天聲人語08年11月07日

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手與心的溫暖
    東京にある日本民藝(みんげい)館をつくった柳宗悅(やなぎ·むねよし)は、身の回りで使われている陶器や木工品など、日常の道具に美しさを見いだした人だ。それら民衆(zhòng)工蕓の美しさは、人の手で作られるからこそだと「手仕事の日本」(巖波文庫)に書いている。
    在東京開了一家日本民藝館的柳宗悅,是一個善于從身邊使用的陶器、木制品等日常生活的用具中發(fā)現(xiàn)美的人。他在著書《日本的手藝》(巖波文庫)中寫道,那些民藝之美正是通過人們的“手”設(shè)計出來的。
    手が機(jī)械と違うのは、心とつながっているからだと柳は言う。〈手はただ動くのではなく、いつも奧に心が控えていて……働きに悅(よろこ)びを與えたり、また道徳を守らせたりする〉。手仕事とは心の仕事にほかならないと、名高い目利きは唱えている。
    手工與機(jī)器的不同之處在于,“手”是與心連在一起的。柳宗悅?cè)缡钦f?!笆植⒉皇菣C(jī)械地活動著,而是一直被心所牽引著……心讓手從工作中體會到愉悅,還讓手遵守職業(yè)道德”。這位的鑒賞家倡導(dǎo)說,手藝便是心藝。
    その「手と心」の関係について、米國から愉快なニュースが屆いた。手が溫まっている人は、冷えている人に比べて、他人に対して優(yōu)しくなるそうだ。大學(xué)の研究グループが実験結(jié)果を発表した。
    從美國傳來了一個有關(guān)“手與心”關(guān)系的令人高興的消息。一個大學(xué)的研究小組公布了他們的實(shí)驗(yàn)結(jié)果。實(shí)驗(yàn)表明,與手冰冷的人相比,手溫暖的人待人會更加溫和一些。
    たとえばホットコーヒーのカップを持った人は、アイスの人より他人を好意的に評価する傾向が見られたという。溫濕布と冷濕布でも似た傾向が現(xiàn)れた。やはり手の奧には心が控えているのか。手のぬくもりは無意識のうちに心に結(jié)びつくらしい。
    他們發(fā)現(xiàn)了這樣一種傾向,比如握著熱咖啡杯子的人,比起冰咖啡的人更易于積極地評價他人。溫濕布與冷濕布的實(shí)驗(yàn)也同樣表現(xiàn)出了相似的傾向。果然,手的深處是心靈在控制著嗎。掌心的溫?zé)崴坪踉跓o意間便與心緊密相連了。
    北からは雪の便りが屆いて、きょうは立冬。季節(jié)の巡りは順調(diào)らしく、近所の雑木林は緑がだいぶ色あせた。通り雨がぱらぱらと枯れ葉を鳴らすような日には、溫かいカップを両手でそっと包むのが「心」にはいいようである。
    今天是立冬,從北方傳來了絲絲寒意。四季的輪回有條不紊的進(jìn)行著,附近的雜樹林也大都褪盡了綠意。在陣雨噼噼啪啪敲打著枯葉的日子里,兩手輕輕握著一個熱乎乎的杯子,對“心”來說也一種是不錯的慰藉。
    〈「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ〉という歌が俵萬智さんにあった。白い息に手をこすり合わせる2人が浮かぶ。「寒いね」の會話もいま、北から南へと、急ぎ足で列島を下っているのに違いない。
    詩人俵萬智有這樣一首詩歌“兩人相遇時最溫暖的莫過于相互間的一句問候'今天真冷啊'”讀了之后,不免腦海里會浮想起兩個人呼著白氣,搓著雙手互相問候的情景。而現(xiàn)在,“真冷啊”這樣的寒暄,也一定正由北向南在整個日本列島上迅速蔓延。
    柳宗悅1889-1961(明治22-昭和36)
    思想——「民藝」という言葉を生み出したことで有名な柳宗悅であるが、若き日は様々な二元に引き裂かれる人間存在にとって、可能な救いとは何かを問い求める宗教哲學(xué)者であった。そこで彼が見出したのが、二元の多様を內(nèi)包すると同時に「実在/神の閃き」を映し出す「自然」であった。そして、「自然に則る生き方」こそ、現(xiàn)世に生きる人間が「二にあって一に達(dá)する道」であると考えるようになる。