7. ロナルド・レーガン第ニ期大統(tǒng)領(lǐng)就任演説(1985年1月21日)
マシアス上院議員、バーガー裁判所長官、ブッシュ副大統(tǒng)領(lǐng)、オニール下院議長、フォール上院議員、聖職者の方、私の家族や友人や國民のみなさん。
さしあたって欠席しているジョン・ステニス上院議員が今日ここに出席されていれば、より輝きをましたことでしょう。
神のご加護(hù)がありますように、そしてようこそここに。
ただ、今日われわれと一緒に同席していない人が一人います。フジル・ロング、ルイジアナ下院議員は昨晩なくなりました。われわれみなでしばらく黙禱をささげたいと思います。(しばし黙禱) アーメン。
あなたがたが私に授けてくれたすばらしい名譽に対して、感謝の念をどれほど表しても十分とはいえないでしょう。あなたがたの信頼にこたえるべく、最善をつくしたいと思います。
マシアス上院議員が私に言うには、この大統(tǒng)領(lǐng)就任演説はわれわれ國民がこの歴史的なときを祝ってから50回目にあたるそうです。初代大統(tǒng)領(lǐng)のジョージ・ワシントンが聖書に手を置いたとき、かれは粗野な未開の荒地から馬で1日ほどの場所に立っていました。當(dāng)時は13の州に400萬のアメリカ人がいましたが、今日50の州にその60倍の人々がいます。われわれが発明したもので世界を照らし、世界中どこへでも助けを求める聲がするところに行き、月に旅行し無事にもどってきました。それほどの変化があったのです。それにもかかわらず、われわれは2世紀(jì)前と同じように一緒にここに立っています。
私が4年前に誓ったときは、経済的な重圧の中にいました。偉大さと栄光に彩られた過去を振り返らなければならないといった聲がまわりから上がっていました。しかしわれわれ、現(xiàn)在のアメリカ國民は過去を振り返る必要はありません。このめぐまれた國土には、常によりよい明日があるのです。
4年前、私はあなたがたに新しい始まりについて語り、われわれはそれをなしとげました。しかしある意味では、われわれの新しい始まりは、2世紀(jì)前に歴初めて人民の政府がわれわれの主人ではなく、われわれに仕えるものとなったときからの綿々たる連なりなのです。
政府こそが、われわれ人民が権力をもつことを許すのものなのです。
このシステムは決してわれわれの期待にそむくことはなかった。ただ時には、われわれはシステムの運用に失敗しました。われわれは政府には供給できないようなものを政府に求めたのです。われわれは、本當(dāng)は州や自治體や人民自身に屬するはずの権力を、挙國一致政府にまかせてきた。われわれは稅金やインフレがわれわれから稼ぎや貯金を盜むままにし、われわれを地球上でもっとも生産力のある國民にしてきた偉大なる産業(yè)機構(gòu)がスローダウンし、失業(yè)者數(shù)が増加するのを見守ってきたのだ。
1980年までには、われわれは信條を新たにするときであることを知っていました。われわれの全ての力をふりしぼって、個人の自由が秩序ある社會と調(diào)和する最終段階を目指して。
われわれは當(dāng)時も今もこういうことを信じていた。男女が自由に自分の夢を追い求めれば、発展と人類の進(jìn)歩には限りがないということを。そしてわれわれがそのことを信じたのは正しかったのです。稅率は低くなってきて、インフレは劇的に沈靜化した。そして歴かつてないほど失業(yè)率は低くなっている。
われわれはこの國をふたたび活気に満ちた、頑強で、生き生きとした場所としていこう。だが、まだ登るべき山は多い。われわれは、全てのアメリカ人が自由や尊厳や機會を存分に生まれながらの権利として享受するまで休息することはない。それは、この偉大な共和國の市民としての生まれながらの権利であり、われわれはこの目標(biāo)を達(dá)成しなければならない。
アメリカ人が進(jìn)歩の自信や伝統(tǒng)をとりもどすまでには、何年もかかることだろう。そのときには、われわれは信仰、家族、仕事、隣人の価値を現(xiàn)代のものとして取り戻す。そのときには、われわれは経済を政府の統(tǒng)制下から最終的に解き放つ。そのときには、われわれが重要な兵器削減、防衛(wèi)と経済の再構(gòu)築、そして新しいテクノロジーを発展させるのに真摯な努力をして、トラブルにみちた世界で平和を保つ助けとなる。そのときには、アメリカ人が勇気をもって世界中の自由、自治や自由な進(jìn)取の気性への努力を支持したり、歴史の潮流を全體主義の暗黒から人類の自由の溫かい日ざしへと変えるのだ。
