本課課文
教えることは教わることだというが、日本語(yǔ)を外國(guó)人に教えてみると、彼らから日本語(yǔ)について教えられ考えさせられることが多い。
「先生、日本人、『さようなら』といいませんね?!?BR> 「へえ?」
「good byeのことですよ。人と別れるとき、『さようなら』って言うのでしょう。國(guó)で習(xí)いました」
「いや、『さようなら』って言いますよ?!?BR> 「でも、學(xué)生たち、使いませんね。」
「何て言いますか?!?BR> 「バイバイ」
なるほど。親しい者同士、特に若い人たちが「バイバイ」とか、「バイ」とかといって、手を振って別れることが多い。年輩の私などでも使うことがある。幼児に向かっては當(dāng)然のように言う。一般の辭典の中には「バイバイbye bye(俗語(yǔ))『もと、幼児語(yǔ)』さようなら」と解説するのもあるが、掲出していないものもある。日本語(yǔ)教育の教科書(shū)にも、普通は出ていない。いわゆる教室日本語(yǔ)と生活日本語(yǔ)の違う所なのである。
「先生、『はい』と『ええ』と、どう違いますか?!?BR> 「『はい』の方が丁寧な返事ですね?!?BR> と答えたものの、それだけかな、と気になった。それで考えてみて気がついた。これは案外大事な問(wèn)題のようだ。
まず、「はい」も「ええ」も肯定の返事に使える點(diǎn)では共通している。
「お土産に果物を持って行ってあげようか?!?BR> 「はい、持って來(lái)てください?!?BR> と言うときの「はい」は「ええ」とも言える。「はい」のほうが、少し丁寧。あるいは、かしこまった感じがあるだろう。
「作文、もうできた」とか、「明日の會(huì)いに出ますね?!工趣?、「旅行、好きですか?」などと聞かれたときに「はい」「ええ」の両方が使える。ところが、
「そこにいるのは誰(shuí)?」「はい、三郎です」
と言うときの「はい」を「ええ」と言うのは変である。
「おはようございます」「はい、おはよう」
「じゃあ、さようなら」「はい、お?dú)荬颏膜堡啤?BR> などの「はい」を「ええ」ということもできないだろう。
これらから考えて、次のようなことがいえるのではないか思う。
「はい」は、相手の言葉を受け止めたと言う意味の返事なのに対して、「ええ」は、相手の言葉を受け止め、さらにその內(nèi)容を承認(rèn)し肯定すると言う意味の返事である。「誰(shuí)?」とか、「いつ?」とか、と聞かれるときに、その內(nèi)容を承認(rèn)する肯定するとかと言うことはあり得ない。だから、「はい」は使えるが、「ええ」は使えない。「おはよう」とか「さようなら」とか、挨拶されたときに、その內(nèi)容を承認(rèn)するとか肯定するとか考えること自體、変なものだ。だからこの場(chǎng)合にも「ええ」は使えない。
さっきに「はい」も「ええ」もともに使える場(chǎng)合は、「肯定の返事」として「共通している」と言ったが、これは、「はい」が文脈上、自然に肯定の意味をも表すようになっている場(chǎng)合なのだ。
ここまでが私の一応の結(jié)論だったのだが、しかしさらに考えてみると、「はい」にも「ええ」にも、返事ではなくて相槌を打つ用法があって、紛らわしい。承認(rèn)してくれた返事、肯定の返事だと思ったものが、単なる相槌だったとしたら、たいへんな誤解を生むだろう。歐米人は、余り相槌を打たないで相手の言葉に聞き入る傾向がある。相槌を打つにしてもyesの類(lèi)は使わないようだ。そのため、歐米人から、「日本人はよくyes yesと言うけれども、実は、肯定しているわけでも、賛成しているわけでもない。言うこととすることと違う」と非難されることがある。相槌の「はい」も「ええ」もyesに當(dāng)たると思って気楽にyesを使うことが、國(guó)際的な不信感を生むもとになる。場(chǎng)面にもよるのだろうが、軽々しくyesを使ってはならないのだ。
「先生、『夢(mèng)を見(jiàn)る』は慣用句ですね」
と言われてはっとした。慣用句の問(wèn)題を、留學(xué)生を交えて教室で話(huà)し合っているときに、ある中國(guó)人留學(xué)生が聞いたのである。
