「遠い親戚より近くの他人」なんていうけれど、まさか「同居の家族より遠くの他人」が僕の誕生日を祝ってくれるとは思わなかった。
朝起きて僕は、からだの異変にまったく気が付くことがなかった。昨日までは38歳、今日からは39歳だというのに、その変化をまるで感じなかったのである。
1つ歳をとるって、たいしたことないのねぇ~。
だから僕は、自分の誕生日であることにまるで気がつくことなく、朝食を食べたのだ。
パンをたべてコーヒーを飲んで、ヨーグルトをやっつけると僕の攜帯電話がピコピコ鳴り出した。これは、メールがきたというお知らせなのだ。
僕のメールボックスは非常に便利になっていて、メールがくると、もちろんメールソフトを起動していれば「メールが來ました」とパソコンの畫面に表示されてそれを読むことができるのだけれど、攜帯電話にも転送されるのである。
僕はパソコンの電源を入れて、メールを読みはじめた。すると、なんと數(shù)名の方から「お誕生日おめでとう」のメールがきているではないか。
「そうか、今日は4月9日。死ぬとき苦しむ。死んだら腐る。しかばね臭い、の4月9日。僕の誕生日ではないか。わっはっは」と、これでやっと気が付いたのであった。
僕は早食いである、したがって家族で一番初めに食べ終ってしまう。僕はまだもぐもぐと食事をしている家內(nèi)や子供たちに、今日は何の日?」と聞いてみた。
「日曜日?!?BR> 「そうじゃなくてさ、他になにかあるでしょ?」と言っても、まるでだーーれもわからない。
子供の誕生日ともなれば丸いケーキを注文して、家中大騒ぎの大イベントだ。家內(nèi)の誕生日だって、とりあえず僕はケーキを注文したりプレゼントを用意したりしているのではないか。
それなのに僕の誕生日はいったいどこへ行ってしまったんだ。
「今日は僕の誕生日らしいんだけど……」控えめにそう言ってみると、家內(nèi)は口の中にパンを入れたまま、「あ、もぐもぐ。ほうだったぁ。あはは。もぐもぐ。わふれてたぁ。わっはっは。もぐもぐ」
と言っただけだった。
世の中では「子供はいくつになってもこども」というから期待して、二世帯住宅である我が家の一階に住むジジババのところへ下りて行ってみたら、こっちも覚えてない。孫の誕生日となったら1ヶ月以上前から騒いでいるくせに……。
しかし、僕ももう子供じゃない。丸くてロウソクの燈ったケーキに「ハッピバースデーツーユー」の歌の終わりを合図に、「ふーーっ」しようなんて思っているわけじゃないのだ。いつもと違ったちょっとだけ贅沢した食事をたべて、ゆっくりして、そして「ああ、また一年歳を重ねたんだなぁ」なんてこの一年を回想できればそれでいいのである。
お晝ご飯の時間が近づくと、家內(nèi)は小學(xué)校2年の息子と1年の娘と3人で食事の支度をはじめた。子供たちが食事作りを手伝うなんて事は餃子のとき以外はないことなのだ。子供たちはなぜか餃子を作るのがすきで、あれだと手伝いをしたがる。ただ面倒なのは食べる段になって、「これはつぶれているから僕の餃子だ」「これは大きいからあたしのよ」と所有権があるらしく、「これはいいの?」と聞いてからじゃないと食べられなくなることだ。餃子を作るときは食卓テーブルでわいわいやっているのに、今日の晝食作りは3人が臺所の奧でこそこそやっているから、それではないらしい。
僕は「パパの誕生日のために、3人で手作り料理をやってくれてるんだな」と悟り、密かにそれを楽しみに2歳の末娘の面倒を見ていたのだった。
僕の誕生日だと知るや、遅まきながら長女と長男は手作りのプレゼントを作ってくれた。僕の似顔絵を二人で描いてくれたのである。こういう手作りのプレゼントが本當(dāng)は一番うれしい。そして家內(nèi)は子供たちと一緒に手作りのランチを僕のために作ってくれている。まあ、誕生日を忘れられたのはショックだったけれど、これで僕はあっという間になった。
しばらくすると家內(nèi)が臺所から料理を運んできた。
僕はまだ気がつかないふりをしながらテレビを見ていた。すると家內(nèi)は持ってきた料理をテーブルの上にどんと置いて言ったのだ。
「今日は久しぶりに……。こんなのはめったにしない晝食だけど……」
めったにしない食事。つまりご馳走だ。久しぶりのご馳走なのだ!