わがアメリカ國民よ、われわれの國は偉大さに備えなければならない。われわれは自身で正しいと思うことをしなければならない、神の助けをかりてそれをしなければならない。歴史がいうように「黃金の時があった、アメリカ獨立戦爭が再生したとき、自由が新しい生命をえたとき、アメリカがベストをつくそうとしていたとき」
われわれの2大政黨制は、何年ものあいだすばらしく機能してきたが、われわれが民主主義か共和主義かではなく、共通の大義の下に結(jié)束したアメリカ人として集まったときほどすばらしいチャレンジをしたときはない。
われわれの建國の父たちの2人、アダムという名前のボストンの弁護(hù)士とジェファーソンという名前のヴァージニア入植者、インディペンデンス・ホールでその顔をみて、彼らは世界を再び始めることができるだろうかと考えたりさせるあのなグループのメンバーは、われわれに貴重な教訓(xùn)を殘してくれました。かれらは1800年の大統(tǒng)領(lǐng)選挙では政治的に対立する関係になっていました。それから數(shù)年後、2人とも引退して、年をとって怒りもおさまり、2人は文通でお互いに対話をはじめました。このわれわれの政府を築くのに力を貸した2人の間に再びきずながもどったのである。
1826年、獨立宣言の50周年に、2人はともになくなりました。2人は同じ日に、數(shù)時間差でなくなりました。その日は7月4日でした。
2人が晩年に交わした手紙の一通では、ジェファーソンはこう書いています。「わたしはあのときのことを思い出す。困難と危険に満ちていたが、われわれは同じ大義の下に集まった同志で、人類にとって、もっとも価値があるもの、つまり自治の権利を求めて奮闘したときのことを。いつも同じオールをもって取り組み、行く手にはわれわれを飲み込もうとする波があるが、無傷でのりきってきた……われわれは心から進(jìn)んであらしを乗り切ってきました」
さて、心から進(jìn)んで、一人の人間として今日立ちあがろ。神の下の一人の人間として、われわれの將來がわれわれの過去に値するものであるように決心しよう。われわれがそうすれば、過去の善意によるエラーをくりかえすことはない。われわれは働く男女の信頼に、かれらの稼ぎをうぬぼれた連邦の支配者層の際限なく要求されるものがむだに追い求められて、再びつけこむようなことがあってはならない。あなたがたは、1980年にこの失敗する処方箋をやめさせるためにわれわれを選挙で選んだ。あなたがたが、われわれをその流れを逆行させるために1984年に再選させたとは私は信じない。
われわれの努力の本質(zhì)は、25ヶ月連続の経済成長によって正しいと証明されている。自由とインセンティブは、人類の進(jìn)化の本質(zhì)である推進(jìn)力と企業(yè)家の精神を解き放つ。われわれはその仕事、貯蓄、投資からもたらされる報酬をふやしはじめてきた。われわれはコストの増加や政府の大きさ、人々の生活への干渉の増加を少なくしはじめてきた。
われわれは、稅制を簡素化しなければならない、より公正なものとして、全ての働いて報酬を得るものに対して稅率をさげなければならない。われわれは、改めて考え直して大膽に行動しなければならない。そして仕事を求めている全てのアメリカ人が、仕事を見つけられるようにしよう。そしてわれわれの誰もが偉大なことをなしとげる、つまりわれわれの病気をいやすヒーローになり、空腹を満たし、國と國の間の平和を保ち、この世界をよりよい場所にすることをなしとげる平等なチャンスをもてるようにしよう。
新しいアメリカの奴隷解放のときがきている。國家をあげて、経済の障壁を取り除き、われわれの國でもっとも困窮している地域において企業(yè)心をときはなつことを推進(jìn)するときが。わが國民よ、ともにこれをなしとげよう、なしとげなければならない、そして神が助けてくれるだろう。成長への新しい機會は新しい自由から生まれるだろう、それはより生産的で、充実して結(jié)束した人々、そしてより強いアメリカ人であり、テクノロジー革命を先導(dǎo)し、精神と心と魂を文學(xué)、音楽、詩の寶庫や信仰、勇気、そして愛の価値へと開くアメリカ人である。
