「古都」はなんとも心地よい、優(yōu)しい感じのする物語(yǔ)である。
それは、全編を通して流れる京都弁の、穏やかな響きが大きいだろう(川端氏の意志で、あえて、京都弁ではないままに殘した部分もある)。そして又、京都の風(fēng)物や四季の移り変わりも、勿論そういった雰囲気を盛り上げている。だが、何よりも、北山杉の村の澄んだ空気感を背景に生きる苗子と、中京の呉服問(wèn)屋に拾われて育った千重子姉妹の娘らしい心の描寫(xiě)が、物語(yǔ)の優(yōu)しさを決定づけているのではないだろうか。
同じ京都を舞臺(tái)に描かれた「美しさと哀しみと」に比べても、遙かに靜かでたおやかな時(shí)間の流れ方である。
姉妹の過(guò)去に広がる背景の重さも、決してやりきれなさに通じる事なく、そこにあやどられる淡い戀愛(ài)感情もあって、靜かな柔らかさを助長(zhǎng)している。
そしてこの物語(yǔ)の特徴のひとつは、それまで知られていた、神社仏閣の散在する京都市街ではなく、外れにある北山杉の村を舞臺(tái)とした事だろう。
この場(chǎng)所は「京都」という、華やかだがしかし、尚かつ日本人の心のふるさとたる靜粛な場(chǎng)所を後ろ楯に、一層輝きを増している。
1996 年12月の初め、京都に初雪の降った翌日、私は京都駅からタクシーをチャーターして、北山杉の村(勿論今は村ではない)へ向かった。そして約一時(shí)間半、バス停を目印にその場(chǎng)所を探すと、寫(xiě)真や映畫(huà)で見(jiàn)たままの景色がそこにはあった。道路沿いの川向こう、橋を架けた先に、杉丸太を磨く家々の並んだ場(chǎng)所である。
「停めて下さい?!顾激铯貉预盲郡?、道幅は狹く、道に車(chē)を停めると、明らかに通行の邪魔になる。運(yùn)転手は杉丸太の家に架かる橋の上に遠(yuǎn)慮がちに車(chē)を乗り上げた。しかし、この辺りの人達(dá)は優(yōu)しく、運(yùn)転手が「古都」の舞臺(tái)を見(jiàn)たいという客を乗せて來(lái)た事を話すと、「そういう事なら、もっと奧迄入り」と言ってくれた。
私は安心してタクシーを離れた。せめて杉林の中に入ってみたい。道路を渡って山の上へ向かっていく石段を上ると、そこはまだ昨夜降った雪が足跡もつかないままだった。雪に舞い落とされたらしい紅葉の葉が散在している。思わず特に鮮やかな朱と黃の葉を選んで手帳に挾む。流石に杉林の奧迄はたどりつけない。けれど、私はその外れに立って、真直ぐな杉の群れを見(jiàn)上げていた。
ふと、足元を見(jiàn)ると、日陰に燈りを燈した様に、南天の実が緋色に揺れていた。杉林の中の苗子である様な気がして、思わずシャッターを切った。
杉山を降りると、川向こうの家の中で、年配の女性が獨(dú)り、丸太を磨いているのがみえた。仕事場(chǎng)の中まで入り込んで、寫(xiě)真を撮らせてもらう。彼女は快く許してくれた。本當(dāng)にこの辺りの人は優(yōu)しい。磨きは一部機(jī)械化されているのに、少しがっかりもしたが、おそらくは年々減る職人と、それに伴って高年齢化する労働者の過(guò)酷な労働を軽減する為には、他に選択肢の無(wú)い道だろう?!复髩浃适耸陇坤椁?。」彼女の言葉に、私はこの杉山の行く末を思わずにはいられなかった。