僕はようやく腰を浮かせて體ごと視線をテレビから食卓テーブルの上に移した。ここで目に映った料理を見て、「わおっ、すごい。これはご馳走じゃないか。いったいどうしたんだい、こんなご馳走を???」と叫べば、
「なにいってんの。今日はあなたの誕生日じゃない。うふふ」
と、こういうせりふのやり取りになる。お決まりのパターンなのである。
僕はそんなパターンを期待しながら、テーブルに目をやった。すると、そこにはなんと、いびつで大きさがさまざまなおにぎりだけがドカンと乗っていたのである。
「今日は久しぶりに粗食デーにしましたーー! たまには體のために粗食がいいのよねー」
またまたすっかり僕の誕生日を忘れた家內(nèi)は、本日を粗食デーにしたのでありました。
わざとではないか、という思いが半信半疑のうちに、僕の誕生日は終わったのでありました。
單詞解釋
1、 ヨーグルト: 酸奶
2、 しかばね(屍): 尸體
3、 とりあえず: 1)匆忙,急忙 2)立刻,馬上 3)先,首先
4、 もぐもぐ: 1)閉著嘴咀嚼(的樣子) 2)含糊不清地(說)
5、 ロウソク(蝋燭): 蠟燭
6、 合図:信號
7、 世?。à护郡ぃ?家庭,一戶
8、 贅沢(ぜいたく): 1)奢侈,奢華 2)過分
9、 悟(さと)る: 1)領(lǐng)悟,覺悟 2)發(fā)覺,察覺 3)看透,認清 4)開悟,悟道
10、 密(ひそ)かに: 1)秘密,暗中,偷偷 2)私自
11、 似顔絵(にがおえ): 肖像(畫)
12、 上機嫌(じょうきげん): 心情、情緒很好,非常高興
13、 ふりをする: 裝作……的樣子
譯文
生 日
雖說“遠親不如近鄰”,但我真沒想到“同住的家人不如遠方的朋友”給我慶祝生日。
一早起來,絲毫沒覺得身體有什么異變。雖說到昨天為止是38歲、今天開始是39歲,不過實在沒什么特別的感覺。
長了一歲,也不是什么大不了的事啊……
所以,我完全沒想起來今天是自己生日,照舊吃著早飯。
吃了面包喝了咖啡,剛想吃酸奶,我的手機啾啾地響了,這是有電子信件來的通知。
我的郵箱很方便,有信來的話,如果開了郵件軟件,電腦屏幕上自然會提示“有信來”,并可以閱讀,而且也會轉(zhuǎn)送到手機上。
我接通電腦電源,開始讀信。一看,竟然有好幾個人發(fā)信說“祝你生日快樂”。
“啊,今天是4月9日。死的時候會痛苦,死了之后會腐爛,尸體會腐臭的4月9日。不正是我的生日嗎?哇哈哈……”我終于意識到今天是我的生日。
我吃飯很快,因此在家里總是第一個吃完。我問還在滿嘴咀嚼的妻子和孩子:“今天是什么日子?” “星期天?!?BR> “不是問這個。其他還有什么的吧?”我這么說了,好像還是沒人明白。
要是是孩子的生日,就定一個圓圓的蛋糕,在家里熱鬧一番。即便是妻子的生日,我也會先預(yù)定一個蛋糕或是準備一份禮物。不正是這樣的嗎?
但是,我的生日到底跑到哪里去了呢?