働いて稅金を支払うより多くの國民による活発な経済は、予算の赤字を削減するもっとも強力な集団となるだろう。しかしほぼ50年にもおよぶ赤字の垂れ流しが、最後にはわれわれを清算するときに至らせたということだ。われわれはターニングポイント、厳しい選択をせまられているときにさしかかっている。私は閣僚やスタッフに一つ疑問をなげかけたことがある。そして今、私は同じ疑問をわれわれみなになげかけたい。われわれにでなければ、誰に? 今でなければ、いつ? われわれみなは、均衡した予算を達(dá)成するという目的のプログラムを遂行しなければならない。それからわれわれは、國家の借金を削減しはじめることができる。
私はすぐに、連邦議會に來年の政府の予算を凍結(jié)することを目的とした予算を提出したい。そのうえ、われわれは稅とその使い方についての政府の力を永久に管理するために前進(jìn)しなければならない。われわれは今、將來の世代を守るために、借金をしはらうときに政府がその國民の金を使い込んだり、奴隷狀態(tài)になるほどの稅金をかけたりしないように行動しなければならない。連邦政府が収入以上に使うことは、憲法違反ということにしようではないか。
われわれは既に、より自身で責(zé)任をもってかかわれる人民や州や地方政府のところへ回帰し始めている。ただ、社會的な思いやりについては連邦政府にも適切な役割がある。しかしわれわれの基本的な目的は、従屬を解き、弱く不利な立場のものの尊厳を高めることでなければならない。そして今、成長する経済と家族やコミュニティの支持がわれわれに、このような社會を?qū)g現(xiàn)するもっともいいチャンスを提供している。つまり思いやりが一つの生き方であり、老人や弱いものはケアをうけ、若者や、そうだ、まだ生まれていないものが保護(hù)され、そして不幸なものに関心がはらわれ自身をとりもどせる社會を。
そして、連邦政府が役割をはたせる場所はほかにもある。年をとった一人のアメリカ人として、私はわれわれの國のさまざまな人種や信條や民族の人々が、社會のしきたりや、そうだ、法律によってうめこまれた悪意や偏見を見たときを思い出す。われわれの歴史でこれほど勇気づけられる話があるだろうか。つまり神がわれわれの使命とした「人類の兄弟愛」を目指してきたわれわれの過程の話ほどに。全ての國民が尊厳にみちて、機會にあふれているアメリカへの道には引き返したり、躊躇したりすることはないだろうと心に決めてほしい。
われわれみなが、白人も黒人も、富める者も貧しき者も、若者も年よりもともに手に手をとって前進(jìn)するような機會にあふれたアメリカ社會を築くことを心に決めようではないか。われわれの受け継いだものは地球上のあらゆる場所からの人々の血縁だが、われわれはみな、この永遠(yuǎn)につづく、地球上でもっとも素晴らしい人類の希望を受け継いでいくことを誓ったアメリカ人であることを再び思い出そうではないか。
私は、われわれが挙國一致政府に課した自國內(nèi)の目標(biāo)や制約について話してきた。私に挙國一致政府の第一の責(zé)任、つまりわれわれ國民の安全と無事をまもる仕事にとりかからせてほしい。
今日、われわれは地球上での平和のための過去の祈りより熱心な祈りの言葉を口に出すわけではない。しかしながら歴史は平和が実現(xiàn)していないことを示している。そればかりか自由も十分ではない、ただ善意があるだけである。世界には、われわれの人間の尊厳や自由の理想を貶める人々もいるだろう。ある國、ソ連は人類の歴かつてないほど強大な軍隊を組織してきて、恐ろしい攻撃用武器の武器庫を作ってきた。
われわれは防衛(wèi)能力を高める努力をしてきた。しかしするべきことは、まだたくさんある。アメリカが自由、安全、平和を守るために責(zé)任を果たすだろうことを、われわれは浮き足だってはならないし、ましてや他の國に疑われるようなことがあってはならない。
國防の費用を削減するためには、安全で妥當(dāng)な方法がたった一つだけある。それは、國防の必要性を減らすための方法でもある。それは、ソ連と交渉をもつようにすることである。われわれは核兵器のさらなる増加に上限を設(shè)ける話し合いをするだけではない。その代わりに、われわれはその數(shù)を減らそうとしている。われわれはいつの日か、地球上から核兵器を全廃しようとしている。
さて、何十年も、われわれとソ連は相互に確実に破壊をもたらす恐怖の下で暮らしてきた。もし片方が核兵器に訴えるようなことがあれば、もう片方は始めた側(cè)に報復(fù)し、破壊しつくすことだろう。もし片方がわれわれ何千萬人を殺すと脅すなら、われわれのの頼みの綱は相手の何千萬人を殺すと脅すことであると信じるのに論理やモラルがあるだろうか?
