「……するもしないも全く自分の勝手だが、作品というからには、鉄と石とカチ合って出來(lái)た火花のようなものでは駄目だ。あの太陽(yáng)の光のように無(wú)限の光源の中から湧き出して來(lái)たようなものが、これこそ真の蕓術(shù)だ。その作者こそ初めて真の蕓術(shù)家だ。そうして乃公(おれ)は……それしきのことが何だ……」
彼はそこまで考えると、いきなりベッドから跳起(はねお)きた。彼はずっと前から、原稿料で生活をして行(ゆ)きたいと考えていたが、投稿するなら、まず幸福日?qǐng)?bào)社が好かろうと規(guī)(き)めていた。そこは比較的に稿料を余計(jì)に呉(く)れるからだ。しかし、作品には一定の範(fàn)囲があるから、その範(fàn)囲を越えれば沒(méi)書(shū)になる恐れがある。範(fàn)囲も範(fàn)囲だが……現(xiàn)代の青年の脳裏にある大問(wèn)題は? なかなか少くなさそうだ。いやどっさりあるかもしれない。戀愛(ài)、結(jié)婚、家庭などと來(lái)ては?!饯Δ?、この點(diǎn)についてはたしかに多くの人が悩んでいて、ちょうど今いろいろ討論中である。では家庭を書(shū)いてみよう。それはそうとどんな風(fēng)に書(shū)こうかな……そうしなければ沒(méi)書(shū)になる恐れがあるし、わざわざ時(shí)勢(shì)に背く必要もない。それはそうと……彼はベッドから跳上(はねあが)ると、五六歩進(jìn)んでテーブルの前に行(ゆ)き、緑罫の原稿用紙を一枚取ると、ぶっつけに、やや自棄(やけ)気味にもなって、次のような題を書(shū)いた。
「幸福な家庭」
だが、彼の筆はたちどころに渋った。彼は仰向になって両眼を屋根裏に(みは)りながら、「幸福の家庭」の置場(chǎng)を考えてみた?!副本─?? 駄目だ。全く沈み切ってしまって空気までも死んでいる。よしんば家庭のまわりを高塀が、ぐるりと囲んでいるにもせよ、まさか空気を遮斷することは出來(lái)まい。つまり駄目だ! 江蘇浙江(こうそせっこう)は毎日戦爭(zhēng)の防備をしているし、福建(ふくけん)と來(lái)たらなおさら盛んだ。四川(しせん)、広東(カントン)は? ちょうど今戦爭(zhēng)の真最中だし、山東(さんとう)、河南(かなん)の方は? おお土匪(どひ)が人質(zhì)を浚(さら)ってゆく。もし人質(zhì)に取られたら、幸福な家庭はすぐに不幸な家庭になってしまう。そうかといって上海(シャンハイ)、天津(てんしん)の租界へ置けば家賃が高い。じゃ外國(guó)へ置くとしたらいい笑い話だ。雲(yún)南(うんなん)、貴州(きしゅう)は交通があまりに不便で、どんな風(fēng)だか解らん……」彼は思いめぐらしてみたが、適當(dāng)の場(chǎng)所を想い出せない。そこでA(エー)と仮定した?!附瘠扦猊ⅴ毳榨ˉ佶氓趣侨嗣孛驎?shū)き現(xiàn)わすと、読者の興味を減少するという者が少くはない。今度の俺の投稿では、これを用いない方が安全だ。それでは、どこがいいだろうかな? 湖南(こなん)も戦爭(zhēng)だ。大連(たいれん)はやはり家賃が高い。察哈爾(チチハル)、吉林(きちりん)、黒竜江(こくりゅうこう)は――、馬賊が出るというし、こいつもいけない!……」そこで、いくら考えてみても格別にこれといった所もないので、「幸福な家庭」の所在はAということに仮定した。
「つまり、この幸福の家庭がAに在ると極(き)めれば問(wèn)題はない。家庭にはもちろん一組の夫婦があって、とりもなおさず、それが主人と主婦で、自由結(jié)婚だ。彼等は四十何個(gè)條かの非常に詳細(xì)な、だから極めて平等な、十分に自由な條約を訂結(jié)(ていけつ)している。それに高等な教育と、高尚にして優(yōu)美な……しかし日本の留學(xué)生はもう流行らない。――そんなら仮りに西洋の留學(xué)生としておこう。主人はいつも洋服を著(き)て、ハードカラーはいつも雪のように真白。夫人は髪の毛に鏝(こて)をかけ、雀の巣のようなモヤモヤの中から雪白の歯を露(あら)わしているが、著物は支那服で……」
「駄目々々、そいつは駄目だ! 二十五斤だよ!」
窓の外で男の聲が聞えたので、彼は思わず頭を橫にしてみたが、カーテンは垂れているし、日の光は射し込んで目が眩むばかり。続いて木ッ端をバラ撒くような響がした。
「俺には関係の無(wú)い事だ」と思ってみたが
「何が二十五斤なのだろう?」と考えた。