この優(yōu)しい場(chǎng)所に、頭を下げて別れを告げた。タクシーで更に北へ向かう。その先には北山杉を後世にも殘す為の、北山杉資料館があり、そこには川端康成の書(shū)いた「古都抄」の碑と、千重子、苗子の像があるのだ。
杉丸太を磨く家々のある場(chǎng)所から、北山杉資料館迄はわずかな距離なのに、その間にも、晴天だった空には雲(yún)が広がり、細(xì)かな雨も降りだした。時(shí)折ちらちらと雪も混じっている。
「周山の方から北山しぐれが來(lái)ましたんやろ。山の上の杉も……?!?BR> 苗子の聲が聞こえた様な気がした。
降っているのかいないのか、煙る様な杉山の中、資料館でタクシーを降りると、真っ先に川端康成の文學(xué)碑へと向かった。
文學(xué)碑への道には、ここにも雪に舞い落とされたらしい紅葉が、まるで敷き詰められた様に地面を覆い隠して広がり、うっすらと白粉を散らした様に雪化粧されていた。それはあたかも、美しい反物の様で、その光景に中京の呉服問(wèn)屋で育てられた千重子が、ふと頭に浮かんだ。
真っすぐな杉を背景に建つ姉妹の像と、文學(xué)碑は、心なしか寂し気に見(jiàn)えた。
「古都」の物語(yǔ)は、別々の環(huán)境で育った姉妹が千重子の家で一夜を共にし、ちらちらと雪の舞う朝、別れて行く所で終わる。姉妹としての幸福な一夜を抱いて、苗子は北山杉の村へ帰ってゆく。
優(yōu)しい物語(yǔ)のまま終わるのである。
川端康成は、「古都の続きは書(shū)きたいが、書(shū)けばこの姉妹は不幸になって行く様な気がする」という様な事を語(yǔ)っている。
北山杉資料館を後にして京都市街へ戻るが、このまま駅へ向かってしまうのは惜しい気がしていた。
「清水さんへ行って下さい?!?BR> そこは、千重子が初めて真一に自分が捨子である事を打ち明けた場(chǎng)所なのだった。
それは、全編を通して流れる京都弁の、穏やかな響きが大きいだろう(川端氏の意志で、あえて、京都弁ではないままに殘した部分もある)。そして又、京都の風(fēng)物や四季の移り変わりも、勿論そういった雰囲気を盛り上げている。だが、何よりも、北山杉の村の澄んだ空気感を背景に生きる苗子と、中京の呉服問(wèn)屋に拾われて育った千重子姉妹の娘らしい心の描寫(xiě)が、物語(yǔ)の優(yōu)しさを決定づけているのではないだろうか。
同じ京都を舞臺(tái)に描かれた「美しさと哀しみと」に比べても、遙かに靜かでたおやかな時(shí)間の流れ方である。
姉妹の過(guò)去に広がる背景の重さも、決してやりきれなさに通じる事なく、そこにあやどられる淡い戀愛(ài)感情もあって、靜かな柔らかさを助長(zhǎng)している。
そしてこの物語(yǔ)の特徴のひとつは、それまで知られていた、神社仏閣の散在する京都市街ではなく、外れにある北山杉の村を舞臺(tái)とした事だろう。
この場(chǎng)所は「京都」という、華やかだがしかし、尚かつ日本人の心のふるさとたる靜粛な場(chǎng)所を後ろ楯に、一層輝きを増している。
1996 年12月の初め、京都に初雪の降った翌日、私は京都駅からタクシーをチャーターして、北山杉の村(勿論今は村ではない)へ向かった。そして約一時(shí)間半、バス停を目印にその場(chǎng)所を探すと、寫(xiě)真や映畫(huà)で見(jiàn)たままの景色がそこにはあった。道路沿いの川向こう、橋を架けた先に、杉丸太を磨く家々の並んだ場(chǎng)所である。
