日本の食文化

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梅干しはまさに日本そのもの。赤い色をした梅干しを白いご飯の真ん中におくと、あっという間に「日の丸」弁當(dāng)のできあがり!だから(ちょっと苦しいかな)。梅干しは日本の伝統(tǒng)的食品。日本人にとって最も身近な食品の一つです。梅雨を迎えた日本では、各家庭や食品工場(chǎng)で梅干し作りが始まります。梅は中國(guó)から伝來(lái)したものですが、日本で獨(dú)自の梅干しが作られるようになりました。わたしたちはその驚くべきパワーに魅せられ、梅干しは健康食品として不動(dòng)の地位を築きました。日本の酸っぱい梅干しの魅力を御紹介しましょう。
    ◆梅干しの歴史
    梅の原産地は中國(guó)の長(zhǎng)江中流、湖北省の山岳部といわれています。1500年ほど以前に遣唐使(630~894)が中國(guó)から鎮(zhèn)痛?解熱作用の高い貴重な薬(漢方薬)として?烏梅(うばい)?を持ち帰ったとされています。  平安時(shí)代(794~1192)中期、村上天皇(946~966)の病気が梅干しにより回復(fù)した、といわれています。
    鎌倉(cāng)時(shí)代(1192~1333)では解毒剤として、また室町時(shí)代(1394-1573)には食欲亢進(jìn)剤として、梅干しは武士の間で用いられるようになりました。
    江戸時(shí)代(1603~1867)に入って、家庭で梅干しを漬け始めるようになり、一般庶民に広まりました。
    明治時(shí)代(1867~1911)も、梅干しは身近な保健薬であり、健康食品でした。伝染病が流行したときには大量の梅干しの需要が急増しました。
    今日も、梅干しは健康食品としてそのまま食されたり、さまざまな料理にも使われるようになりました。
    ◆梅干しに最適な「南高梅」の名前の由來(lái)
    高田貞楠が作っている梅の、梅干しに適したすばらしい品種を小山貞一が栽培し、南部(みなべ)高校教諭の竹中勝太郎が昭和40年、農(nóng)林登録しました。南部高校の略稱の?南高?とも読め、また?南部の高田梅?の略稱にもなることから南高梅と名付けました。
    ◆驚異の梅干しパワー
    梅には「三毒を斷つ」作用があります。三毒とは食の毒、血の毒、水の毒。つまり、抗菌、殺菌、解毒、整腸作用があり、それ以外にもクエン酸、ピクリン酸などの働きで、代謝、血流をよくし、肝臓や腎臓の働きを強(qiáng)化して、體內(nèi)から乳酸などを排泄し、疲労を回復(fù)させ元?dú)荬摔筏蓼埂?BR>    り物酔いにも効きます。梅干しを口に含むだけでOK.
    二日酔いや風(fēng)邪などにも効きます。梅干しを1個(gè)湯飲み茶碗に入れて箸などでよくつぶし、それに熱いお茶を注いでよくかき混ぜて飲みます。
    ◆梅干しの作り方
    1.完熟した梅を用意する。傷のあるものや蟲食いのものは取り除く。梅干しを漬ける容器を消毒しておく。
    2.へたをとる。3.やや青いものは1晩、熟したものは4~5時(shí)間水につける。
    4.ざるにあげて水をよくきる。
    5.乾いたら粗塩をまぶしながら容器に入れる。梅2キロに対して粗塩約350g.
    6.重しをする。梅の2~3倍の重さ。
    7.梅酢があがって完全につかるまで待ち、あがってきたら紫蘇を用意する。
    8.紫蘇は葉を摘み取ってよく洗って砂などを落とす。
    9.紫蘇の水をよくきってから半量の塩を入れてよくもみ、灰汁を出してすてる。殘りの半量の塩を入れて再びよくもみ、出た灰汁を捨てる。紫蘇はかたく絞る。紫蘇400gに対して塩80g.
    10.少し梅酢を垂らして鮮やかな色を出す。
    11.紫蘇を梅の上にのせる。
    12.土用を待って晴天の続く日に梅をざるに並べて3日3晩干す。1日干したら梅酢につけてまた干す。梅酢も一緒に日にあてる。
    13.再び容器に入れ、保存する。