慣用句は「決まり文句」の一種だが、例えば,「羽を伸ばす」は、鳥(niǎo)がのびのびと羽を伸ばすと言うもとの意味から離れて、人が制約を脫してのびのびとする。気ままに振るまうという意味に使われる。このような比喩的な慣用句には、「腹が立つ」(怒る)「心を打つ」(感動(dòng)する)「鼻にかける」(自慢の種にする)などがある。
これらに対して、ごく普通の決まった言い回しの慣用句がある?!鸽妶?bào)を打つ」「嫌気がさす」「気がつく」などである。これらは比喩的な慣用句とは違って、もとの意味を失っていないが、語(yǔ)と語(yǔ)の結(jié)び付きかたが決まっているものである?!笁?mèng)を見(jiàn)る」もこのたぐいの慣用句だと言うのである。われわれ日本人にとって,[夢(mèng)」は「見(jiàn)る」以外のものではない。「いやな夢(mèng)を見(jiàn)た」「夢(mèng)に母を見(jiàn)た」などと使う。「夢(mèng)のない時(shí)代」「夢(mèng)と知っていながら」などとも使うが、その「夢(mèng)」自體、「見(jiàn)る」ものと思い込んでいる。余り當(dāng)たり前で気がつかないでいたのである。
「中國(guó)語(yǔ)では『夢(mèng)ヲスル』(做夢(mèng))と言うんです。『夢(mèng)を見(jiàn)る』と言わないので、面白いと思いました?!工?、その學(xué)生が付け加えた。數(shù)カ國(guó)の留學(xué)生を聞くと、中國(guó)語(yǔ)式の言い方をする言語(yǔ)もあるし、英語(yǔ)の“dream”のように一語(yǔ)で表す言語(yǔ)もある。日本語(yǔ)式に「見(jiàn)る」を使う言語(yǔ)もある。いろいろだということを教えられた。
課文詞匯
詞匯Ⅰ
さよなら (3)(4) [寒暄] 再見(jiàn) = さようなら
good-bye (1) [寒暄] 再見(jiàn)
バイ (1) [寒暄] 再見(jiàn)
年輩 (ねんぱい) (0) [名] 年長(zhǎng)
辭典 (じてん) (0) [名] 詞典
bye-bye (1) [寒暄] 再見(jiàn)
俗語(yǔ) (ぞくご) (0) [名] 俗話(huà),通俗說(shuō)法
もと (1) [名] 原來(lái)
掲出する (けいしゅつする) (0) [動(dòng)3] 揭示,公布,列出
いわゆる (3) [連體] 所謂
案外 (あんがい) (1) [副] 沒(méi)想到,意外
肯定 (こうてい) (0) [名] 肯定
點(diǎn) (てん) (0) [名] 點(diǎn)
かしこまる (4) [動(dòng)1] 拘謹(jǐn),恭敬
作文 (さくぶん) (0) [名] 作文
変だ (へんだ) (1) [形動(dòng)] 奇怪,異常
じゃ (1) [感] 那么
受け止める (うけとめる) (4) [動(dòng)2] 接住,阻止
承認(rèn)する (しょうにんする) (0) [動(dòng)3] 認(rèn)可,承認(rèn)
自體 (じたい) (1) [名] 本身
文脈 (ぶんみゃく) (0) [名] 文理
一応 (いちおう) (0) [副] 大致,暫且
相づち (あいづち) (0) [名] 隨聲附和
用法 (ようほう) (0) [名] 用法
紛らわしい (まぎらわしい) (5) [形] 紛亂,混淆
単なる (たんなる) (1) [連體] 單純
誤解 (ごかい) (0) [名] 誤解
歐米人 (おうべいじん) (3) [名] 歐美人
聞き入る (ききいる) (3) [動(dòng)1] 傾聽(tīng),專(zhuān)心聽(tīng)
yes (2) [寒暄] 是
類(lèi) (るい) (1) [名] 類(lèi)
気楽だ (きらくだ) (0) [形動(dòng)] 輕松安樂(lè),隨便
國(guó)際的だ (こくさいてきだ) (0) [形動(dòng)] 國(guó)際性的
不信感 (ふしんかん) (2) [名] 不信任感
軽々しい (かるがるしい) (5) [形] 輕易
慣用句 (かんようく) (3) [名] 慣用語(yǔ)
はっとする (0) [動(dòng)3] 一怔,突然
交える (まじえる) (3) [動(dòng)2] 夾雜
伸ばす (のばす) (2) [動(dòng)1] 伸展
のびのび (3) [副] 無(wú)拘無(wú)束,舒舒服服
制約 (せいやく) (0) [名] 必要條件,限制
