日語中級:第39課 座談會

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本課課文
    西尾:陳さんは日本にいらっしゃって何年たちますか。
    陳:四年半になります。
    西尾:初めのうちはびっくりなさることもありましたでしょう。まず、料理のことから始めましょうか。日本料理はお好きですか。
    陳:あの、今は美味しいと思いますが。初は、味が分かりませんでした。特に刺身が食べられなくて、赤い身はちょっと怖いみたいで。人が食べるのも見たくなかったんですけど、でも、何回食べているうちに味が分かるようになりました。
    團(tuán):中國人の友達(dá)が教えてくれたんですけど、日本料理は『料理』じゃない。材料がいいから,[料]である。西洋料理は、材料が余りよくないから、何とかそれを食べられるように煮込んだりして、料理の方法、つまり理屈が発達(dá)したから,[理」である。「料理」と言うのは中國にしかございません、と言うんです。これは本當(dāng)にある一面を突いています。
    陳:なるほど。
    團(tuán):日本のような小さな國は、どこにでも新鮮なものを運(yùn)べるけれど、中國のような巨大な國は、海の魚を內(nèi)陸で食べることができませんですから。
    陳:ええ、內(nèi)陸の山西省では、貓も魚を食べないと言っていました。食べ物と言えば、日本に來た所,[湯」と言う看板を見て、スープを売るところだと思いました。男のスープ、女のスープ、それに松のスープ。
    西尾:あっ、男湯に女湯、それに松のスープは,[松の湯」と言うお風(fēng)呂屋さんの名前のことですね。
    陳:ええ、お腹がすいていたときに、スープの看板を見たので、入っていこうとしたら、主人は違う違う慌てて………..主人は日本で育った人ですから。
    西尾:でも、スープだけを売っている店があるなんて変に思われませんでしたか。
    陳:でも、ここは外國ですから、どんなことがあるか分かりません。
    團(tuán):陳さんは日本語を勉強(qiáng)していらっしゃって、今の「湯」のお話のように、日本語の漢字が中國と違う意味で使われていることにぶつかって、驚かれるでしょう。
    陳:ええ。えええ。
    西尾:中國の方が日本語を習(xí)うとき、初めは同じ漢字だから簡単だと思って始められるんですけど、漢字の意味が中國と違うことが分かると、似ているだけに返って難しいと思い始めるようですね。
    團(tuán):それは、僕のように、日本人で中國語を勉強(qiáng)している場合にも當(dāng)てはまりますね。
    西尾:漢字をつい自分の國の意味で読んでしまうから。
    團(tuán):それと、もう一つは、音よりも文字に頼りすぎる。
    西尾:テキストを読むとき、意味を類推しながら読む。そして、會話をするときも、一応字を頭に並べてみる。
    團(tuán):そう、日本の文字を並べて、それを中國語の発音で読んで、できた、と思ってしまう。會話に字は要らないのに、僕の頭の中に字が要る。結(jié)局は、頭の中に一度字を並べて、それを翻訳するから、早い會話には間に合わなくなる。おそらく歐米の人たちは、字に頼らないから、音から入るんじゃないんですか。
    陳:そうですね。
    團(tuán):だけど、日本字は字から入る。それは利點(diǎn)であると同時に隘路になる。これは中國の方が日本語を習(xí)う場合も同じですね。
    陳:でも、字を知らないと覚えにくいです。音だけで思えた言葉では、たびたび失敗をしました。ケッコウというところを、コッケイと言ってしまったり、それから口紅を買うとき、「唇をください」といってしまいました。
    西尾:ご無事でしたでしょうね(笑う)
    陳:けれど、私も、今は日本語の文字を無意識的に読まないようにしているんです。
    西尾:日本語の文字を中國語で読んでしまう弊害を避けるためですか。
    陳:ええ、今はその過程にいると思います。
    團(tuán):僕は中國語を勉強(qiáng)していて、も苦労するのはやっぱり四聲ですね。あれだけ聲調(diào)があることね。でも、陳さんに教えていただいているお陰で、日本語の上がり下がりが明確にわかるようになりました。僕の仕事で、歌を作るとき特に大切なとこなのです。
    陳:あっ、そうですか。でも、團(tuán)さんの聲調(diào)が上手ですね。やっぱり音楽家だから。
    西尾:耳がいいということは、言語習(xí)得に有利ですよ。
    團(tuán):いやあ、耳が良くても記憶が悪いから…….ただ、語學(xué)のものはとっても嬉しいものですね。初、中國へ行ったとき、僕は何も分からなかったんです。陳さんに習(xí)い始めてから、だんだん人が何を話しているかということが分かってきたんです。
    西尾:たとえ自分がその會話に參加できなくても……
    團(tuán):ええ、分かると言うだけで嬉しい。それが少しずつ參加できるようになってくる。そうすると、いかに上手な通訳さんがいても、直接話した方が、人間と人間のコミュニケーションができるんですね。たとえ下手でも。
    西尾:そうですね。ところで、今、中國でたいへん多くの人たちが日本語を勉強(qiáng)しています。一説には日本語の學(xué)習(xí)人口は100萬人くらいだとか。
    陳:いいえ、200萬人以上でしょう。ラジオ講座のテキストが出ると、すぐ売切れてしまいます。必要があればあるほど良く勉強(qiáng)します。
    團(tuán):「必要なきところに進(jìn)歩なし」ですね。
    西尾:ところで、日本で陳さんのテレビ講座やラジオ講座で中國語を勉強(qiáng)している人が、やはり100萬人以上はいるんじゃないですか。やはり社會的に必要だと言うことで。
    陳:ええ、或いは本當(dāng)に興味があるから。
    團(tuán):やはりそれは、以下に多くの日本人が中國との友好を求めているか、と言う表れでしょう。そして、中國の方が日本語を勉強(qiáng)なさるのは、友好と同時に、現(xiàn)代化への必要性を求めているからでしょう。
    陳:そうです。
    團(tuán):やはり、國同士に友好の意欲があるときには、互いに語學(xué)が盛んになるでしょう。國同士が互いに魅力を感じあうときは……
    陳:ええ、ええ。ですから、これから日本語を話せる中國人と、中國語を話せる日本人が、どんどん増えるでしょう。そうして、お互いに直接、交流できるようになるのは、本當(dāng)にいいことですね。
    西尾:そうですね。本當(dāng)に素晴らしいことですね。