夏も盛りのころである。郭翰という男が、あんまり暑いので、部屋から庭に下り涼をとりながら寢ていると、天に一角から何もののかが、ふわりふわりと降ってくる。(さてはて、人工衛(wèi)星でもあるまいが、一體なんだろう?)とはまさかだが、だんだん近づいて來るものを見ると、それは美しい女である。郭翰は茫然と見惚れていたが、
「あなたは一體、誰なんです?」
と訊ねると、その美しい女は、
「私は天上からやって參りました織女(天女)です?!?BR> という。
郭翰が傍らに寄ってゆくと、いとも軽やかで、さらさらと柔らかく美しい天女の衣服には、どこを眺めてもまるっきり縫い目というものがない。縫い目がないとすれば、衣服を作るのに、鋏斷ちをしたり、針縫いをしたりしないわけで、一枚の布をつくるとき、その布がそのまま著物の形につくられていなければならない。郭翰が首をひねって衣服に縫い目のない理由を訊ねると、天女はさも當(dāng)たり前といったふうで、
「私どもの著る天衣というのは、もともと針や糸など使いませんもの。」
と答えたという。
この天女の衣服に縫い目がなかったということから、詩文や書畫で、小細(xì)工がなくて、おのずから見事に、さらりとできたものを?天衣無縫?というようになった。天上から流された仙人(謫仙)といわれた唐の李白など、まさに天衣無縫の詩才というに価する。
わが國の羽衣の故事でも、天女が下界へやってきて、漁師に羽衣を取られてしまうが、天には國境がないはずだから、この天衣もやはり縫い目がなかったことだろう。
「あなたは一體、誰なんです?」
と訊ねると、その美しい女は、
「私は天上からやって參りました織女(天女)です?!?BR> という。
郭翰が傍らに寄ってゆくと、いとも軽やかで、さらさらと柔らかく美しい天女の衣服には、どこを眺めてもまるっきり縫い目というものがない。縫い目がないとすれば、衣服を作るのに、鋏斷ちをしたり、針縫いをしたりしないわけで、一枚の布をつくるとき、その布がそのまま著物の形につくられていなければならない。郭翰が首をひねって衣服に縫い目のない理由を訊ねると、天女はさも當(dāng)たり前といったふうで、
「私どもの著る天衣というのは、もともと針や糸など使いませんもの。」
と答えたという。
この天女の衣服に縫い目がなかったということから、詩文や書畫で、小細(xì)工がなくて、おのずから見事に、さらりとできたものを?天衣無縫?というようになった。天上から流された仙人(謫仙)といわれた唐の李白など、まさに天衣無縫の詩才というに価する。
わが國の羽衣の故事でも、天女が下界へやってきて、漁師に羽衣を取られてしまうが、天には國境がないはずだから、この天衣もやはり縫い目がなかったことだろう。