脫する (だっする) (3) [動(dòng)3] 脫離,擺脫
気ままだ (きままだ) (0) [形動(dòng)] 隨便,任性
比喩的だ (ひゆてきだ) (0) [形動(dòng)] 比喻
自慢 (じまん) (0) [名] 自滿(mǎn),自大
種 (たね) (1) [名] 種子,原因
言い回し (いいまわし) (0) [名] 說(shuō)法,措詞
いや気がさす (いやけがさす) (0)+(1) [慣用] 不耐煩,厭煩
語(yǔ) (ご) (1) [名] 詞
たぐい (0) [名] 類(lèi),同類(lèi)
思い込む (おもいこむ) (4) [動(dòng)1] 堅(jiān)信,認(rèn)準(zhǔn)
付け加える (つけくわえる) (5) [動(dòng)2] 補(bǔ)充,附加
數(shù)か國(guó) (すうかこく) (3) [名] 幾個(gè)國(guó)家
dream (2) [名] 夢(mèng)
宮地裕 (みやじゆたか) (1)+(1) [專(zhuān)] 宮地裕 (人名)
三郎 (さぶろう) (0) [專(zhuān)] 三郎 (人名)
…點(diǎn)で (てんで) …得ない (えない) 數(shù)か~ (すうか)
詞匯Ⅱ
貝 (かい) (1) [名] 貝,貝殼
染料 (せんりょう) (3) [名] 染料
弦楽器 (げんがっき) (3) [名] 弦樂(lè)器
売れ殘る (うれのこる) (4) [動(dòng)1] 賣(mài)不出去
釣る (つる) (0) [動(dòng)1] 釣,誘騙
かけ忘れる (かけわすれる) (4) [動(dòng)2] 忘鎖
振り向く (ふりむく) (3) [動(dòng)1] (轉(zhuǎn)身)回頭
トランプ (2) [名] 撲克
提案する (ていあんする) (0) [動(dòng)3] 提議
行ってきます (いってきます) (5) [寒暄] 我走了
ただいま (4) [寒暄] 我回來(lái)了
お帰りなさい (おかえりなさい) [寒暄] 您(你)回來(lái)了
課程譯文
第 38 課 日語(yǔ)與國(guó)際交流
宮地 裕
人說(shuō)教學(xué)相長(zhǎng)。在教外國(guó)人學(xué)習(xí)日語(yǔ)時(shí),往往在日語(yǔ)方面被他們所教,受到啟發(fā)。
老師,日本人不說(shuō)'XXXX吧?"。
"什么?"
"就是'good一bye'啊,和人分別時(shí),要說(shuō)'XXXX'吧。在國(guó)內(nèi)學(xué)過(guò)。"
"不,說(shuō)'XXXX。"
"可是,大學(xué)生們都不用呀。"
"那說(shuō)什么?"
"XXXX"
是啊,親近的同伴,特別是年輕人多說(shuō)"XXXX"或是"XX"而揮手告別的。像我這樣上了年紀(jì)的人有時(shí)也用。對(duì)兒童說(shuō)就更理所當(dāng)然了。一般詞典也有的解釋為"XXXXbye-bye (通俗說(shuō)法)〔原為兒童用語(yǔ)〕再見(jiàn)的意思。"但也有的不列這個(gè)詞,用于日語(yǔ)教學(xué)的教材一般也不出現(xiàn)。這就是所謂教學(xué)日語(yǔ)與生活日語(yǔ)的不同之處。
"老師,'XX'和'XX'有什么區(qū)別呢?"
"'XX'是比較禮貌的回答。"
雖然這么回答,心里卻又嘀咕,而已 嗎?于是思考一下.發(fā)現(xiàn)這似 乎是個(gè)忽略了的重要問(wèn)題。
首先,"XX"和"XX"的共通點(diǎn)是都可以用于肯定的回答。
"XXXXXXXXXXXXXXXXXXXX。(帶些水果送給你作禮物吧)。"
"XXXXXXXX(好,請(qǐng)帶來(lái)吧)"這時(shí)自"XX"也可以改說(shuō)"XX"。"XXXX"比較有禮貌,或者說(shuō)有恭敬之感。當(dāng)被問(wèn)到"作文寫(xiě)好了嗎?'"您出席明天的會(huì)嗎?"或"喜歡旅行嗎?"等時(shí),"XX"和"XX"均可使用??墒钦f(shuō):"XXXXXXXXXX。(誰(shuí)在那兒?)""XXXXXX。(誒,是三郎)。"的時(shí)候,把"XXX"說(shuō)成"XXXX"就不自然了。
"XXXXXXXXXX。(早上好!)"
"XXXXXXXX"(噢,早!")
"C中,合上眾中八那么,再見(jiàn)?。?