“今天好像是我的生日啊……”我試著這么一說。妻子嘴里含著面包,只說:“啊,唔唔,真的呢,哈哈,唔唔,忘掉了,哇哈哈,唔唔?!?BR> 都說“孩子長到多大都還是孩子”,我這么期待著,下到三代同堂的我們家的一樓住著的阿爺阿奶處,結(jié)果他們也不記得。但要是孫子的生日,他們早一個月就開始忙活了。 不過,我也不是小孩子了。并沒有想要在“Happy birthday day to you”的歌曲結(jié)束的時候,往那個圓圓的、插著蠟燭的蛋糕上“呼——”地吹一下什么的。
只是想要跟平時不同、稍微奢侈一點的飯菜,慢慢地吃,然后說一句“啊,又添了一歲啊……”回想這一年,能這樣就足夠了。
臨近吃午飯的時候,妻子和小學(xué)三年級的兒子、二年級的女兒三個人一起開始準備午飯。說孩子們幫著做飯,其實也只有在包餃子的時候。不知道為什么孩子們就喜歡包餃子,每每想來幫忙。只是吃的時候有點麻煩,“那個破的是我的餃子”,“那個大的是我包的”,好像有所有權(quán)一樣,不先問問“這個可以吃嗎?”就吃不成。他們包餃子的時候總是在桌子旁邊吵邊鬧,今天三個人卻在廚房里面偷偷摸摸地做飯,又好像不是包餃子。
“是為了爸爸的生日,三個人親手給我做飯??!”我恍悟了這點,偷偷樂著,照顧只有2歲的小女兒。
一知道是我的生日,雖然遲了一點但大女兒和大兒子還是親手給我做禮物。兩個人在給我畫像。這樣親手做的禮物是最令人高興的。而且妻子和孩子們一起正在為我做午飯。哎,雖然忘記生日令我有點吃驚,但這樣一來我的心情又一下子變得很好起來。
過了一會,妻子把飯菜從廚房端出來。我仍裝著沒注意到的樣子看著電視。于是妻子把端出來的菜“咚”地一聲方在桌子上,說: “今天很難得……這樣的午飯時很少有的……”
很少有的午飯,就是盛餐了。久違了的一頓豐盛的午餐!
我終于直起身,把身體和視線從電視機移動到飯桌上??戳俗郎系娘埐耍械溃骸巴?!好豐盛??!這么豐盛,到底是怎么回事呢?”
“說什么呢,今天不是你的生日嗎?呵呵?!本烷_始這樣的臺詞對話,這是一如既往的模式。
我一邊期待這樣的模式,一邊往桌上瞄。只見桌上只是堆著歪歪斜斜、大大小小的飯團子。
“今天就做久違了的粗食日了!為了身體偶爾吃點粗食也不錯?。 ?BR> 又一次把我的生日忘得一干二凈的妻子,竟然把今天作為粗食日!
不會是故意的吧,我半信半疑地想著,生日這天就結(jié)束了。
朝起きて僕は、からだの異変にまったく気が付くことがなかった。昨日までは38歳、今日からは39歳だというのに、その変化をまるで感じなかったのである。
1つ歳をとるって、たいしたことないのねぇ~。
だから僕は、自分の誕生日であることにまるで気がつくことなく、朝食を食べたのだ。
パンをたべてコーヒーを飲んで、ヨーグルトをやっつけると僕の攜帯電話がピコピコ鳴り出した。これは、メールがきたというお知らせなのだ。
僕のメールボックスは非常に便利になっていて、メールがくると、もちろんメールソフトを起動していれば「メールが來ました」とパソコンの畫面に表示されてそれを読むことができるのだけれど、攜帯電話にも転送されるのである。
僕はパソコンの電源を入れて、メールを読みはじめた。すると、なんと數(shù)名の方から「お誕生日おめでとう」のメールがきているではないか。
「そうか、今日は4月9日。死ぬとき苦しむ。死んだら腐る。しかばね臭い、の4月9日。僕の誕生日ではないか。わっはっは」と、これでやっと気が付いたのであった。
僕は早食いである、したがって家族で一番初めに食べ終ってしまう。僕はまだもぐもぐと食事をしている家內(nèi)や子供たちに、今日は何の日?」と聞いてみた。
「日曜日?!?BR> 「そうじゃなくてさ、他になにかあるでしょ?」と言っても、まるでだーーれもわからない。