「――彼等は優(yōu)美高尚で、文蕓を深く愛(ài)する。けれども幸福に生長(zhǎng)して來(lái)た人だから、ロシヤの小説は好まない……と云うのは、下等な人間が描かれることが多いからで、こうした家庭には不向なのだ。オヤ「二十五斤」だって? 関係の無(wú)いことだ。それでは、彼等はどんな本を読むのだろうか?――バイロンの詩(shī)か? それともキーツの詩(shī)か? どうもぴったりと來(lái)ないな。あー、有ったぞ。彼等は「理想の良人(おっと)」を愛(ài)読するだろう。俺はまだ読んではいないが、既に大學(xué)の教授が稱讃(しょうさん)しているというくらいなら、彼等もきっと愛(ài)読して、どこの家庭にも一つずつ備えてあるに違いない……」
彼は胃袋が虛空(からっぽ)になったのを感じた。筆を置いて、両手で頭を支えると、自分の頭はまるで二つの柱に立てかけた地球儀のようであった。
「彼等二人は、ちょうどお中食(ちゅうじき)をしているに違いない……」と彼は思った?!福郏!浮浮工系妆兢扦锨仿洌荪譬`ブルの上には真白な布が敷かれて、コックがお菜(さい)を運(yùn)んで來(lái)る。たぶん支那料理だろう。
「二十五斤」なんてことは、彼等と関係のない事だ。しかし、なぜ支那料理にするのだろう? 西洋人はいっている。支那料理は最も進(jìn)歩したものである。最も美味で、かつ衛(wèi)生的であると。彼等が支那料理を採(cǎi)るのはそのためだ。さて、一番初めに運(yùn)んで來(lái)たのは何だろうか?……」
「薪ですよ……」
彼は吃驚(びっくり)してふり返ってみると、左の肩に添うて自分の家(うち)の主婦が両眼(りょうがん)を彼の顔に物凄く釘づけして立っている。
「何だ?」
また自分の創(chuàng)作が邪魔されるのかと思ってすこぶる腹が立つ。
「薪を使い切ってしまいましたから、今日ちっとばかり買(mǎi)ったんですが。前には十斤で両吊四(リャンテウスー)だったのに、今日は両吊六(リャンテウリョウ)だというのです。私は両吊五(リャンテウウー)でもやればいいと思いますがいいでしょうか?」
「よし、よし。両吊五(リャンテウウー)でも」
「とても秤(はかり)を誤魔化(ごまか)すんですよ。薪屋はどうしても二十四斤半というのだけれど、私は二十三斤半で勘定してやればいいと思います。どうでしょうかね?」
「よし、よし。二十三斤半払ってやれ」
「それなら、五五の二十五、三五の十五……」
「ウムウム――.五五の二十五、三五の十五……」
彼もまたそれから先きが言えなくなってちょっとまごついたが、たちまち躍起となって筆を採(cǎi)り、一行ばかり書(shū)きかけた「幸福の家庭」の原稿用紙の上に數(shù)字を書(shū)き始め、しばらく勘定してからやっと頭を挙げて云った。
「五吊八(ウーテウパ)だ!」
彼はテーブルの引き出しから有りったけの銅元を攫み出し、それは二三十よりは少くないものを、拡げている妻の掌(て)の上に置き、妻が出て行(ゆ)くのを見(jiàn)て、ようやく機(jī)に向ったが、彼の頭の中は薪駄っぽの事で一杯だった。五五の二十五と、まだ頭の中は亜剌比亜(アラビア)數(shù)字で混亂していた。彼は深く息を吸って、力強(qiáng)く吐き出してみた。これで頭の中から薪駄っぽと五五の二十五と、亜剌比亜(アラビア)數(shù)字の幻影を追い出そうと思ったのだ。果して、息を吐いてから気持も尠(すくな)からず軽くなった。そこでまた恍惚として思いを馳せるのであった――
「どんな御馳走だろうな。珍奇な物でも差支えない。豚のロースの葛掛や粉海老の海參(いりこ)じゃあんまり平凡だ。乃公は是非とも彼等の食い物を「竜虎闘(りゅうことう)」にしたい。しかし「竜虎闘」とは一體どんな物かね? ある人はこれは蛇と貓を用い、広東(カントン)の貴重な料理で大きな宴會(huì)でなければ使わないと言ったが、わたしはかつて江蘇(こうそ)の飯屋の獻(xiàn)立表でこれを見(jiàn)たことがある。江蘇人は蛇や貓なんかは食うはずがないからたぶん、蛙と鰻のことを指したのであろう。一體、この主人公と夫人は、どこの土地の人に規(guī)(き)めたんだっけな?――そんな事は彼等には関係がない。どこの國(guó)の人であろうが蛇や貓、あるいは蛙や鰻を一杯くらい食ったって、幸福な家庭を傷つけるものではない。で、つまりだ、最初の一碗は「竜虎闘」としておいても決して差支えない。
そこで「竜虎闘」がテーブルの中央に置かれて、彼等は箸を著け、互いに顔を見(jiàn)合せてニッコとしながら
