「遠(yuǎn)水は近火を救わず」とは、遠(yuǎn)いものは火急の用には立たない、と言う例えであって、韓非子の「説林」に見える。
魯の穆公はその公子達(dá)を晉と荊とに仕えさせた。その頃の魯は、隣國の斉に脅かされて居たので、晉や荊の強(qiáng)國と親しくしておいて、危急の際、それらの國々から助けを得ようと言う魂膽であった。穆公のそういう考えを犁(りしょ)が諫めた。
「人を越より借りて溺死を救わんとせば、越人良く泳ぐと言えども子は必ず生きじ。失火して水を海より取らんとせば、海水多しと言えども火は必ず滅せじ。遠(yuǎn)水は近火を救わず。今、晉と荊とは彊と言えども、而も斉は近し、魯、患らくはそれ救われざらん。」
越の人は泳ぎが巧いからといって、溺れている者を助けるために越の人を呼びに行っても、間に合う筈はない。越は遠(yuǎn)國だからである。
海に水がいっぱいあるからといって、火事を消すために海の水を引こうとしたところで、その間に家は燃え盡きてしまう。晉と荊は強(qiáng)國であるが、魯と遠(yuǎn)く隔たっている。魯が隣國の斉に攻められたときには、恐らく魯の助けには為るまい。遠(yuǎn)水は近火を救う事は出來ない。
今でも年輩者が時(shí)折口にする、「遠(yuǎn)くの親戚より、近くの他人」という言葉は、この「遠(yuǎn)水は近火を救わず」から派生した言葉だ。
魯の穆公はその公子達(dá)を晉と荊とに仕えさせた。その頃の魯は、隣國の斉に脅かされて居たので、晉や荊の強(qiáng)國と親しくしておいて、危急の際、それらの國々から助けを得ようと言う魂膽であった。穆公のそういう考えを犁(りしょ)が諫めた。
「人を越より借りて溺死を救わんとせば、越人良く泳ぐと言えども子は必ず生きじ。失火して水を海より取らんとせば、海水多しと言えども火は必ず滅せじ。遠(yuǎn)水は近火を救わず。今、晉と荊とは彊と言えども、而も斉は近し、魯、患らくはそれ救われざらん。」
越の人は泳ぎが巧いからといって、溺れている者を助けるために越の人を呼びに行っても、間に合う筈はない。越は遠(yuǎn)國だからである。
海に水がいっぱいあるからといって、火事を消すために海の水を引こうとしたところで、その間に家は燃え盡きてしまう。晉と荊は強(qiáng)國であるが、魯と遠(yuǎn)く隔たっている。魯が隣國の斉に攻められたときには、恐らく魯の助けには為るまい。遠(yuǎn)水は近火を救う事は出來ない。
今でも年輩者が時(shí)折口にする、「遠(yuǎn)くの親戚より、近くの他人」という言葉は、この「遠(yuǎn)水は近火を救わず」から派生した言葉だ。