"XXXXXXXXXX"。(好,請(qǐng)多當(dāng)心!)等句中的"XXXX"也是不能說(shuō)成"XXXX"吧。
這么一想,不是可以照下面這么說(shuō)嗎。
"XXXX"是應(yīng)酬對(duì)方話(huà)語(yǔ)的回答,而"XXXX'則是在應(yīng)酬對(duì)方談話(huà)的同時(shí)認(rèn)可其內(nèi)容并給予肯定意義的回答。當(dāng)被問(wèn)到"誰(shuí)?"或"什么時(shí)候?"時(shí),不需要認(rèn)可其內(nèi)容或者肯定什么,所以能用"XXXX"而不能用"XXXX"。說(shuō)"早上好"或"再見(jiàn)!"這種寒暄話(huà)時(shí),考慮認(rèn)可或肯定其內(nèi)容本身就不合常理,
所以這種場(chǎng)合也不能用"XXXX"。
剛才說(shuō)過(guò),"XXXX"和"XXXX"都可以使用的場(chǎng)合是它們?cè)?肯定的答復(fù)"這一點(diǎn)上是共同的。但這是指在文理上"XXXX"也自然地表示肯定意義的場(chǎng)合。
以上暫且算是我的結(jié)論吧。可是又一想,"XXXX"和"XXXX"都不僅是答復(fù),還有隨聲附和的用法,容易混淆。如果以為對(duì)方承認(rèn)了,給了肯定的答復(fù),而實(shí)際上只是單純的隨聲附和,豈不要產(chǎn)生重大誤解。歐美人傾向于聽(tīng)對(duì)方談話(huà)時(shí)不隨聲附和。即使隨聲附和也不用yes"之類(lèi)的詞。為此,他們有 時(shí)責(zé)怪說(shuō):"日本人常說(shuō)'ye s''yes'.可實(shí)際上既不肯定,也不贊成,言行不一致。"把意為隨聲附和的"XXXX"和"XXXX"當(dāng)作"yes"隨意使用,是造成國(guó)際性不信任感之源。或許使用的場(chǎng)合也有關(guān)系,但切不可輕易使用"yes"。
"老師,'XXXXXXXX'是慣用語(yǔ)吧?"
聽(tīng)了這話(huà),我不由得一怔。這個(gè)問(wèn)題是在有留學(xué)生參加的教室里討論慣用語(yǔ)問(wèn)題時(shí),一個(gè)中國(guó)留學(xué)生提出來(lái)的。
慣用語(yǔ)是套語(yǔ)的一種,有各種形式。例如"XXXXXXXX",它已脫離了鳥(niǎo)兒舒展翅膀的原意,用于比喻擺脫束縛,自由自在、隨心所欲的意思。像這樣用于比喻的慣用語(yǔ),還有"XXXXXXXX(感動(dòng))
"XXXXXXXX(自豪)"等等。
與之相反的有極其一般的措辭固定的慣用語(yǔ),如"XXXXXX(打電報(bào))"XXXXXXXX(厭煩)"和"XXXXXXX(留神)"等。這些與比喻性慣用語(yǔ)不同,并沒(méi)有失去原來(lái)的意義,但詞與詞之間的搭配卻是固定的"XXXX"也屬于這類(lèi)慣用語(yǔ)。對(duì)我們?nèi)毡救藖?lái)說(shuō),"要"只能是夢(mèng)見(jiàn)(見(jiàn))的東西,用于"XXXXXXXXXXXX(做了個(gè)討厭的夢(mèng))""XXXXXXXXXX(夢(mèng)里見(jiàn)到了媽媽?zhuān)?等雖然也用于"XXXXXXXXXX(毫無(wú)希望的時(shí)代y)""XXXXXXXXXX(明知是幻想)"的說(shuō)法。但我們?nèi)哉J(rèn)定"夢(mèng)"本身就是"夢(mèng)見(jiàn)"的東西,司空見(jiàn)慣,所以反而忽略了它。
那位學(xué)生補(bǔ)充說(shuō):"中國(guó)是說(shuō)'做夢(mèng)'。一般不說(shuō)"XXXXXX(看夢(mèng)),所以覺(jué)得挺有意思"。我問(wèn)了幾個(gè)其他國(guó)家的留學(xué)生,即有類(lèi)似中國(guó)式的說(shuō)法
也有象英語(yǔ)那樣用"dceam"一個(gè)詞來(lái)表示的,還有用日語(yǔ)式的"XXXX"的說(shuō)法。我學(xué)到了各種各樣的說(shuō)法。
課文語(yǔ)法
文法:
1、…點(diǎn)で(は)…
バイオリンとギターは、弦楽器であると言う點(diǎn)で同じだ。
中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)は、漢字を用いる點(diǎn)で、共通している。
男性と女性は、體力の點(diǎn)で、違いがある。
2、…得る/得ない