私は、もしできるなら、核ミサイルが標(biāo)的に達(dá)する前に破壊する防御シールドを見出す調(diào)査プログラムを認(rèn)めてきた。それで人が死ぬことはない、それは兵器を破壊するだろう。それは宇宙を軍備するわけではない、それは地球の兵器庫の軍備を解くだろう。それは核兵器を無力にするだろう。われわれは、世界を核の破壊の脅威から自由にする方法で合意できる希望をもちながら、ソビエトと相対することができる。
アメリカは自由の一番信頼できる友人でなければならない、なぜなら自由はわれわれの一番の味方であるから。
そして、貧困を根絶し平和を維持するためには、それが世界のの希望である。貧困にくらわせる一撃一撃が、抑圧と戦爭の暗い結(jié)びつきへの一撃となるのである。人類の自由の全ての勝利が、世界平和への勝利となるのである。したがって今日われわれは前進(jìn)しよう、國は若くまだ力があり、その意思は強い。われわれは同盟國に力づけられ、われわれの経済が世界を新しい経済の発展に導(dǎo)くので、世界が豊かになる大きな可能性に期待している。そしてこれらはすべてわれわれが働き、ともに行動するためであり、政黨のメンバーだからでなく、アメリカ人であるからである。
國民よ、われわれは明かりで照らされている世界に生きている。多くのことが変化しており、これからも変化するだろう、しかし多くのことに耐え、時を超越しよう。
歴史はつねにひろげられているリボンのようなものである。歴史は旅である。そしてわれわれが旅を続けるとき、われわれの前に旅していた人々のことを考えよう。われわれは再び、この民主主義のシンボルの階段に立っています。もしこれほど寒くなければ、外の階段に立っていたかも知れません。今、われわれはこの民主主義のシンボルの內(nèi)側(cè)に立っています。今、われわれは再び、過去のこだまを聞きます。一人の將軍が、フォージバレーでの激しい雪のなかでひざを落としています。大統(tǒng)領(lǐng)は一人孤獨に暗いホールを歩き、そして連邦を維持するためにどうすればいいか考えています。アラモの男たちは、お互いを鼓舞しています。一人の開拓者が西へ進(jìn)み、歌を歌っています。そしてその歌は永遠(yuǎn)にひびきわたり、知らずのうちに辺りを満たしています。
それこそがアメリカの歌です。希望や自信にみちて、理想主義的で、勇気があり、慎み深く、フェアーです。それが、われわれが受け継いだものです。それがわれわれの歌であり、われわれは今でもそれを歌っています。われわれの全ての問題や、われわれの相違に対して、このもっとも美しいしらべの音楽の作曲者である神へわれわれの聲をあげるときに、昔からともに力をあわせてきた。そして神はわれわれが世界をこの歌で満たそうとするように、われわれを側(cè)においているのだろう。聲をあわせた愛著、愛情にみちた歌であり、神の下の一人の人間として、神が人間の心に置いた自由の夢に専心し、その夢を待ち構(gòu)えている希望に満ちた世界へと受け渡すように。
神のご加護(hù)があなたがたとアメリカにありますように
マシアス上院議員、バーガー裁判所長官、ブッシュ副大統(tǒng)領(lǐng)、オニール下院議長、フォール上院議員、聖職者の方、私の家族や友人や國民のみなさん。
さしあたって欠席しているジョン・ステニス上院議員が今日ここに出席されていれば、より輝きをましたことでしょう。
神のご加護(hù)がありますように、そしてようこそここに。
ただ、今日われわれと一緒に同席していない人が一人います。フジル・ロング、ルイジアナ下院議員は昨晩なくなりました。われわれみなでしばらく黙禱をささげたいと思います。(しばし黙禱) アーメン。
あなたがたが私に授けてくれたすばらしい名譽に対して、感謝の念をどれほど表しても十分とはいえないでしょう。あなたがたの信頼にこたえるべく、最善をつくしたいと思います。
