高度経済成長を可能にした要因は…

字號:

ジョーンズ氏:日本は世界の中で、現(xiàn)在もGNP第二位を保っていますね。日本の戦後の発展について、少しご説明いただけますか日本はどうやって戦後の荒廃から経済大國へと成長してきたのですか。
    鈴木氏:戦後の日本経済の動きは、大きく3つの時期に分けられると思います。まず、1945年から50年代前半までの復(fù)興期、ついで50年代から60年代までの高度成長期、そして70年代以後の安定成長期です。
    ジョーンズ氏:終戦直後の日本経済はどんな狀況だったのですか。
    鈴木氏:鉱工業(yè)生産は、1941年の水準(zhǔn)の和すか7分の1に低下し、厳しい食糧とインフレーションに悩まされていました。
    ジョーンズ氏:それによって、日本経済はどのようにそうした経済はどのように変革したのですか。
    鈴木氏:まず、財閥の解體によって、新しい世代の企業(yè)家精神旺盛な経営者が現(xiàn)れ、競爭の活発になりました。また、農(nóng)地制度のに改革によって、農(nóng)民は自作農(nóng)になりました。そのため農(nóng)民の勤労意欲も高まり、農(nóng)業(yè)の近代化が進(jìn)みました。そして、労働権の確立については、労働具合の合法化が大きな點で、これによって労使関係安定の基盤ができました。
    ジョーンズ氏:資材や資金が不足していたはずですが、どんな対応をしていたのですか。
    鈴木氏:1947 年から、「傾斜生産方式」を?qū)g施したんです。どれによって、石炭と鉄鋼の生産に資材?労働?資金を集中的に投入することになったんです。この2つのものが、経済全體が必要としている資材の2大基礎(chǔ)素材と考えられていたからです。その後、1949年に連合國軍は、いわゆる「ドッジライン」という厳しい財政、金融引き締めの方針を制定しました。それによって、日本の経済は深刻なデフレに落ち込みました。これから立ち直るきっかけになったのは、1950年に始まった朝鮮動亂による特需です。
    ジョーンズ氏:なるほど、そして日本経済はいよいよ高度成長期に入るわけですね。
    鈴木氏:そのとおりです。1955年から60年代にかけて、実質(zhì)平均成長率は、ほぼ10%になりました。77年には、日本のGNPは、ついに自由経済社會で世界第二位に躍進(jìn)しました。一方、その代償として消費者物価はたえず上昇し、公開問題などが起こってきたのです。
    ジョーンズ氏:日本経済が
    そんなに行動成長した原因はなんなのですか。
    鈴木氏:それには意見がいろいろあります。私なりに要約しますと。
    (1)各企業(yè)の積極的な新技術(shù)と設(shè)備導(dǎo)入。
    (2)教育水準(zhǔn)の高い、豊富な労働力
    (3)資源?エネルギ-の大量輸入
    (4)輸出市場の拡大
    (5)政治や社會の安定および労使関係の安定
    (6)小さな防衛(wèi)費
    などになります。
    ジョーンズ氏:それに、日本人の勤勉さも要因になっていませんか。
    鈴木氏:「先進(jìn)國に追いつき追い越せ」を合言葉に國民全體が団結(jié)して努力してきたことも事実です。
    ジョーンズ氏:その後、日本経済が高度成長を維持できなかったのは、なぜなんですか。www.YouTheme.cn編注!
    鈴木氏:ひとつは、1949年以後続いた1ドル360円の固定為替レードが廃止されたことです。円はいったん切り上げられ、その後、変動相場制に移行しました。されに、73年の第一次石油危機によって原油価格が40%も上がり、続いて各種輸入原材料も値上がりしました。その結(jié)果、1975年から1984年の10年間、日本経済の平均成長率は約4%に低下したんです。
    ジョーンズ氏:最近の円高で、私たちにも現(xiàn)実に日本のホテル代や物価が、ドル価に直すと、とても高く感じられます。
    鈴木氏:そうでしょうね。あまりに急激な円高と最近の貿(mào)易摩擦の緊迫化によって、特に輸入産業(yè)は、生き殘るための対応に苦慮しているのは現(xiàn)狀です。