美國總統(tǒng)就任演說5

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5. ジミー・カーター大統(tǒng)領(lǐng)就任演説(1977年1月20日)
    私自身と國家のために、われわれの國家をいやすためにしてくれたことを前任者に感謝したいと思う。
    この外側(cè)の肉體を使うセレモニーにおいて、われわれは再びわれわれの國の內(nèi)面の精神的な力を証明したい。私の高校の先生であるジュリア・コールマンは、こう言ったものです「われわれは、変っていく時(shí)代に適応しなければなりません、ただし変わらない信條をもって」
    ここ、私の前に1789年に最初の大統(tǒng)領(lǐng)が就任式に使った聖書があります。そして私は、私の母親が數(shù)年前にくれた聖書の時(shí)代を超越した古代の預(yù)言者ミカの忠告のところを開いて、就任の誓いをしたところです。
    「神はあなたにお示しになった、何がよいことで、何を神はあなたに求めるかを。正しく行ない、慈悲を愛し、汝の神とへりくだって歩いて行かなければならない」(ミカ?。叮海福?BR>    この大統(tǒng)領(lǐng)就任セレモニーは、新たな始まりを、われわれの政府の新たな獻(xiàn)身を、そしてわれわれ全員の新たな精神を示している。大統(tǒng)領(lǐng)というものは、新たな精神を、たった一人の人しか提供しなくとも、それに気づいてほめたたえるだろう。
    2世紀(jì)前のわれわれの國の誕生は、自由の長い探索のマイルストーンだった。ただこの國の建國者たちを興奮させた思い切った輝く夢(mèng)は、いまだにその仕上げを待っている。私は新たに今日夢(mèng)を見はじめようとはしていない、ただどちらかといえば、古い夢(mèng)を新たに信じたいと思っている。
    われわれの社會(huì)は、精神的にも人類の自由の點(diǎn)からみても、公に自らを定義した最初の社會(huì)だった。それがわれわれの社會(huì)を獨(dú)特のものとしているユニークな自己定義である。しかしそれは、われわれに特別な義務(wù)を課してもいる。つまり義務(wù)が課されたときは、いつもわれわれにとってもっとも利益になるようにその道徳的な義務(wù)を引き受けるような義務(wù)を課すのである。
    あなたがたは、私に大きな責(zé)任を負(fù)わせてくれた。あなたがたに近づくために、あなたがたにふさわしいものとなるように、そしてあなたがたがどういうものであるかを?qū)g証するために。一緒に新しい國家の、統(tǒng)一と信頼の精神を作り出そう。あなたがたの力は私の弱さを補(bǔ)うことができ、そしてあなたがたの知恵は私の間違いを少なくするようにできる。ともに學(xué)び、ともに笑い、ともに働き、ともに祈ろう、最後には當(dāng)然われわれが勝利するだろうということを確信して。
    アメリカンドリームは生きている。われわれは、再びわれわれの國とお互いをしっかりと信じなければならない。私は、アメリカがよりよくなれると信じている。われわれは、以前より強(qiáng)くなることもできるだろう。
    われわれの最近の誤りは、われわれの國の基本原則へ再びコミットさせるだろう。なぜならわれわれはもし自身の政府を見下せば、われわれには將來がないことを知っているから。われわれは短期間だが威厳をもって団結(jié)してきたときのことを、特別なときに思い出す。そのようなときには、われわれの手の屆かないものはない。
    しかしわれわれは、過去の栄光にひたっていることはできない。われわれは、流れに流されるままではいけない。われわれはどんな人であれ、生活水準(zhǔn)が低かったり、劣っていたり、劣悪だったりする將來像を受け入れない。
    われわれは、すでに個(gè)人の自由をかなりの程度まで獲得してきた。そしてわれわれは今、機(jī)會(huì)を平等にしようと取り組んでいる。われわれの人権への取り組みは、絶対的なもので、われわれの法は公正で、われわれの生まれながらの長所は保ちつづけなければならない。権力をもつものは、弱きものを虐げてはならない、そして人間の尊厳は高められなければならない。
    われわれは、たとえわれわれの偉大な國家が認(rèn)める限界があろうとも「より多く」が必ずしも「よりよい」ことではないこと、またわれわれが全ての問題に答えられるわけでも、全ての課題を解決できるわけでもないことを?qū)Wんできた。われわれは全てのことができるわけでもないが、かといってわれわれに將來必要な大膽さがかけているわけでもない。だから、ともに公共の福祉のために個(gè)人の犠牲をはらう精神で、われわれはただベストをつくさねばならない。