マシアス上院議員が私に言うには、この大統(tǒng)領(lǐng)就任演説はわれわれ國民がこの歴史的なときを祝ってから50回目にあたるそうです。初代大統(tǒng)領(lǐng)のジョージ・ワシントンが聖書に手を置いたとき、かれは粗野な未開の荒地から馬で1日ほどの場所に立っていました。當(dāng)時は13の州に400萬のアメリカ人がいましたが、今日50の州にその60倍の人々がいます。われわれが発明したもので世界を照らし、世界中どこへでも助けを求める聲がするところに行き、月に旅行し無事にもどってきました。それほどの変化があったのです。それにもかかわらず、われわれは2世紀(jì)前と同じように一緒にここに立っています。
私が4年前に誓ったときは、経済的な重圧の中にいました。偉大さと栄光に彩られた過去を振り返らなければならないといった聲がまわりから上がっていました。しかしわれわれ、現(xiàn)在のアメリカ國民は過去を振り返る必要はありません。このめぐまれた國土には、常によりよい明日があるのです。
4年前、私はあなたがたに新しい始まりについて語り、われわれはそれをなしとげました。しかしある意味では、われわれの新しい始まりは、2世紀(jì)前に歴初めて人民の政府がわれわれの主人ではなく、われわれに仕えるものとなったときからの綿々たる連なりなのです。
政府こそが、われわれ人民が権力をもつことを許すのものなのです。
このシステムは決してわれわれの期待にそむくことはなかった。ただ時には、われわれはシステムの運用に失敗しました。われわれは政府には供給できないようなものを政府に求めたのです。われわれは、本當(dāng)は州や自治體や人民自身に屬するはずの権力を、挙國一致政府にまかせてきた。われわれは稅金やインフレがわれわれから稼ぎや貯金を盜むままにし、われわれを地球上でもっとも生産力のある國民にしてきた偉大なる産業(yè)機構(gòu)がスローダウンし、失業(yè)者數(shù)が増加するのを見守ってきたのだ。
1980年までには、われわれは信條を新たにするときであることを知っていました。われわれの全ての力をふりしぼって、個人の自由が秩序ある社會と調(diào)和する最終段階を目指して。
われわれは當(dāng)時も今もこういうことを信じていた。男女が自由に自分の夢を追い求めれば、発展と人類の進(jìn)歩には限りがないということを。そしてわれわれがそのことを信じたのは正しかったのです。稅率は低くなってきて、インフレは劇的に沈靜化した。そして歴かつてないほど失業(yè)率は低くなっている。
われわれはこの國をふたたび活気に満ちた、頑強で、生き生きとした場所としていこう。だが、まだ登るべき山は多い。われわれは、全てのアメリカ人が自由や尊厳や機會を存分に生まれながらの権利として享受するまで休息することはない。それは、この偉大な共和國の市民としての生まれながらの権利であり、われわれはこの目標(biāo)を達(dá)成しなければならない。
アメリカ人が進(jìn)歩の自信や伝統(tǒng)をとりもどすまでには、何年もかかることだろう。そのときには、われわれは信仰、家族、仕事、隣人の価値を現(xiàn)代のものとして取り戻す。そのときには、われわれは経済を政府の統(tǒng)制下から最終的に解き放つ。そのときには、われわれが重要な兵器削減、防衛(wèi)と経済の再構(gòu)築、そして新しいテクノロジーを発展させるのに真摯な努力をして、トラブルにみちた世界で平和を保つ助けとなる。そのときには、アメリカ人が勇気をもって世界中の自由、自治や自由な進(jìn)取の気性への努力を支持したり、歴史の潮流を全體主義の暗黒から人類の自由の溫かい日ざしへと変えるのだ。
わがアメリカ國民よ、われわれの國は偉大さに備えなければならない。われわれは自身で正しいと思うことをしなければならない、神の助けをかりてそれをしなければならない。歴史がいうように「黃金の時があった、アメリカ獨立戦爭が再生したとき、自由が新しい生命をえたとき、アメリカがベストをつくそうとしていたとき」
われわれの2大政黨制は、何年ものあいだすばらしく機能してきたが、われわれが民主主義か共和主義かではなく、共通の大義の下に結(jié)束したアメリカ人として集まったときほどすばらしいチャレンジをしたときはない。
