上卻無法撞擊出火花。兩作者互不想望,只面對圍攏在旁的觀者,意在將評判權交給了我們。估計兩人都會心情頗差地低聲自語:“又和那個家伙的畫擺在一起了”。
▼この特別展は、現(xiàn)存の美術誌では世界最古という「國華(こっか)」の創(chuàng)刊120年にちなむ。宗達と光琳、円空と木喰(もくじき)、歌麿に寫楽。通し見て、文化の熱源とは先人の獨創(chuàng)を超えんとする執(zhí)念だと知った?;à蛞姢?、花となり、やがて華になる。
此次特別展,是為了紀念被稱為世界上現(xiàn)存的最古老的美術雜志-《國華》創(chuàng)刊120周年而舉辦的。宗達和光琳、円空和木喰、歌麿和寫楽。一路看來,令我明白了文化進步的能源,來自于超越前人的獨樹一幟而不斷有所創(chuàng)新的信念。由含苞待放至百花齊放,終于演繹出華麗。(暗指《國華》雜志)。
解說:
1.長谷川等伯:日本戰(zhàn)國時期最杰出的畫家之一,與狩野派的宗師狩野永德并稱“雙璧”,兩人代表了那個時代畫壇的成就。
2.円空:(1632?~1695)江戸初期の臨済宗の僧。美濃の人。生涯に12萬體の造像を発願し、諸國を遍歴、布教しながら、円空仏とよばれる仏像を多數(shù)制作した。