「My dear please.」
「Please you eat first, my dear.」
「Oh no! please you!」
と來(lái)るかな。そこで彼等は同時(shí)に箸を著け、同時(shí)に一塊(いっかい)の蛇肉を抓(つま)む。――いやいや。どうも蛇肉ではグロだ。やっぱり鰻という方がいい。そんならこの「竜虎闘」は蛙と鰻で作ったものということになるので、彼等は同時(shí)に一塊の鰻を挾む。大きさは皆同じで五五の二十五と、三五の……こいつはいけない。そして、同時(shí)に口に入れる……」
彼はそのうち我慢し切れなくなって振向いてみようかと思った。というのはたちまち背後が非常に騒々しくなり、人が二三囘往ったり來(lái)たりするのだが、それでもよく持ちこたえてざわめきの中で思いを接(つな)いでいる。
「これや少し擽(くすぐ)ったいな。こんな家庭があるだろうか。おや、おや、俺の思索はどうしてこんなに亂れるだろう。題目はこんなに好(い)いのだが出來(lái)そうも無(wú)さそうだ。
そこでと、特に留學(xué)生と規(guī)めることもないだろう。國(guó)內(nèi)で高等教育を受けた者でもいい。彼等は大學(xué)の卒業(yè)生だ。高尚で優(yōu)美で、高尚で……。男は文學(xué)者だし、女も文學(xué)者だ。あるいは文學(xué)の崇拝者でもいい。また、女は詩(shī)人で、男は詩(shī)人崇拝家、フェミニスト、あるいは……」
堪(こら)え切れなくなって彼はふり返ってみた。すると、彼の背後の本棚の脇には已(すで)に一山の白菜置場(chǎng)が出現(xiàn)している。下層は三株、真中が二株、上が一株で、彼に向ってはなはだ大きなA字を畳み上げている。
「ああ!」
彼は驚きの歎息を発した。それと同時(shí)に顔が熱くなって、脊骨をたくさんの針にでも刺されるように感じた?!弗ΕΕΑ工缺摔嫌坤はⅳ蛲陇い?、脊骨の針を除こうと思いながら、それでも考え続けるのだった?!感腋¥始彝ァ工尾课荬蠋冥い?、それに物置もあることだろうから、白菜みたいな物はそっちの方にやっておくさ。主人公の書(shū)斎は別に一間あって、壁は一面の書(shū)棚で埋っているから、その附近にはもちろん、白菜なぞは積んで置かれはしない。書(shū)棚には支那の書(shū)物、外國(guó)の書(shū)物、例の「理想の良人(おっと)」もある訳(わけ)だな。――上下二冊(cè)揃だ。寢室がまた一間あって、真鍮のベッドかな。それとも質(zhì)素を旨として第一監(jiān)獄工場(chǎng)で作った楡の木のベッドでもいいが。ベッドの下は非常に清潔だ……」
彼は自分のベッドの下に眼を呉れると、薪はもう使い切らして、縄が一本、死んだ蛇のように物憂く橫たわっている。
「二十三斤半……」
彼が薪がまもなくベッドの下に行水(ゆくみず)の流れは絶えず進(jìn)んで來(lái)るのを予想すると頭の中がまたガサガサになって入口へ行って門(mén)を締めようと思った。しかし両手を門(mén)に掛けると、すぐに、これは少し気短かに過(guò)ぎると感じて、出しかけた手を引込め、埃のたくさん溜った布簾(カーテン)を放下(ほか)した。こういう風(fēng)だと自己を守って閉じ籠るほどの強(qiáng)情もなく、また門(mén)戸を開(kāi)放する不安もないのだから、これこそはなはだ「中庸の道」に合するものだと思ってもみた。
「……だから主人公の書(shū)斎のドアは、とこしえに締めておくものだ」
彼は席に戻って來(lái)て腰を下した。
「用事があって相談したいなら、まずドアをノックして、許可を得てから入って來(lái)る。この方法は実際いい。たとい主人公が自分の部屋に坐して主婦が來(lái)て文蕓の話をするにもせよ、まず第一にドアがノックされねばならぬ。――こういう風(fēng)なら安心していられる。彼女が白菜なぞを抱え込んで來(lái)るはずがないのだから
「Come in, please my dear.」
しかしだ。主人公が文蕓なぞを語(yǔ)っている閑がない時(shí)にはどうしたものだろう。いっそ放(ほ)ったらかしておくか。彼女が外に立って、いつまでもドンドン叩いていたら? そんなことはまずまず出來(lái)ないことだ。そういうことは、ひょっとすると、「理想の良人」の中に出ているかもしれない。あれはたしかにいい小説に違いない。今度原稿料が入ったら一冊(cè)買(mǎi)ってみてやろう……」
ピシャリ!