われわれの建國の父たちの2人、アダムという名前のボストンの弁護(hù)士とジェファーソンという名前のヴァージニア入植者、インディペンデンス・ホールでその顔をみて、彼らは世界を再び始めることができるだろうかと考えたりさせるあのなグループのメンバーは、われわれに貴重な教訓(xùn)を殘してくれました。かれらは1800年の大統(tǒng)領(lǐng)選挙では政治的に対立する関係になっていました。それから數(shù)年後、2人とも引退して、年をとって怒りもおさまり、2人は文通でお互いに対話をはじめました。このわれわれの政府を築くのに力を貸した2人の間に再びきずながもどったのである。
1826年、獨立宣言の50周年に、2人はともになくなりました。2人は同じ日に、數(shù)時間差でなくなりました。その日は7月4日でした。
2人が晩年に交わした手紙の一通では、ジェファーソンはこう書いています。「わたしはあのときのことを思い出す。困難と危険に満ちていたが、われわれは同じ大義の下に集まった同志で、人類にとって、もっとも価値があるもの、つまり自治の権利を求めて奮闘したときのことを。いつも同じオールをもって取り組み、行く手にはわれわれを飲み込もうとする波があるが、無傷でのりきってきた……われわれは心から進(jìn)んであらしを乗り切ってきました」
さて、心から進(jìn)んで、一人の人間として今日立ちあがろ。神の下の一人の人間として、われわれの將來がわれわれの過去に値するものであるように決心しよう。われわれがそうすれば、過去の善意によるエラーをくりかえすことはない。われわれは働く男女の信頼に、かれらの稼ぎをうぬぼれた連邦の支配者層の際限なく要求されるものがむだに追い求められて、再びつけこむようなことがあってはならない。あなたがたは、1980年にこの失敗する処方箋をやめさせるためにわれわれを選挙で選んだ。あなたがたが、われわれをその流れを逆行させるために1984年に再選させたとは私は信じない。
われわれの努力の本質(zhì)は、25ヶ月連続の経済成長によって正しいと証明されている。自由とインセンティブは、人類の進(jìn)化の本質(zhì)である推進(jìn)力と企業(yè)家の精神を解き放つ。われわれはその仕事、貯蓄、投資からもたらされる報酬をふやしはじめてきた。われわれはコストの増加や政府の大きさ、人々の生活への干渉の増加を少なくしはじめてきた。
われわれは、稅制を簡素化しなければならない、より公正なものとして、全ての働いて報酬を得るものに対して稅率をさげなければならない。われわれは、改めて考え直して大膽に行動しなければならない。そして仕事を求めている全てのアメリカ人が、仕事を見つけられるようにしよう。そしてわれわれの誰もが偉大なことをなしとげる、つまりわれわれの病気をいやすヒーローになり、空腹を満たし、國と國の間の平和を保ち、この世界をよりよい場所にすることをなしとげる平等なチャンスをもてるようにしよう。
新しいアメリカの奴隷解放のときがきている。國家をあげて、経済の障壁を取り除き、われわれの國でもっとも困窮している地域において企業(yè)心をときはなつことを推進(jìn)するときが。わが國民よ、ともにこれをなしとげよう、なしとげなければならない、そして神が助けてくれるだろう。成長への新しい機會は新しい自由から生まれるだろう、それはより生産的で、充実して結(jié)束した人々、そしてより強いアメリカ人であり、テクノロジー革命を先導(dǎo)し、精神と心と魂を文學(xué)、音楽、詩の寶庫や信仰、勇気、そして愛の価値へと開くアメリカ人である。
働いて稅金を支払うより多くの國民による活発な経済は、予算の赤字を削減するもっとも強力な集団となるだろう。しかしほぼ50年にもおよぶ赤字の垂れ流しが、最後にはわれわれを清算するときに至らせたということだ。われわれはターニングポイント、厳しい選択をせまられているときにさしかかっている。私は閣僚やスタッフに一つ疑問をなげかけたことがある。そして今、私は同じ疑問をわれわれみなになげかけたい。われわれにでなければ、誰に? 今でなければ、いつ? われわれみなは、均衡した予算を達(dá)成するという目的のプログラムを遂行しなければならない。それからわれわれは、國家の借金を削減しはじめることができる。
