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海底の靜香へ
    作者:長倉良美 神奈川県・80歳・無職
    あなたに初めてお會いしたのは、昭和19年の夏頃でした。
    私の叔父の居る東京深川の出身という、大村靜子さんをラバウルの慰安所にお尋ねした時でした。
    「私の妹分で、岡村靜香さんです。名前も私がつけたんですよ」
    と、あなたを紹介してくれました。
    甘い物が大好きというあなたに、隊から支給された甘味品を持って何回か訪れました。
    その都度、あなたはご飯の支度をしてくれて二人で食事をしましたね。
    何回も通いながらも體を觸れ合う事もなく、あくまでも兄と妹のような親しみでした。
    「田舎の妹のようだ」
    と私が言うと、あなたはとても喜んでくれましたね。
    19年10月頃、爆撃が激しくなり、女の人達は輸送船で內(nèi)地へ送り返されることになりました。
    あなたと別れの日、私には最初で最後の接吻でした。私が、
    「若しも生きて帰れたら、必ず結(jié)婚してください」
    と言って、東京の連絡(luò)先のメモを渡した時、あなたは泣いていましたね。あの言葉は噓でも冗談でもなく、心から真実そう思ったからです。
    それから2日後、あなたの乗った輸送船が魚雷を受けて太平洋で沈沒したとの情報が入りました。私の頭の中は真っ白になりました。それからの私の戦爭は自暴自棄でした。
    昭和20年8月15日終戦、幸か不幸か生きて帰りました。
    あれから55年、町であなたに似た人を見かけるとぎくりとして面影を追いました。
    今は平和で幸せな毎日です。でも、一日としてあなたを忘れたことはありませんでした。
    初戀の人であり、私が一生に一度だけ結(jié)婚してくださいと言った人ですから。
    最後にお願いですが、來世は私と一緒になって、そして、美味しい味噌汁をまた食べさせてくださることを約束してください。
    何年か前に詠んだ歌です。
    徒然に文など書かな海底の
    少女慰安婦 岡村靜香へ
    ラバウル:パプア-ニューギニアのニューブリテン島北東端にある港灣都市。太平洋戦爭中,日本海軍航空隊の基地があった。
    分:名詞の下に付いて用いる。一定の関係にあることを表す?!感值塄D」「兄貴―」
    幸か不幸か(こうかふこうか):そのことが好いことか悪いことか判斷がつきかねるが。(多く、結(jié)果的には「幸いなことに」という意味合いで用いる)
    面影(おもかげ):実際に目の前にあるように心の中に浮かぶ姿・かたち。記憶に殘っている顔や姿。「彼女の―がちらつく」「幼時の―」