商品が売れ殘ることはあり得ない。
この工場(chǎng)が閉鎖されることはあり得ない。
この川で魚(yú)が釣れることはあり得ない。
言葉の使用の仕方:
1、いや:『この小説はとても面白いよ。』『いや、僕はそう思わない。』
2、はっとする:駅で、家の鍵を掛け忘れたことにはっと気がついた。
3、嫌気がさす:仕事がつまらないので、會(huì)社に嫌気がさした。
4、自體:提案した彼自體、余り積極的ではない。
5、分かれるときと合うときの言葉:ⅱ
ごめんください
いらっしゃい
失禮します
行ってきます
行ってらっしゃい
ただいま
お帰りなさ
教えることは教わることだというが、日本語(yǔ)を外國(guó)人に教えてみると、彼らから日本語(yǔ)について教えられ考えさせられることが多い。
「先生、日本人、『さようなら』といいませんね?!?BR> 「へえ?」
「good byeのことですよ。人と別れるとき、『さようなら』って言うのでしょう。國(guó)で習(xí)いました」
「いや、『さようなら』って言いますよ?!?BR> 「でも、學(xué)生たち、使いませんね。」
「何て言いますか?!?BR> 「バイバイ」
なるほど。親しい者同士、特に若い人たちが「バイバイ」とか、「バイ」とかといって、手を振って別れることが多い。年輩の私などでも使うことがある。幼児に向かっては當(dāng)然のように言う。一般の辭典の中には「バイバイbye bye(俗語(yǔ))『もと、幼児語(yǔ)』さようなら」と解説するのもあるが、掲出していないものもある。日本語(yǔ)教育の教科書(shū)にも、普通は出ていない。いわゆる教室日本語(yǔ)と生活日本語(yǔ)の違う所なのである。
「先生、『はい』と『ええ』と、どう違いますか?!?BR> 「『はい』の方が丁寧な返事ですね?!?BR> と答えたものの、それだけかな、と気になった。それで考えてみて気がついた。これは案外大事な問(wèn)題のようだ。
まず、「はい」も「ええ」も肯定の返事に使える點(diǎn)では共通している。
「お土産に果物を持って行ってあげようか?!?BR> 「はい、持って來(lái)てください?!?BR> と言うときの「はい」は「ええ」とも言える。「はい」のほうが、少し丁寧。あるいは、かしこまった感じがあるだろう。
「作文、もうできた」とか、「明日の會(huì)いに出ますね?!工趣?、「旅行、好きですか?」などと聞かれたときに「はい」「ええ」の両方が使える。ところが、
「そこにいるのは誰(shuí)?」「はい、三郎です」
と言うときの「はい」を「ええ」と言うのは変である。
「おはようございます」「はい、おはよう」
「じゃあ、さようなら」「はい、お?dú)荬颏膜堡啤?BR> などの「はい」を「ええ」ということもできないだろう。
これらから考えて、次のようなことがいえるのではないか思う。
「はい」は、相手の言葉を受け止めたと言う意味の返事なのに対して、「ええ」は、相手の言葉を受け止め、さらにその內(nèi)容を承認(rèn)し肯定すると言う意味の返事である。「誰(shuí)?」とか、「いつ?」とか、と聞かれるときに、その內(nèi)容を承認(rèn)する肯定するとかと言うことはあり得ない。だから、「はい」は使えるが、「ええ」は使えない。「おはよう」とか「さようなら」とか、挨拶されたときに、その內(nèi)容を承認(rèn)するとか肯定するとか考えること自體、変なものだ。だからこの場(chǎng)合にも「ええ」は使えない。
さっきに「はい」も「ええ」もともに使える場(chǎng)合は、「肯定の返事」として「共通している」と言ったが、これは、「はい」が文脈上、自然に肯定の意味をも表すようになっている場(chǎng)合なのだ。
ここまでが私の一応の結(jié)論だったのだが、しかしさらに考えてみると、「はい」にも「ええ」にも、返事ではなくて相槌を打つ用法があって、紛らわしい。承認(rèn)してくれた返事、肯定の返事だと思ったものが、単なる相槌だったとしたら、たいへんな誤解を生むだろう。歐米人は、余り相槌を打たないで相手の言葉に聞き入る傾向がある。相槌を打つにしてもyesの類(lèi)は使わないようだ。そのため、歐米人から、「日本人はよくyes yesと言うけれども、実は、肯定しているわけでも、賛成しているわけでもない。言うこととすることと違う」と非難されることがある。相槌の「はい」も「ええ」もyesに當(dāng)たると思って気楽にyesを使うことが、國(guó)際的な不信感を生むもとになる。場(chǎng)面にもよるのだろうが、軽々しくyesを使ってはならないのだ。