私はすぐに、連邦議會に來年の政府の予算を凍結(jié)することを目的とした予算を提出したい。そのうえ、われわれは稅とその使い方についての政府の力を永久に管理するために前進(jìn)しなければならない。われわれは今、將來の世代を守るために、借金をしはらうときに政府がその國民の金を使い込んだり、奴隷狀態(tài)になるほどの稅金をかけたりしないように行動しなければならない。連邦政府が収入以上に使うことは、憲法違反ということにしようではないか。
われわれは既に、より自身で責(zé)任をもってかかわれる人民や州や地方政府のところへ回帰し始めている。ただ、社會的な思いやりについては連邦政府にも適切な役割がある。しかしわれわれの基本的な目的は、従屬を解き、弱く不利な立場のものの尊厳を高めることでなければならない。そして今、成長する経済と家族やコミュニティの支持がわれわれに、このような社會を?qū)g現(xiàn)するもっともいいチャンスを提供している。つまり思いやりが一つの生き方であり、老人や弱いものはケアをうけ、若者や、そうだ、まだ生まれていないものが保護(hù)され、そして不幸なものに関心がはらわれ自身をとりもどせる社會を。
そして、連邦政府が役割をはたせる場所はほかにもある。年をとった一人のアメリカ人として、私はわれわれの國のさまざまな人種や信條や民族の人々が、社會のしきたりや、そうだ、法律によってうめこまれた悪意や偏見を見たときを思い出す。われわれの歴史でこれほど勇気づけられる話があるだろうか。つまり神がわれわれの使命とした「人類の兄弟愛」を目指してきたわれわれの過程の話ほどに。全ての國民が尊厳にみちて、機會にあふれているアメリカへの道には引き返したり、躊躇したりすることはないだろうと心に決めてほしい。
われわれみなが、白人も黒人も、富める者も貧しき者も、若者も年よりもともに手に手をとって前進(jìn)するような機會にあふれたアメリカ社會を築くことを心に決めようではないか。われわれの受け継いだものは地球上のあらゆる場所からの人々の血縁だが、われわれはみな、この永遠(yuǎn)につづく、地球上でもっとも素晴らしい人類の希望を受け継いでいくことを誓ったアメリカ人であることを再び思い出そうではないか。
私は、われわれが挙國一致政府に課した自國內(nèi)の目標(biāo)や制約について話してきた。私に挙國一致政府の第一の責(zé)任、つまりわれわれ國民の安全と無事をまもる仕事にとりかからせてほしい。
今日、われわれは地球上での平和のための過去の祈りより熱心な祈りの言葉を口に出すわけではない。しかしながら歴史は平和が実現(xiàn)していないことを示している。そればかりか自由も十分ではない、ただ善意があるだけである。世界には、われわれの人間の尊厳や自由の理想を貶める人々もいるだろう。ある國、ソ連は人類の歴かつてないほど強大な軍隊を組織してきて、恐ろしい攻撃用武器の武器庫を作ってきた。
われわれは防衛(wèi)能力を高める努力をしてきた。しかしするべきことは、まだたくさんある。アメリカが自由、安全、平和を守るために責(zé)任を果たすだろうことを、われわれは浮き足だってはならないし、ましてや他の國に疑われるようなことがあってはならない。
國防の費用を削減するためには、安全で妥當(dāng)な方法がたった一つだけある。それは、國防の必要性を減らすための方法でもある。それは、ソ連と交渉をもつようにすることである。われわれは核兵器のさらなる増加に上限を設(shè)ける話し合いをするだけではない。その代わりに、われわれはその數(shù)を減らそうとしている。われわれはいつの日か、地球上から核兵器を全廃しようとしている。
さて、何十年も、われわれとソ連は相互に確実に破壊をもたらす恐怖の下で暮らしてきた。もし片方が核兵器に訴えるようなことがあれば、もう片方は始めた側(cè)に報復(fù)し、破壊しつくすことだろう。もし片方がわれわれ何千萬人を殺すと脅すなら、われわれのの頼みの綱は相手の何千萬人を殺すと脅すことであると信じるのに論理やモラルがあるだろうか?