彼の腰ッ骨は、ピンとなった。と云うのもこれまでの経験で、このピシャリの音は、妻が三つになる女の子の頭をひっぱたく音だからだ。
「幸福な家庭……」彼は子供のしゃくり上げる聲を聞きつけた。
彼はまだ腰をピンとさせたまま考えていた。
「子供は遅く出來(lái)るものは遅く出來(lái)るが、あるいはいっそない方がいいのかもしれない。二人でキレイさっぱりと――あるいはいっそ下宿住まいをする方がいいのかもしれない、あとは何もかもあいつ等に請(qǐng)負(fù)わせて、自分一人でキレイさっぱりと」
啜り泣きの聲がますます大きくなってきたので、彼はまたも立上り、門(mén)幕(カーテン)を潛(くぐ)り出て、「マルクスは子供の泣聲の中でも、資本論を書(shū)き上げたから彼は偉人である……」と、考えながら、外に出て風(fēng)除けの戸を開(kāi)けると、石油の匂いがぷんとした。子供は門(mén)の右辺に橫たわって顔を地面(じべた)に向けていたが、彼の顔を見(jiàn)るとわっと泣き出した。
「おお、よしよし。泣くでないぞ泣くでないぞ。好い子だ」
と、彼は腰を曲げて女の子を抱いた。
彼が子供を抱いて行(ゆ)こうとすると、門(mén)の左の所には妻が立っていて、腰骨を真直ぐにして両手を腰に置き、怒気憤々(どきふんぷん)としてさながら體操の操練(そうれん)でも始めそうな勢(shì)(いきおい)。
「あなたまでもわたしを馬鹿にするんだね。人の仕事の手伝いもしないで、邪魔するだけだ。――その上、洋燈(ランプ)をひっくりかえしったら晩には何を點(diǎn)(つ)けるんです?……」
「おお、よしよし、泣くでないぞ泣くでないぞ」
彼は顫(ふる)え聲を跡に殘して子供を部屋に抱き入れ、頭を撫でて「好い子だ好い子だ」といいながら下へ卸し、椅子を引寄せて子供を両膝の間に置いて坐し、手を上げて言った。「泣くでないぞ、好い子だから、お父さんはね、貓が顔を洗うところを見(jiàn)せてやるぞ」と、彼は首を伸してペロリと舌を出し、手の掌(ひら)を離して二度ばかり空(くう)を舐めて、その手で自分の顔の上に円を描いてみせた。
「あ、ははは、乞食」
子供はすぐに笑い出した。
「そうそう、乞食だ」
彼はまたしてもいくつも円を描いてようやく手を休めてみると、子供はにこにこ笑いながら、涙に濡れている眼で彼を見(jiàn)ている。何んと云う可愛(ài)らしい、天真な顔だろうと彼は思った。ちょうど五年ばかり前、この子の母親の脣(くちびる)がこんなに真紅(まっか)だったが、これはその縮少(しゅくしょう)だと思えばいいだろう。あの時(shí)は晴れ渡った冬の日で、彼女は、俺がどんな障害にも反抗し、彼女のためであったなら甘んじて犠牲になると云うのを聴いて、この通りに莞爾(にっこ)と笑いながら、涙で一杯になった眼で俺を見(jiàn)たのではなかったか。彼はぼんやりして、そこに坐ったまま、少しは醉(え)い心地になった。
「ああ、可愛(ài)い脣……」
と、彼は思いに耽っていた。
突然だった。カーテンが開(kāi)かれて、薪が運(yùn)ばれて來(lái)た。彼はハッとした。子供はまだ涙で一杯になった眼で、真紅(まっか)な脣を開(kāi)(あ)いたまま彼を見(jiàn)ている。
「脣……」
彼が側(cè)(そば)に眼を呉れた時(shí)は、薪はもう運(yùn)ばれていた?!浮饯椁蠈?lái)これもまた五五の二五、九九八十一にでもなるんだろう! 二つの眼玉を気味悪く光らせて……」彼はこう思いながら、表題だけ書(shū)いた原稿用紙と計(jì)算の數(shù)字を書(shū)いた原稿用紙を手荒く引張り出し、それを揉苦茶(もみくちゃ)にしてまた引き延ばし、子供の涙や鼻涕(はなじる)を拭き取った。
「好い子だから向うへ行って一人でお遊び」
彼は子供を推しのけながら、紙を丸めて力任せに紙屑籠の中に拋り込んだ。
彼は子供にも、フイと飽き足らなくなったが、重ねてまた振返えると子供がヨチヨチ部屋を出て行(ゆ)くのを見(jiàn)た。耳には木ッ端の音を聞きながら。
彼は気を落著(おちつ)けようとして眼を閉じ、雑念を拒止(きょし)して心を落著けて腰を下した。彼は一つのひらたい丸い黒い花が、黃橙(おうとう)の心(しん)をなして浮き出し左眼(さがん)の左角(ひだりかど)から漂うて右に到って消え失せた。続いて一つの明緑花(めいりょくか)と黒緑色(こくりょくしょく)の心と、続いて六株(むかぶ)の白菜の積荷がきッぱりと彼に向ってはなはだ大きなA字を形成した。