「先生、『夢(mèng)を見(jiàn)る』は慣用句ですね」
と言われてはっとした。慣用句の問(wèn)題を、留學(xué)生を交えて教室で話(huà)し合っているときに、ある中國(guó)人留學(xué)生が聞いたのである。
慣用句は「決まり文句」の一種だが、例えば,「羽を伸ばす」は、鳥(niǎo)がのびのびと羽を伸ばすと言うもとの意味から離れて、人が制約を脫してのびのびとする。気ままに振るまうという意味に使われる。このような比喩的な慣用句には、「腹が立つ」(怒る)「心を打つ」(感動(dòng)する)「鼻にかける」(自慢の種にする)などがある。
これらに対して、ごく普通の決まった言い回しの慣用句がある?!鸽妶?bào)を打つ」「嫌気がさす」「気がつく」などである。これらは比喩的な慣用句とは違って、もとの意味を失っていないが、語(yǔ)と語(yǔ)の結(jié)び付きかたが決まっているものである?!笁?mèng)を見(jiàn)る」もこのたぐいの慣用句だと言うのである。われわれ日本人にとって,[夢(mèng)」は「見(jiàn)る」以外のものではない。「いやな夢(mèng)を見(jiàn)た」「夢(mèng)に母を見(jiàn)た」などと使う。「夢(mèng)のない時(shí)代」「夢(mèng)と知っていながら」などとも使うが、その「夢(mèng)」自體、「見(jiàn)る」ものと思い込んでいる。余り當(dāng)たり前で気がつかないでいたのである。
「中國(guó)語(yǔ)では『夢(mèng)ヲスル』(做夢(mèng))と言うんです。『夢(mèng)を見(jiàn)る』と言わないので、面白いと思いました?!工?、その學(xué)生が付け加えた。數(shù)カ國(guó)の留學(xué)生を聞くと、中國(guó)語(yǔ)式の言い方をする言語(yǔ)もあるし、英語(yǔ)の“dream”のように一語(yǔ)で表す言語(yǔ)もある。日本語(yǔ)式に「見(jiàn)る」を使う言語(yǔ)もある。いろいろだということを教えられた。
課文詞匯
詞匯Ⅰ
さよなら (3)(4) [寒暄] 再見(jiàn) = さようなら
good-bye (1) [寒暄] 再見(jiàn)
バイ (1) [寒暄] 再見(jiàn)
年輩 (ねんぱい) (0) [名] 年長(zhǎng)
辭典 (じてん) (0) [名] 詞典
bye-bye (1) [寒暄] 再見(jiàn)
俗語(yǔ) (ぞくご) (0) [名] 俗話(huà),通俗說(shuō)法
もと (1) [名] 原來(lái)
掲出する (けいしゅつする) (0) [動(dòng)3] 揭示,公布,列出
いわゆる (3) [連體] 所謂
案外 (あんがい) (1) [副] 沒(méi)想到,意外
肯定 (こうてい) (0) [名] 肯定
點(diǎn) (てん) (0) [名] 點(diǎn)
かしこまる (4) [動(dòng)1] 拘謹(jǐn),恭敬
作文 (さくぶん) (0) [名] 作文
変だ (へんだ) (1) [形動(dòng)] 奇怪,異常
じゃ (1) [感] 那么
受け止める (うけとめる) (4) [動(dòng)2] 接住,阻止
承認(rèn)する (しょうにんする) (0) [動(dòng)3] 認(rèn)可,承認(rèn)
自體 (じたい) (1) [名] 本身
文脈 (ぶんみゃく) (0) [名] 文理
一応 (いちおう) (0) [副] 大致,暫且
相づち (あいづち) (0) [名] 隨聲附和
用法 (ようほう) (0) [名] 用法
紛らわしい (まぎらわしい) (5) [形] 紛亂,混淆
単なる (たんなる) (1) [連體] 單純
誤解 (ごかい) (0) [名] 誤解
歐米人 (おうべいじん) (3) [名] 歐美人
聞き入る (ききいる) (3) [動(dòng)1] 傾聽(tīng),專(zhuān)心聽(tīng)
yes (2) [寒暄] 是
類(lèi) (るい) (1) [名] 類(lèi)
気楽だ (きらくだ) (0) [形動(dòng)] 輕松安樂(lè),隨便
國(guó)際的だ (こくさいてきだ) (0) [形動(dòng)] 國(guó)際性的
不信感 (ふしんかん) (2) [名] 不信任感
軽々しい (かるがるしい) (5) [形] 輕易
慣用句 (かんようく) (3) [名] 慣用語(yǔ)
はっとする (0) [動(dòng)3] 一怔,突然
交える (まじえる) (3) [動(dòng)2] 夾雜