私は、もしできるなら、核ミサイルが標(biāo)的に達(dá)する前に破壊する防御シールドを見出す調(diào)査プログラムを認(rèn)めてきた。それで人が死ぬことはない、それは兵器を破壊するだろう。それは宇宙を軍備するわけではない、それは地球の兵器庫の軍備を解くだろう。それは核兵器を無力にするだろう。われわれは、世界を核の破壊の脅威から自由にする方法で合意できる希望をもちながら、ソビエトと相対することができる。
アメリカは自由の一番信頼できる友人でなければならない、なぜなら自由はわれわれの一番の味方であるから。
そして、貧困を根絶し平和を維持するためには、それが世界のの希望である。貧困にくらわせる一撃一撃が、抑圧と戦爭の暗い結(jié)びつきへの一撃となるのである。人類の自由の全ての勝利が、世界平和への勝利となるのである。したがって今日われわれは前進(jìn)しよう、國は若くまだ力があり、その意思は強い。われわれは同盟國に力づけられ、われわれの経済が世界を新しい経済の発展に導(dǎo)くので、世界が豊かになる大きな可能性に期待している。そしてこれらはすべてわれわれが働き、ともに行動するためであり、政黨のメンバーだからでなく、アメリカ人であるからである。
國民よ、われわれは明かりで照らされている世界に生きている。多くのことが変化しており、これからも変化するだろう、しかし多くのことに耐え、時を超越しよう。
歴史はつねにひろげられているリボンのようなものである。歴史は旅である。そしてわれわれが旅を続けるとき、われわれの前に旅していた人々のことを考えよう。われわれは再び、この民主主義のシンボルの階段に立っています。もしこれほど寒くなければ、外の階段に立っていたかも知れません。今、われわれはこの民主主義のシンボルの內(nèi)側(cè)に立っています。今、われわれは再び、過去のこだまを聞きます。一人の將軍が、フォージバレーでの激しい雪のなかでひざを落としています。大統(tǒng)領(lǐng)は一人孤獨に暗いホールを歩き、そして連邦を維持するためにどうすればいいか考えています。アラモの男たちは、お互いを鼓舞しています。一人の開拓者が西へ進(jìn)み、歌を歌っています。そしてその歌は永遠(yuǎn)にひびきわたり、知らずのうちに辺りを満たしています。
それこそがアメリカの歌です。希望や自信にみちて、理想主義的で、勇気があり、慎み深く、フェアーです。それが、われわれが受け継いだものです。それがわれわれの歌であり、われわれは今でもそれを歌っています。われわれの全ての問題や、われわれの相違に対して、このもっとも美しいしらべの音楽の作曲者である神へわれわれの聲をあげるときに、昔からともに力をあわせてきた。そして神はわれわれが世界をこの歌で満たそうとするように、われわれを側(cè)においているのだろう。聲をあわせた愛著、愛情にみちた歌であり、神の下の一人の人間として、神が人間の心に置いた自由の夢に専心し、その夢を待ち構(gòu)えている希望に満ちた世界へと受け渡すように。
神のご加護(hù)があなたがたとアメリカにありますように