彼はそこまで考えると、いきなりベッドから跳起(はねお)きた。彼はずっと前から、原稿料で生活をして行(ゆ)きたいと考えていたが、投稿するなら、まず幸福日?qǐng)?bào)社が好かろうと規(guī)(き)めていた。そこは比較的に稿料を余計(jì)に呉(く)れるからだ。しかし、作品には一定の範(fàn)囲があるから、その範(fàn)囲を越えれば沒(méi)書(shū)になる恐れがある。範(fàn)囲も範(fàn)囲だが……現(xiàn)代の青年の脳裏にある大問(wèn)題は? なかなか少くなさそうだ。いやどっさりあるかもしれない。戀愛(ài)、結(jié)婚、家庭などと來(lái)ては?!饯Δ?、この點(diǎn)についてはたしかに多くの人が悩んでいて、ちょうど今いろいろ討論中である。では家庭を書(shū)いてみよう。それはそうとどんな風(fēng)に書(shū)こうかな……そうしなければ沒(méi)書(shū)になる恐れがあるし、わざわざ時(shí)勢(shì)に背く必要もない。それはそうと……彼はベッドから跳上(はねあが)ると、五六歩進(jìn)んでテーブルの前に行(ゆ)き、緑罫の原稿用紙を一枚取ると、ぶっつけに、やや自棄(やけ)気味にもなって、次のような題を書(shū)いた。
「幸福な家庭」
だが、彼の筆はたちどころに渋った。彼は仰向になって両眼を屋根裏に(みは)りながら、「幸福の家庭」の置場(chǎng)を考えてみた?!副本─?? 駄目だ。全く沈み切ってしまって空気までも死んでいる。よしんば家庭のまわりを高塀が、ぐるりと囲んでいるにもせよ、まさか空気を遮斷することは出來(lái)まい。つまり駄目だ! 江蘇浙江(こうそせっこう)は毎日戦爭(zhēng)の防備をしているし、福建(ふくけん)と來(lái)たらなおさら盛んだ。四川(しせん)、広東(カントン)は? ちょうど今戦爭(zhēng)の真最中だし、山東(さんとう)、河南(かなん)の方は? おお土匪(どひ)が人質(zhì)を浚(さら)ってゆく。もし人質(zhì)に取られたら、幸福な家庭はすぐに不幸な家庭になってしまう。そうかといって上海(シャンハイ)、天津(てんしん)の租界へ置けば家賃が高い。じゃ外國(guó)へ置くとしたらいい笑い話だ。雲(yún)南(うんなん)、貴州(きしゅう)は交通があまりに不便で、どんな風(fēng)だか解らん……」彼は思いめぐらしてみたが、適當(dāng)の場(chǎng)所を想い出せない。そこでA(エー)と仮定した?!附瘠扦猊ⅴ毳榨ˉ佶氓趣侨嗣孛驎?shū)き現(xiàn)わすと、読者の興味を減少するという者が少くはない。今度の俺の投稿では、これを用いない方が安全だ。それでは、どこがいいだろうかな? 湖南(こなん)も戦爭(zhēng)だ。大連(たいれん)はやはり家賃が高い。察哈爾(チチハル)、吉林(きちりん)、黒竜江(こくりゅうこう)は――、馬賊が出るというし、こいつもいけない!……」そこで、いくら考えてみても格別にこれといった所もないので、「幸福な家庭」の所在はAということに仮定した。
「つまり、この幸福の家庭がAに在ると極(き)めれば問(wèn)題はない。家庭にはもちろん一組の夫婦があって、とりもなおさず、それが主人と主婦で、自由結(jié)婚だ。彼等は四十何個(gè)條かの非常に詳細(xì)な、だから極めて平等な、十分に自由な條約を訂結(jié)(ていけつ)している。それに高等な教育と、高尚にして優(yōu)美な……しかし日本の留學(xué)生はもう流行らない。――そんなら仮りに西洋の留學(xué)生としておこう。主人はいつも洋服を著(き)て、ハードカラーはいつも雪のように真白。夫人は髪の毛に鏝(こて)をかけ、雀の巣のようなモヤモヤの中から雪白の歯を露(あら)わしているが、著物は支那服で……」
「駄目々々、そいつは駄目だ! 二十五斤だよ!」
窓の外で男の聲が聞えたので、彼は思わず頭を橫にしてみたが、カーテンは垂れているし、日の光は射し込んで目が眩むばかり。続いて木ッ端をバラ撒くような響がした。
「俺には関係の無(wú)い事だ」と思ってみたが
「何が二十五斤なのだろう?」と考えた。