子供の誕生日ともなれば丸いケーキを注文して、家中大騒ぎの大イベントだ。家內(nèi)の誕生日だって、とりあえず僕はケーキを注文したりプレゼントを用意したりしているのではないか。
それなのに僕の誕生日はいったいどこへ行ってしまったんだ。
「今日は僕の誕生日らしいんだけど……」控えめにそう言ってみると、家內(nèi)は口の中にパンを入れたまま、「あ、もぐもぐ。ほうだったぁ。あはは。もぐもぐ。わふれてたぁ。わっはっは。もぐもぐ」
と言っただけだった。
世の中では「子供はいくつになってもこども」というから期待して、二世帯住宅である我が家の一階に住むジジババのところへ下りて行ってみたら、こっちも覚えてない。孫の誕生日となったら1ヶ月以上前から騒いでいるくせに……。
しかし、僕ももう子供じゃない。丸くてロウソクの燈ったケーキに「ハッピバースデーツーユー」の歌の終わりを合図に、「ふーーっ」しようなんて思っているわけじゃないのだ。いつもと違ったちょっとだけ贅沢した食事をたべて、ゆっくりして、そして「ああ、また一年歳を重ねたんだなぁ」なんてこの一年を回想できればそれでいいのである。
お晝ご飯の時間が近づくと、家內(nèi)は小學(xué)校2年の息子と1年の娘と3人で食事の支度をはじめた。子供たちが食事作りを手伝うなんて事は餃子のとき以外はないことなのだ。子供たちはなぜか餃子を作るのがすきで、あれだと手伝いをしたがる。ただ面倒なのは食べる段になって、「これはつぶれているから僕の餃子だ」「これは大きいからあたしのよ」と所有権があるらしく、「これはいいの?」と聞いてからじゃないと食べられなくなることだ。餃子を作るときは食卓テーブルでわいわいやっているのに、今日の晝食作りは3人が臺所の奧でこそこそやっているから、それではないらしい。
僕は「パパの誕生日のために、3人で手作り料理をやってくれてるんだな」と悟り、密かにそれを楽しみに2歳の末娘の面倒を見ていたのだった。
僕の誕生日だと知るや、遅まきながら長女と長男は手作りのプレゼントを作ってくれた。僕の似顔絵を二人で描いてくれたのである。こういう手作りのプレゼントが本當(dāng)は一番うれしい。そして家內(nèi)は子供たちと一緒に手作りのランチを僕のために作ってくれている。まあ、誕生日を忘れられたのはショックだったけれど、これで僕はあっという間になった。
しばらくすると家內(nèi)が臺所から料理を運んできた。
僕はまだ気がつかないふりをしながらテレビを見ていた。すると家內(nèi)は持ってきた料理をテーブルの上にどんと置いて言ったのだ。
「今日は久しぶりに……。こんなのはめったにしない晝食だけど……」
めったにしない食事。つまりご馳走だ。久しぶりのご馳走なのだ!
僕はようやく腰を浮かせて體ごと視線をテレビから食卓テーブルの上に移した。ここで目に映った料理を見て、「わおっ、すごい。これはご馳走じゃないか。いったいどうしたんだい、こんなご馳走を???」と叫べば、
「なにいってんの。今日はあなたの誕生日じゃない。うふふ」
と、こういうせりふのやり取りになる。お決まりのパターンなのである。
僕はそんなパターンを期待しながら、テーブルに目をやった。すると、そこにはなんと、いびつで大きさがさまざまなおにぎりだけがドカンと乗っていたのである。
「今日は久しぶりに粗食デーにしましたーー! たまには體のために粗食がいいのよねー」
またまたすっかり僕の誕生日を忘れた家內(nèi)は、本日を粗食デーにしたのでありました。
わざとではないか、という思いが半信半疑のうちに、僕の誕生日は終わったのでありました。
單詞解釋
1、 ヨーグルト: 酸奶