「停めて下さい?!顾激铯貉预盲郡?、道幅は狹く、道に車(chē)を停めると、明らかに通行の邪魔になる。運(yùn)転手は杉丸太の家に架かる橋の上に遠(yuǎn)慮がちに車(chē)を乗り上げた。しかし、この辺りの人達(dá)は優(yōu)しく、運(yùn)転手が「古都」の舞臺(tái)を見(jiàn)たいという客を乗せて來(lái)た事を話すと、「そういう事なら、もっと奧迄入り」と言ってくれた。
私は安心してタクシーを離れた。せめて杉林の中に入ってみたい。道路を渡って山の上へ向かっていく石段を上ると、そこはまだ昨夜降った雪が足跡もつかないままだった。雪に舞い落とされたらしい紅葉の葉が散在している。思わず特に鮮やかな朱と黃の葉を選んで手帳に挾む。流石に杉林の奧迄はたどりつけない。けれど、私はその外れに立って、真直ぐな杉の群れを見(jiàn)上げていた。
ふと、足元を見(jiàn)ると、日陰に燈りを燈した様に、南天の実が緋色に揺れていた。杉林の中の苗子である様な気がして、思わずシャッターを切った。
杉山を降りると、川向こうの家の中で、年配の女性が獨(dú)り、丸太を磨いているのがみえた。仕事場(chǎng)の中まで入り込んで、寫(xiě)真を撮らせてもらう。彼女は快く許してくれた。本當(dāng)にこの辺りの人は優(yōu)しい。磨きは一部機(jī)械化されているのに、少しがっかりもしたが、おそらくは年々減る職人と、それに伴って高年齢化する労働者の過(guò)酷な労働を軽減する為には、他に選択肢の無(wú)い道だろう?!复髩浃适耸陇坤椁?。」彼女の言葉に、私はこの杉山の行く末を思わずにはいられなかった。
この優(yōu)しい場(chǎng)所に、頭を下げて別れを告げた。タクシーで更に北へ向かう。その先には北山杉を後世にも殘す為の、北山杉資料館があり、そこには川端康成の書(shū)いた「古都抄」の碑と、千重子、苗子の像があるのだ。
杉丸太を磨く家々のある場(chǎng)所から、北山杉資料館迄はわずかな距離なのに、その間にも、晴天だった空には雲(yún)が広がり、細(xì)かな雨も降りだした。時(shí)折ちらちらと雪も混じっている。
「周山の方から北山しぐれが來(lái)ましたんやろ。山の上の杉も……?!?BR> 苗子の聲が聞こえた様な気がした。
降っているのかいないのか、煙る様な杉山の中、資料館でタクシーを降りると、真っ先に川端康成の文學(xué)碑へと向かった。
文學(xué)碑への道には、ここにも雪に舞い落とされたらしい紅葉が、まるで敷き詰められた様に地面を覆い隠して広がり、うっすらと白粉を散らした様に雪化粧されていた。それはあたかも、美しい反物の様で、その光景に中京の呉服問(wèn)屋で育てられた千重子が、ふと頭に浮かんだ。
真っすぐな杉を背景に建つ姉妹の像と、文學(xué)碑は、心なしか寂し気に見(jiàn)えた。
「古都」の物語(yǔ)は、別々の環(huán)境で育った姉妹が千重子の家で一夜を共にし、ちらちらと雪の舞う朝、別れて行く所で終わる。姉妹としての幸福な一夜を抱いて、苗子は北山杉の村へ帰ってゆく。
優(yōu)しい物語(yǔ)のまま終わるのである。
川端康成は、「古都の続きは書(shū)きたいが、書(shū)けばこの姉妹は不幸になって行く様な気がする」という様な事を語(yǔ)っている。
北山杉資料館を後にして京都市街へ戻るが、このまま駅へ向かってしまうのは惜しい気がしていた。
「清水さんへ行って下さい?!?BR> そこは、千重子が初めて真一に自分が捨子である事を打ち明けた場(chǎng)所なのだった。