「――彼等は優(yōu)美高尚で、文蕓を深く愛(ài)する。けれども幸福に生長(zhǎng)して來(lái)た人だから、ロシヤの小説は好まない……と云うのは、下等な人間が描かれることが多いからで、こうした家庭には不向なのだ。オヤ「二十五斤」だって? 関係の無(wú)いことだ。それでは、彼等はどんな本を読むのだろうか?――バイロンの詩(shī)か? それともキーツの詩(shī)か? どうもぴったりと來(lái)ないな。あー、有ったぞ。彼等は「理想の良人(おっと)」を愛(ài)読するだろう。俺はまだ読んではいないが、既に大學(xué)の教授が稱讃(しょうさん)しているというくらいなら、彼等もきっと愛(ài)読して、どこの家庭にも一つずつ備えてあるに違いない……」
彼は胃袋が虛空(からっぽ)になったのを感じた。筆を置いて、両手で頭を支えると、自分の頭はまるで二つの柱に立てかけた地球儀のようであった。
「彼等二人は、ちょうどお中食(ちゅうじき)をしているに違いない……」と彼は思った?!福郏!浮浮工系妆兢扦锨仿洌荪譬`ブルの上には真白な布が敷かれて、コックがお菜(さい)を運(yùn)んで來(lái)る。たぶん支那料理だろう。
「二十五斤」なんてことは、彼等と関係のない事だ。しかし、なぜ支那料理にするのだろう? 西洋人はいっている。支那料理は最も進(jìn)歩したものである。最も美味で、かつ衛(wèi)生的であると。彼等が支那料理を採(cǎi)るのはそのためだ。さて、一番初めに運(yùn)んで來(lái)たのは何だろうか?……」
「薪ですよ……」
彼は吃驚(びっくり)してふり返ってみると、左の肩に添うて自分の家(うち)の主婦が両眼(りょうがん)を彼の顔に物凄く釘づけして立っている。
「何だ?」
また自分の創(chuàng)作が邪魔されるのかと思ってすこぶる腹が立つ。
「薪を使い切ってしまいましたから、今日ちっとばかり買(mǎi)ったんですが。前には十斤で両吊四(リャンテウスー)だったのに、今日は両吊六(リャンテウリョウ)だというのです。私は両吊五(リャンテウウー)でもやればいいと思いますがいいでしょうか?」
「よし、よし。両吊五(リャンテウウー)でも」
「とても秤(はかり)を誤魔化(ごまか)すんですよ。薪屋はどうしても二十四斤半というのだけれど、私は二十三斤半で勘定してやればいいと思います。どうでしょうかね?」
「よし、よし。二十三斤半払ってやれ」
「それなら、五五の二十五、三五の十五……」
「ウムウム――.五五の二十五、三五の十五……」
彼もまたそれから先きが言えなくなってちょっとまごついたが、たちまち躍起となって筆を採(cǎi)り、一行ばかり書(shū)きかけた「幸福の家庭」の原稿用紙の上に數(shù)字を書(shū)き始め、しばらく勘定してからやっと頭を挙げて云った。
「五吊八(ウーテウパ)だ!」
彼はテーブルの引き出しから有りったけの銅元を攫み出し、それは二三十よりは少くないものを、拡げている妻の掌(て)の上に置き、妻が出て行(ゆ)くのを見(jiàn)て、ようやく機(jī)に向ったが、彼の頭の中は薪駄っぽの事で一杯だった。五五の二十五と、まだ頭の中は亜剌比亜(アラビア)數(shù)字で混亂していた。彼は深く息を吸って、力強(qiáng)く吐き出してみた。これで頭の中から薪駄っぽと五五の二十五と、亜剌比亜(アラビア)數(shù)字の幻影を追い出そうと思ったのだ。果して、息を吐いてから気持も尠(すくな)からず軽くなった。そこでまた恍惚として思いを馳せるのであった――
「どんな御馳走だろうな。珍奇な物でも差支えない。豚のロースの葛掛や粉海老の海參(いりこ)じゃあんまり平凡だ。乃公は是非とも彼等の食い物を「竜虎闘(りゅうことう)」にしたい。しかし「竜虎闘」とは一體どんな物かね? ある人はこれは蛇と貓を用い、広東(カントン)の貴重な料理で大きな宴會(huì)でなければ使わないと言ったが、わたしはかつて江蘇(こうそ)の飯屋の獻(xiàn)立表でこれを見(jiàn)たことがある。江蘇人は蛇や貓なんかは食うはずがないからたぶん、蛙と鰻のことを指したのであろう。一體、この主人公と夫人は、どこの土地の人に規(guī)(き)めたんだっけな?――そんな事は彼等には関係がない。どこの國(guó)の人であろうが蛇や貓、あるいは蛙や鰻を一杯くらい食ったって、幸福な家庭を傷つけるものではない。で、つまりだ、最初の一碗は「竜虎闘」としておいても決して差支えない。
そこで「竜虎闘」がテーブルの中央に置かれて、彼等は箸を著け、互いに顔を見(jiàn)合せてニッコとしながら
「My dear please.」
「Please you eat first, my dear.」