    われわれの國家は、自國で強(qiáng)いと言えるときだけ、國外でも強(qiáng)いと言えるだろう。そしてわれわれが他の國で自由をひろめるのにもっともよい方法は、われわれの民主主義のシステムが真似をするのに値する方法であることを、ここで示すことである。
    自分自身に正直であろうとすれば、他人にも正直でなければならない。われわれは外國で、われわれの國內(nèi)のルールや基準(zhǔn)を犯すような行動(dòng)をしないだろう。なぜならわれわれは、アメリカが得た信頼こそがわれわれの力の源泉であることを知っているからだ。
    世界は今、新たな気風(fēng)に満ちている。より多くの人々が、より政治的な視點(diǎn)をもち、はっきりと目に見える形で自分自身の場(chǎng)所を渇望し求めている。ただ自分自身が物質(zhì)的に豊かになりたいからだけではなく、基本的人権のためにである。
    自由への情熱は強(qiáng)まるばかりである。この新たな気風(fēng)の堰を切り、この新しい始まりの日にアメリカが引き受ける仕事として、公正で平和な本當(dāng)に思いやりにみちた世界をつくる手助けをするほど、高貴で野心的なものはないだろう。
    われわれは強(qiáng)い國であり、そしてわれわれはその力が戦闘で示す必要がないほど十分保持することだろう。つまり単に武器庫の大きさではなく、その発想の高潔さに基づいた靜かなる戦力を十分に保持することだろう。
    われわれは決して油斷してはならないし、弱みをみせてはならない。そして貧困、無學(xué)、不正に対しても戦いつづけるだろう。なぜならそのようなものは、われわれの力が立派に対抗しうる敵だからである。
    われわれは、純粋に理想を掲げている國である。しかし、われわれの理想主義が弱さと混同されるようなことがあってはならない。
    われわれは自由だが、決して他のところでの自由の運(yùn)命に無関心であってはならない。われわれの道徳心は、明らかにわれわれと同じように個(gè)人の人権に不変の敬意を払う社會(huì)を好むものである。われわれは脅迫しようとしているのではない。ただ他のものが犠牲をはらわず支配する世界は禮儀正しさを快く受け入れず、全ての人の幸福への脅迫になるだろうことは明らかである。
    世界は潛在的な敵國間で同じ力を持ちつづけるために、巨大な軍備拡大競(jìng)爭(zhēng)にまだかかりきりになっている。われわれはお互いの國が安全である程度まで、世界の軍備を制限する努力をする忍耐強(qiáng)さと知恵を誓う。そしてわれわれは今年、最終的なゴールへ向けての第一歩を踏み出すだろう。つまりこの地球から全ての核兵器を廃絶する最終的なゴールへの。われわれは、全ての人にわれわれに合流するように促す。その成功が死の代わりに生をもたらすことができるのだ。
    われわれは、アメリカ合衆(zhòng)國の人々は、明らかに深刻で確固たる意図をもった自信をとりもどさなければならない。そして、私が大統(tǒng)領(lǐng)の職を辭すときに、人々がわれわれの國についてそう語るような希望を私はもっている。
    われわれがミカの言葉を思い出し、謙虛さ、慈悲そして正義をとりもどす希望を。
    われわれを人種や地域や宗教の違いで分離するような障壁を取り壊し、不信がうずまくところに、多様性を尊重した団結(jié)を築く希望を。
    われわれが生産的な仕事が出來る人々にそのような仕事を見つけられる希望を。
    われわれがアメリカの家族、それはわれわれの社會(huì)の基盤で、それを強(qiáng)化するという希望を。
    われわれが法を遵守し、法の下で弱きものも強(qiáng)きものも、豊かなものも貧しいものも平等に扱われることが保証される希望を。
    再び自分たちの政府を誇りに思えるようにならなければならないという希望を。
    私は世界の國々が、戦爭(zhēng)の武器でではなく、われわれの最も大事な価値を反映する國際的な方針に基づいて永続的に続く平和を築きあげると言うことを希望したい。
    これらは私の目的であるだけではない。私の業(yè)績でもないだろう。われわれの國で絶えることのない道徳の力と、失せることがなくたえず拡大していくアメリカンドリームを信じることを肯定することである。