伸ばす (のばす) (2) [動(dòng)1] 伸展
のびのび (3) [副] 無(wú)拘無(wú)束,舒舒服服
制約 (せいやく) (0) [名] 必要條件,限制
脫する (だっする) (3) [動(dòng)3] 脫離,擺脫
気ままだ (きままだ) (0) [形動(dòng)] 隨便,任性
比喩的だ (ひゆてきだ) (0) [形動(dòng)] 比喻
自慢 (じまん) (0) [名] 自滿(mǎn),自大
種 (たね) (1) [名] 種子,原因
言い回し (いいまわし) (0) [名] 說(shuō)法,措詞
いや気がさす (いやけがさす) (0)+(1) [慣用] 不耐煩,厭煩
語(yǔ) (ご) (1) [名] 詞
たぐい (0) [名] 類(lèi),同類(lèi)
思い込む (おもいこむ) (4) [動(dòng)1] 堅(jiān)信,認(rèn)準(zhǔn)
付け加える (つけくわえる) (5) [動(dòng)2] 補(bǔ)充,附加
數(shù)か國(guó) (すうかこく) (3) [名] 幾個(gè)國(guó)家
dream (2) [名] 夢(mèng)
宮地裕 (みやじゆたか) (1)+(1) [專(zhuān)] 宮地裕 (人名)
三郎 (さぶろう) (0) [專(zhuān)] 三郎 (人名)
…點(diǎn)で (てんで) …得ない (えない) 數(shù)か~ (すうか)
詞匯Ⅱ
貝 (かい) (1) [名] 貝,貝殼
染料 (せんりょう) (3) [名] 染料
弦楽器 (げんがっき) (3) [名] 弦樂(lè)器
売れ殘る (うれのこる) (4) [動(dòng)1] 賣(mài)不出去
釣る (つる) (0) [動(dòng)1] 釣,誘騙
かけ忘れる (かけわすれる) (4) [動(dòng)2] 忘鎖
振り向く (ふりむく) (3) [動(dòng)1] (轉(zhuǎn)身)回頭
トランプ (2) [名] 撲克
提案する (ていあんする) (0) [動(dòng)3] 提議
行ってきます (いってきます) (5) [寒暄] 我走了
ただいま (4) [寒暄] 我回來(lái)了
お帰りなさい (おかえりなさい) [寒暄] 您(你)回來(lái)了
課程譯文
第 38 課 日語(yǔ)與國(guó)際交流
宮地 裕
人說(shuō)教學(xué)相長(zhǎng)。在教外國(guó)人學(xué)習(xí)日語(yǔ)時(shí),往往在日語(yǔ)方面被他們所教,受到啟發(fā)。
老師,日本人不說(shuō)'XXXX吧?"。
"什么?"
"就是'good一bye'啊,和人分別時(shí),要說(shuō)'XXXX'吧。在國(guó)內(nèi)學(xué)過(guò)。"
"不,說(shuō)'XXXX。"
"可是,大學(xué)生們都不用呀。"
"那說(shuō)什么?"
"XXXX"
是啊,親近的同伴,特別是年輕人多說(shuō)"XXXX"或是"XX"而揮手告別的。像我這樣上了年紀(jì)的人有時(shí)也用。對(duì)兒童說(shuō)就更理所當(dāng)然了。一般詞典也有的解釋為"XXXXbye-bye (通俗說(shuō)法)〔原為兒童用語(yǔ)〕再見(jiàn)的意思。"但也有的不列這個(gè)詞,用于日語(yǔ)教學(xué)的教材一般也不出現(xiàn)。這就是所謂教學(xué)日語(yǔ)與生活日語(yǔ)的不同之處。
"老師,'XX'和'XX'有什么區(qū)別呢?"
"'XX'是比較禮貌的回答。"
雖然這么回答,心里卻又嘀咕,而已 嗎?于是思考一下.發(fā)現(xiàn)這似 乎是個(gè)忽略了的重要問(wèn)題。
首先,"XX"和"XX"的共通點(diǎn)是都可以用于肯定的回答。
"XXXXXXXXXXXXXXXXXXXX。(帶些水果送給你作禮物吧)。"
"XXXXXXXX(好,請(qǐng)帶來(lái)吧)"這時(shí)自"XX"也可以改說(shuō)"XX"。"XXXX"比較有禮貌,或者說(shuō)有恭敬之感。當(dāng)被問(wèn)到"作文寫(xiě)好了嗎?'"您出席明天的會(huì)嗎?"或"喜歡旅行嗎?"等時(shí),"XX"和"XX"均可使用??墒钦f(shuō):"XXXXXXXXXX。(誰(shuí)在那兒?)""XXXXXX。(誒,是三郎)。"的時(shí)候,把"XXX"說(shuō)成"XXXX"就不自然了。
"XXXXXXXXXX。(早上好!)"
"XXXXXXXX"(噢,早!")
"C中,合上眾中八那么,再見(jiàn)?。?