「Oh no! please you!」
と來(lái)るかな。そこで彼等は同時(shí)に箸を著け、同時(shí)に一塊(いっかい)の蛇肉を抓(つま)む。――いやいや。どうも蛇肉ではグロだ。やっぱり鰻という方がいい。そんならこの「竜虎闘」は蛙と鰻で作ったものということになるので、彼等は同時(shí)に一塊の鰻を挾む。大きさは皆同じで五五の二十五と、三五の……こいつはいけない。そして、同時(shí)に口に入れる……」
彼はそのうち我慢し切れなくなって振向いてみようかと思った。というのはたちまち背後が非常に騒々しくなり、人が二三囘往ったり來(lái)たりするのだが、それでもよく持ちこたえてざわめきの中で思いを接(つな)いでいる。
「これや少し擽(くすぐ)ったいな。こんな家庭があるだろうか。おや、おや、俺の思索はどうしてこんなに亂れるだろう。題目はこんなに好(い)いのだが出來(lái)そうも無(wú)さそうだ。
そこでと、特に留學(xué)生と規(guī)めることもないだろう。國(guó)內(nèi)で高等教育を受けた者でもいい。彼等は大學(xué)の卒業(yè)生だ。高尚で優(yōu)美で、高尚で……。男は文學(xué)者だし、女も文學(xué)者だ。あるいは文學(xué)の崇拝者でもいい。また、女は詩(shī)人で、男は詩(shī)人崇拝家、フェミニスト、あるいは……」
堪(こら)え切れなくなって彼はふり返ってみた。すると、彼の背後の本棚の脇には已(すで)に一山の白菜置場(chǎng)が出現(xiàn)している。下層は三株、真中が二株、上が一株で、彼に向ってはなはだ大きなA字を畳み上げている。
「ああ!」
彼は驚きの歎息を発した。それと同時(shí)に顔が熱くなって、脊骨をたくさんの針にでも刺されるように感じた?!弗ΕΕΑ工缺摔嫌坤はⅳ蛲陇い?、脊骨の針を除こうと思いながら、それでも考え続けるのだった?!感腋¥始彝ァ工尾课荬蠋冥い?、それに物置もあることだろうから、白菜みたいな物はそっちの方にやっておくさ。主人公の書(shū)斎は別に一間あって、壁は一面の書(shū)棚で埋っているから、その附近にはもちろん、白菜なぞは積んで置かれはしない。書(shū)棚には支那の書(shū)物、外國(guó)の書(shū)物、例の「理想の良人(おっと)」もある訳(わけ)だな。――上下二冊(cè)揃だ。寢室がまた一間あって、真鍮のベッドかな。それとも質(zhì)素を旨として第一監(jiān)獄工場(chǎng)で作った楡の木のベッドでもいいが。ベッドの下は非常に清潔だ……」
彼は自分のベッドの下に眼を呉れると、薪はもう使い切らして、縄が一本、死んだ蛇のように物憂く橫たわっている。
「二十三斤半……」
彼が薪がまもなくベッドの下に行水(ゆくみず)の流れは絶えず進(jìn)んで來(lái)るのを予想すると頭の中がまたガサガサになって入口へ行って門(mén)を締めようと思った。しかし両手を門(mén)に掛けると、すぐに、これは少し気短かに過(guò)ぎると感じて、出しかけた手を引込め、埃のたくさん溜った布簾(カーテン)を放下(ほか)した。こういう風(fēng)だと自己を守って閉じ籠るほどの強(qiáng)情もなく、また門(mén)戸を開(kāi)放する不安もないのだから、これこそはなはだ「中庸の道」に合するものだと思ってもみた。
「……だから主人公の書(shū)斎のドアは、とこしえに締めておくものだ」
彼は席に戻って來(lái)て腰を下した。
「用事があって相談したいなら、まずドアをノックして、許可を得てから入って來(lái)る。この方法は実際いい。たとい主人公が自分の部屋に坐して主婦が來(lái)て文蕓の話をするにもせよ、まず第一にドアがノックされねばならぬ。――こういう風(fēng)なら安心していられる。彼女が白菜なぞを抱え込んで來(lái)るはずがないのだから
「Come in, please my dear.」
しかしだ。主人公が文蕓なぞを語(yǔ)っている閑がない時(shí)にはどうしたものだろう。いっそ放(ほ)ったらかしておくか。彼女が外に立って、いつまでもドンドン叩いていたら? そんなことはまずまず出來(lái)ないことだ。そういうことは、ひょっとすると、「理想の良人」の中に出ているかもしれない。あれはたしかにいい小説に違いない。今度原稿料が入ったら一冊(cè)買(mǎi)ってみてやろう……」
ピシャリ!
