趣味日語:我解放了日本的女性

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「松下電器は人を作っている會社です。あわせて電気製品も作っています?!工?、獨特の経営理念を掲げる創(chuàng)立者の松下幸之助さんは、足軽から天下人となってた豊臣秀吉によくたとえられます。
    松下さんは九歳で火鉢屋に奉公し、ある時子守りをしながらベーゴマに熱中し、おんぶしていた親方の子供地面に頭をぶっつけて大聲で泣きます。とっさに近くの菓子屋に飛び込み、饅頭を一つ勝って子供に持たせ、やっと泣き止んだそうですが、戸のおまんじゅうは一つ一銭で、松下の給金の三日分だった8***と、自敘伝述べておられます。
    この後自転車屋から電燈會社の見習い工になり、やがてソケットの改良に熱中して二十三歳で獨立、多くの苦難を乗り越えて今日の松下電器に育て上げました。
    松下さんは、小學校中退、関西商工學校夜間部中退と言う學歴ですが、著書も多く、ベストセラーに數(shù)えられるものもありますし、アメリカの雑誌『タイム』や「ニューズウィーク」では、日本を代表する企業(yè)人として特集記事で紹介しています。
    昭和三十六年、ソ連のミコヤン第一副首相雅來日されたとき、日本の企業(yè)家と話しがしたいということで松下さんに會見を申し込みました。會談となってミコヤン氏が、「わたしは共産革命をやって人民を解放した。」といったのに対し松下さんは、電気洗濯や炊飯器で、女性の家事労働を楽にしたという意味で「わたしは日本の女性を解放しました。」
    譯文對照:
    松下電器的創(chuàng)始人松下幸之助有著獨特的經營理念,他曾說過“我們的公司是培養(yǎng)人的公司,同時制造電器產品?!彼1槐茸髫S臣秀吉,即從無名之輩成為奪取天下者。
    松下在自傳中說,他九歲起在火盆廠當伙計,有一陣子邊看孩子邊入迷地研究陀螺制造,以致把背在身后師傅的小孩的腦袋磕在地上,小孩總算不哭了。那時,一塊點心一文錢,相當于他三天的工錢。
    以后松下又做了自行車廠和電燈公司的實習生,二十二歲時埋頭于插座改造,終于自立了門戶。他歷盡艱辛,才創(chuàng)立了今天的松下電器公司。
    松下的學歷雖為小學肄業(yè),關西商工學校肄業(yè),但卻著作豐富,不少還進如了暢銷書的行列。美國的<時代>和<新聞周刊>等雜志把他當成日本的企業(yè)家代表出專輯做介紹。
    1961年,蘇聯(lián)部長會議第一副主席米高揚訪日時,提出想見日本的企業(yè)家,松下被安排與他見了面。米高揚副主席說:“我搞共產黨主義革命而解放了人民。”松下心想法因為有了電飯鍋和洗衣機而是主婦的家務負擔減輕了,所以,便回答到:“我解放了日本的女性?!?BR>