如何寫好日語文章4

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【11】難しい「です?ます」調(diào).
    【11】困難的“です?ます”文體。
    文の終わり方を「だ?である」調(diào)にするか「です?ます」調(diào)にするか迷うことがあります?「です?ます」調(diào)は、柔らかく丁寧な感じがしますが、一方ではまどろっこしさも伴います?情緒に流されやすい傾向もありますから、論理的な文章には似つかわしくないといえましょう。文章法としての歴史も淺いらしくて、まだ完成されていないともいいます。
    我們有時候會煩惱于該在句子結(jié)尾使用“だ?である”文體還是“です?ます”文體?!挨扦?ます”文體會給人一種柔和且鄭重的感覺,另一方面,也伴有生硬的感受。而且還帶有易受情緒影響的傾向,因此可以說并不適合邏輯性比較強(qiáng)的文章。其作為文章文體的歷史也尚淺,可以說是尚未完成的文體吧。
    そういえば、「だ?である」調(diào)ならどうってことないのに、「です?ます」調(diào)にすると、文の終わり方をどのようにするか悩んでしまうときが?ままあります。たとえば、「彼女は美しい」のような場合?「彼女は美しいです」とやってしまうのは、文法的には間違いとされます?!袱扦埂工吻挨藖恧毪韦?、名詞とか代名詞のように活用しない體言とされるからです。
    這樣說來,“だ?である”文體的話倒是沒問題,但是同樣的情況換成“です?ます”文體的話,煩惱著句子的結(jié)尾的要怎么辦的時候也不少。比如,像“彼女は美しい”這個句子,如果換成“彼女は美しいです”的話,這在語法上是錯誤的。因為“です”前面應(yīng)該是像名詞或代名詞這樣無活用的體言。
    こうした場合?間に「の」を入れて、「彼女は美しいのです」とやれば正しくなります?しかし、「彼女は美しい」と、「彼女は美しいのです」では、ニュアンスがかなり異なってきます?したがって、「です?ます」調(diào)で文章を書くと?表現(xiàn)がかなり制約されるという難しさがあるといえます。
    這種情況下,在中間加上“の”的話,即變成“彼女は美しいのです”,這樣就正確了。但是,“彼女は美しい”,“彼女は美しいのです”這兩個句子的語感有很大的不同。因此,如果用“です?ます”文體來寫文章的話,可以說其表達(dá)受到相當(dāng)大的限制,這可是一大難點。
    【12】「である」「のである」を連発しない。
    【12】不連續(xù)使用“である”“ のである”。
    大學(xué)教授や評論家の書いた本を読むと?文末が「である」「のである」のオンパレードになっている文章がとても多いのに気づきます。お手元にそういう本があれば?開いてみてください?面白いほど?「である」「のである」が連発されています?これらは、強(qiáng)い斷定としてたまに使うのはよいのですが?あまりに多過ぎると高飛車な印象が強(qiáng)くなり?とても鼻につく感じがします。
    當(dāng)讀了大學(xué)教授或評論家寫的書之后,覺得大多數(shù)句子結(jié)尾都是“である”和“のである”。如果你的手邊有這類的書的話,請翻開看一下。非常有趣的,你會發(fā)現(xiàn)里邊的“である”和“のである”就像是連珠炮似的。像這種情況,如果是在表達(dá)強(qiáng)烈判斷的時候,偶爾使用倒是無妨,不過如果使用過度,會給人一種盛氣凌人的感覺,并讓人生厭。
    これらの言葉を取り去っても、何ら意味は変わりませんから?控えめに使うほうがよいでしょう。
    即使去掉這些東西,文章的意思也不會有所改變,所以在使用的時候還是有所節(jié)制比較好。
    ○悪い例
    「自分は國語力がなく、読解力が人並以下ではないかと愕然とすることがあるのである。慄然といってもいい。文章を読み始めてから數(shù)十行にして途方に暮れ?進(jìn)めず?戻れず?迷い子になった気分になるのである。そして「俺は國語力がないのかもしれない」「論理的に解きほぐしていく能力に欠けているのかもしれない」と、自虐的に思ってしまうのである」
    ○よい例
    「自分は國語力がなく、読解力が人並以下ではないかと愕然とすることがある。慄然といってもいい。文章を読み始めてから數(shù)十行にして途方に暮れ?進(jìn)めず?戻れず?迷い子になった気分になってしまう。そして「俺は國語力がないのかもしれない」「論理的に解きほぐしていく能力に欠けているのかもしれない」と、自虐的に思ってしまうのだ」
    【13】「思う」「思います」を連発しない。
    【13】不要連著說“思う”“ 思います”。
    この言葉をあまり連発すると?自信がなそさそうで弱々しく感じるばかりか?かえって無責(zé)任さや慇懃無禮さも浮き出てきます?特に?小論文や感想文などは、自分の考えや意見を書くことが前提となっているのですから?そこで「思う」「思います」を使うのは、いわば二重表現(xiàn)となって、とてもくどくなります。
    如果連續(xù)不斷的使用這個詞語的話,聽起來覺得你沒有自信,給人一種軟弱的姿態(tài)。反而會暴露出你的無責(zé)任感以及獻(xiàn)媚無禮的性格。特別是在小論文和讀書筆記中,前提是要求以自己的想法和意見來寫作,因此在這些文章中使用“思う”“ 思います”的話,相當(dāng)于是形成了雙重的表現(xiàn),給人一種厭惡感。
    もう一つ気をつけたいのが、小論文の最後を、「~ではなかろうか」というように「か」で終わってはならないということです。最後を曖昧な言葉で結(jié)んでしまうと、それまで縷々述べてきたきたことが臺無しになってしまうおそれがあるからです。最後はピシッと決めましょう?
    還有一點要大家注意,在小論文的最后決不能使用類似“~ではなかろうか”這種以疑問的“か”結(jié)尾的句式。這是因為如果在文章最后使用曖昧的詞語來結(jié)束的話,那么在前面三番五次賣力強(qiáng)調(diào)的東西可能會化為烏有。最后要果斷的強(qiáng)調(diào)論點。
    自信をもって、斷定的な表現(xiàn)を使うほうが?文章はぐっと引き締まります?
    帶有自信,使用斷定式的表達(dá)方法能使文章更加緊湊。