日語第三冊:第六課 なぞなぞ遊び4

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一、…というと(本文)
    わたしたちの子供の時(shí)分、といいますと、大正のころということになります。
    表示說起……,與「…といえば」相近。
    日本の映畫というと、大學(xué)時(shí)代に月に一、二回見に行きましたよ。
    說起日本的電影,大學(xué)時(shí)代每月去看一兩次呢。
    外國語を習(xí)うには、どうすればいいか、というと、まずよく外國語で話すことです。
    若是說怎樣學(xué)好外語,首先要經(jīng)常用外語說話。
    二、…ように思う(思われる)(本文)
    そぼくな少年少女のなぞなぞ遊びはすっかり下火になってしまったように思います。
    「ように思う」表示:我覺得似乎……
    この音楽はどこかで聞いたように思いますが。
    這首曲子我覺得在哪兒聽過。
    どこかでお會いしたことがあるように思いますが。
    我覺得似乎在哪兒見過你。
    「ように思われる」表示總覺得,總認(rèn)為。
    人の目から天を見ると、天が動いているように思われやすいです。
    用人的眼睛看天,總是容易覺得天好像是在動的。
    このマイクロカメラは外國から輸入されたもののように思われます。
    我總覺得這個(gè)微型照相機(jī)似乎是國外進(jìn)口的。
    三、…とすれば(本文)
    もしそうだとすれば、そのなぞなぞ遊びに代わる遊びは今のみなさんにとっては何でしょう。
    表示:如果是那樣做的話。
    もし外國へ留學(xué)できるとすればどこへ行きたいですか。
    如果能出國留學(xué),你想去哪兒呢?
    いくら探しても適當(dāng)な家が見つからないとすれば、しばらく會社の寮で我慢をしなければなりません。
    如果不管怎樣找都找不到合適的房子,那就只能在公司的宿舍里將就一段時(shí)間了。
    四、…というほど…ない(會話)
    飛べるというほどではない。
    「というほど」表示達(dá)到某種值得一提的程度。
    この町にはデパートというほどのデパートはありません。
    這條街上沒有像樣的百貨商場。
    風(fēng)邪を引いたけれど醫(yī)者へ行くというほどではなかった。
    感冒了但還沒到去看醫(yī)生的程度。
    五、接尾語「がる」(応用文)
    その地方の人々はめずらしがって大騒ぎをした。
    接在表示感情、感覺等心理狀態(tài)的形容詞和形容動詞詞干后面,表示第三人稱的感情、感覺。
    我們在第一冊第十三課已經(jīng)接觸過了「したい、したがる」和「ほしい、ほしがる」的用法。
    林さんは休まずによく働くので、社長にとてもかわいがられている。
    小林不知休息地工作,社長很喜歡他。
    妹はおみやげをもらって、うれしがっています。
    妹妹得到了禮物后,非常高興。
    六、…はずがない(応用文)
    昔のことですから、こんな大きな動物を計(jì)るはかりなどあるはずがない。
    表示不可能,不會。
    田中さんは昨日頭が痛くて來られないと言っていたから、今日は來るはずがない。
    因?yàn)樽蛱焯镏姓f頭疼不能來了,所以今天他不會來的。
    悪いことをしたのだから、このままですむはずがない。
    做了壞事,不可能就這樣算了。
    「そんなはずはない」是慣用詞組,用于強(qiáng)烈、明確否定對方所言的可能性。
    A:田中さんが來るそうですよ。
    B:そんなはずはない。
    A:聽說田中要來。
    B:那是不可能的。
    李さんがやったのだと、みんな言っていますが、そんなはずはありません。
    雖然大家都說那是小李做的,但那是不可能的。