"XXXXXXXXXX"。(好,請(qǐng)多當(dāng)心!)等句中的"XXXX"也是不能說(shuō)成"XXXX"吧。
這么一想,不是可以照下面這么說(shuō)嗎。
"XXXX"是應(yīng)酬對(duì)方話(huà)語(yǔ)的回答,而"XXXX'則是在應(yīng)酬對(duì)方談話(huà)的同時(shí)認(rèn)可其內(nèi)容并給予肯定意義的回答。當(dāng)被問(wèn)到"誰(shuí)?"或"什么時(shí)候?"時(shí),不需要認(rèn)可其內(nèi)容或者肯定什么,所以能用"XXXX"而不能用"XXXX"。說(shuō)"早上好"或"再見(jiàn)!"這種寒暄話(huà)時(shí),考慮認(rèn)可或肯定其內(nèi)容本身就不合常理,
所以這種場(chǎng)合也不能用"XXXX"。
剛才說(shuō)過(guò),"XXXX"和"XXXX"都可以使用的場(chǎng)合是它們?cè)?肯定的答復(fù)"這一點(diǎn)上是共同的。但這是指在文理上"XXXX"也自然地表示肯定意義的場(chǎng)合。
以上暫且算是我的結(jié)論吧。可是又一想,"XXXX"和"XXXX"都不僅是答復(fù),還有隨聲附和的用法,容易混淆。如果以為對(duì)方承認(rèn)了,給了肯定的答復(fù),而實(shí)際上只是單純的隨聲附和,豈不要產(chǎn)生重大誤解。歐美人傾向于聽(tīng)對(duì)方談話(huà)時(shí)不隨聲附和。即使隨聲附和也不用yes"之類(lèi)的詞。為此,他們有 時(shí)責(zé)怪說(shuō):"日本人常說(shuō)'ye s''yes'.可實(shí)際上既不肯定,也不贊成,言行不一致。"把意為隨聲附和的"XXXX"和"XXXX"當(dāng)作"yes"隨意使用,是造成國(guó)際性不信任感之源。或許使用的場(chǎng)合也有關(guān)系,但切不可輕易使用"yes"。
"老師,'XXXXXXXX'是慣用語(yǔ)吧?"
聽(tīng)了這話(huà),我不由得一怔。這個(gè)問(wèn)題是在有留學(xué)生參加的教室里討論慣用語(yǔ)問(wèn)題時(shí),一個(gè)中國(guó)留學(xué)生提出來(lái)的。
慣用語(yǔ)是套語(yǔ)的一種,有各種形式。例如"XXXXXXXX",它已脫離了鳥(niǎo)兒舒展翅膀的原意,用于比喻擺脫束縛,自由自在、隨心所欲的意思。像這樣用于比喻的慣用語(yǔ),還有"XXXXXXXX(感動(dòng))
"XXXXXXXX(自豪)"等等。
與之相反的有極其一般的措辭固定的慣用語(yǔ),如"XXXXXX(打電報(bào))"XXXXXXXX(厭煩)"和"XXXXXXX(留神)"等。這些與比喻性慣用語(yǔ)不同,并沒(méi)有失去原來(lái)的意義,但詞與詞之間的搭配卻是固定的"XXXX"也屬于這類(lèi)慣用語(yǔ)。對(duì)我們?nèi)毡救藖?lái)說(shuō),"要"只能是夢(mèng)見(jiàn)(見(jiàn))的東西,用于"XXXXXXXXXXXX(做了個(gè)討厭的夢(mèng))""XXXXXXXXXX(夢(mèng)里見(jiàn)到了媽媽?zhuān)?等雖然也用于"XXXXXXXXXX(毫無(wú)希望的時(shí)代y)""XXXXXXXXXX(明知是幻想)"的說(shuō)法。但我們?nèi)哉J(rèn)定"夢(mèng)"本身就是"夢(mèng)見(jiàn)"的東西,司空見(jiàn)慣,所以反而忽略了它。
那位學(xué)生補(bǔ)充說(shuō):"中國(guó)是說(shuō)'做夢(mèng)'。一般不說(shuō)"XXXXXX(看夢(mèng)),所以覺(jué)得挺有意思"。我問(wèn)了幾個(gè)其他國(guó)家的留學(xué)生,即有類(lèi)似中國(guó)式的說(shuō)法
也有象英語(yǔ)那樣用"dceam"一個(gè)詞來(lái)表示的,還有用日語(yǔ)式的"XXXX"的說(shuō)法。我學(xué)到了各種各樣的說(shuō)法。
課文語(yǔ)法
文法:
1、…點(diǎn)で(は)…
バイオリンとギターは、弦楽器であると言う點(diǎn)で同じだ。
中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)は、漢字を用いる點(diǎn)で、共通している。
男性と女性は、體力の點(diǎn)で、違いがある。
2、…得る/得ない
商品が売れ殘ることはあり得ない。
この工場(chǎng)が閉鎖されることはあり得ない。
この川で魚(yú)が釣れることはあり得ない。
言葉の使用の仕方:
1、いや:『この小説はとても面白いよ。』『いや、僕はそう思わない。』
2、はっとする:駅で、家の鍵を掛け忘れたことにはっと気がついた。
3、嫌気がさす:仕事がつまらないので、會(huì)社に嫌気がさした。
4、自體:提案した彼自體、余り積極的ではない。
5、分かれるときと合うときの言葉:ⅱ
ごめんください
いらっしゃい
失禮します
行ってきます
行ってらっしゃい
ただいま
お帰りなさ