彼の腰ッ骨は、ピンとなった。と云うのもこれまでの経験で、このピシャリの音は、妻が三つになる女の子の頭をひっぱたく音だからだ。
「幸福な家庭……」彼は子供のしゃくり上げる聲を聞きつけた。
彼はまだ腰をピンとさせたまま考えていた。
「子供は遅く出來(lái)るものは遅く出來(lái)るが、あるいはいっそない方がいいのかもしれない。二人でキレイさっぱりと――あるいはいっそ下宿住まいをする方がいいのかもしれない、あとは何もかもあいつ等に請(qǐng)負(fù)わせて、自分一人でキレイさっぱりと」
啜り泣きの聲がますます大きくなってきたので、彼はまたも立上り、門(mén)幕(カーテン)を潛(くぐ)り出て、「マルクスは子供の泣聲の中でも、資本論を書(shū)き上げたから彼は偉人である……」と、考えながら、外に出て風(fēng)除けの戸を開(kāi)けると、石油の匂いがぷんとした。子供は門(mén)の右辺に橫たわって顔を地面(じべた)に向けていたが、彼の顔を見(jiàn)るとわっと泣き出した。
「おお、よしよし。泣くでないぞ泣くでないぞ。好い子だ」
と、彼は腰を曲げて女の子を抱いた。
彼が子供を抱いて行(ゆ)こうとすると、門(mén)の左の所には妻が立っていて、腰骨を真直ぐにして両手を腰に置き、怒気憤々(どきふんぷん)としてさながら體操の操練(そうれん)でも始めそうな勢(shì)(いきおい)。
「あなたまでもわたしを馬鹿にするんだね。人の仕事の手伝いもしないで、邪魔するだけだ。――その上、洋燈(ランプ)をひっくりかえしったら晩には何を點(diǎn)(つ)けるんです?……」
「おお、よしよし、泣くでないぞ泣くでないぞ」
彼は顫(ふる)え聲を跡に殘して子供を部屋に抱き入れ、頭を撫でて「好い子だ好い子だ」といいながら下へ卸し、椅子を引寄せて子供を両膝の間に置いて坐し、手を上げて言った。「泣くでないぞ、好い子だから、お父さんはね、貓が顔を洗うところを見(jiàn)せてやるぞ」と、彼は首を伸してペロリと舌を出し、手の掌(ひら)を離して二度ばかり空(くう)を舐めて、その手で自分の顔の上に円を描いてみせた。
「あ、ははは、乞食」
子供はすぐに笑い出した。
「そうそう、乞食だ」
彼はまたしてもいくつも円を描いてようやく手を休めてみると、子供はにこにこ笑いながら、涙に濡れている眼で彼を見(jiàn)ている。何んと云う可愛(ài)らしい、天真な顔だろうと彼は思った。ちょうど五年ばかり前、この子の母親の脣(くちびる)がこんなに真紅(まっか)だったが、これはその縮少(しゅくしょう)だと思えばいいだろう。あの時(shí)は晴れ渡った冬の日で、彼女は、俺がどんな障害にも反抗し、彼女のためであったなら甘んじて犠牲になると云うのを聴いて、この通りに莞爾(にっこ)と笑いながら、涙で一杯になった眼で俺を見(jiàn)たのではなかったか。彼はぼんやりして、そこに坐ったまま、少しは醉(え)い心地になった。
「ああ、可愛(ài)い脣……」
と、彼は思いに耽っていた。
突然だった。カーテンが開(kāi)かれて、薪が運(yùn)ばれて來(lái)た。彼はハッとした。子供はまだ涙で一杯になった眼で、真紅(まっか)な脣を開(kāi)(あ)いたまま彼を見(jiàn)ている。
「脣……」
彼が側(cè)(そば)に眼を呉れた時(shí)は、薪はもう運(yùn)ばれていた?!浮饯椁蠈?lái)これもまた五五の二五、九九八十一にでもなるんだろう! 二つの眼玉を気味悪く光らせて……」彼はこう思いながら、表題だけ書(shū)いた原稿用紙と計(jì)算の數(shù)字を書(shū)いた原稿用紙を手荒く引張り出し、それを揉苦茶(もみくちゃ)にしてまた引き延ばし、子供の涙や鼻涕(はなじる)を拭き取った。
「好い子だから向うへ行って一人でお遊び」
彼は子供を推しのけながら、紙を丸めて力任せに紙屑籠の中に拋り込んだ。
彼は子供にも、フイと飽き足らなくなったが、重ねてまた振返えると子供がヨチヨチ部屋を出て行(ゆ)くのを見(jiàn)た。耳には木ッ端の音を聞きながら。
彼は気を落著(おちつ)けようとして眼を閉じ、雑念を拒止(きょし)して心を落著けて腰を下した。彼は一つのひらたい丸い黒い花が、黃橙(おうとう)の心(しん)をなして浮き出し左眼(さがん)の左角(ひだりかど)から漂うて右に到って消え失せた。続いて一つの明緑花(めいりょくか)と黒緑色(こくりょくしょく)の心と、続いて六株(むかぶ)の白菜の積荷がきッぱりと彼に向ってはなはだ大きなA字を形成した。