2、 しかばね(屍): 尸體
3、 とりあえず: 1)匆忙,急忙 2)立刻,馬上 3)先,首先
4、 もぐもぐ: 1)閉著嘴咀嚼(的樣子) 2)含糊不清地(說)
5、 ロウソク(蝋燭): 蠟燭
6、 合図:信號
7、 世?。à护郡ぃ?家庭,一戶
8、 贅沢(ぜいたく): 1)奢侈,奢華 2)過分
9、 悟(さと)る: 1)領(lǐng)悟,覺悟 2)發(fā)覺,察覺 3)看透,認清 4)開悟,悟道
10、 密(ひそ)かに: 1)秘密,暗中,偷偷 2)私自
11、 似顔絵(にがおえ): 肖像(畫)
12、 上機嫌(じょうきげん): 心情、情緒很好,非常高興
13、 ふりをする: 裝作……的樣子
譯文
生 日
雖說“遠親不如近鄰”,但我真沒想到“同住的家人不如遠方的朋友”給我慶祝生日。
一早起來,絲毫沒覺得身體有什么異變。雖說到昨天為止是38歲、今天開始是39歲,不過實在沒什么特別的感覺。
長了一歲,也不是什么大不了的事啊……
所以,我完全沒想起來今天是自己生日,照舊吃著早飯。
吃了面包喝了咖啡,剛想吃酸奶,我的手機啾啾地響了,這是有電子信件來的通知。
我的郵箱很方便,有信來的話,如果開了郵件軟件,電腦屏幕上自然會提示“有信來”,并可以閱讀,而且也會轉(zhuǎn)送到手機上。
我接通電腦電源,開始讀信。一看,竟然有好幾個人發(fā)信說“祝你生日快樂”。
“啊,今天是4月9日。死的時候會痛苦,死了之后會腐爛,尸體會腐臭的4月9日。不正是我的生日嗎?哇哈哈……”我終于意識到今天是我的生日。
我吃飯很快,因此在家里總是第一個吃完。我問還在滿嘴咀嚼的妻子和孩子:“今天是什么日子?” “星期天?!?BR> “不是問這個。其他還有什么的吧?”我這么說了,好像還是沒人明白。
要是是孩子的生日,就定一個圓圓的蛋糕,在家里熱鬧一番。即便是妻子的生日,我也會先預(yù)定一個蛋糕或是準備一份禮物。不正是這樣的嗎?
但是,我的生日到底跑到哪里去了呢?
“今天好像是我的生日啊……”我試著這么一說。妻子嘴里含著面包,只說:“啊,唔唔,真的呢,哈哈,唔唔,忘掉了,哇哈哈,唔唔?!?BR> 都說“孩子長到多大都還是孩子”,我這么期待著,下到三代同堂的我們家的一樓住著的阿爺阿奶處,結(jié)果他們也不記得。但要是孫子的生日,他們早一個月就開始忙活了。 不過,我也不是小孩子了。并沒有想要在“Happy birthday day to you”的歌曲結(jié)束的時候,往那個圓圓的、插著蠟燭的蛋糕上“呼——”地吹一下什么的。
只是想要跟平時不同、稍微奢侈一點的飯菜,慢慢地吃,然后說一句“啊,又添了一歲啊……”回想這一年,能這樣就足夠了。
臨近吃午飯的時候,妻子和小學(xué)三年級的兒子、二年級的女兒三個人一起開始準備午飯。說孩子們幫著做飯,其實也只有在包餃子的時候。不知道為什么孩子們就喜歡包餃子,每每想來幫忙。只是吃的時候有點麻煩,“那個破的是我的餃子”,“那個大的是我包的”,好像有所有權(quán)一樣,不先問問“這個可以吃嗎?”就吃不成。他們包餃子的時候總是在桌子旁邊吵邊鬧,今天三個人卻在廚房里面偷偷摸摸地做飯,又好像不是包餃子。
“是為了爸爸的生日,三個人親手給我做飯??!”我恍悟了這點,偷偷樂著,照顧只有2歲的小女兒。
一知道是我的生日,雖然遲了一點但大女兒和大兒子還是親手給我做禮物。兩個人在給我畫像。這樣親手做的禮物是最令人高興的。而且妻子和孩子們一起正在為我做午飯。哎,雖然忘記生日令我有點吃驚,但這樣一來我的心情又一下子變得很好起來。
過了一會,妻子把飯菜從廚房端出來。我仍裝著沒注意到的樣子看著電視。于是妻子把端出來的菜“咚”地一聲方在桌子上,說: “今天很難得……這樣的午飯時很少有的……”
很少有的午飯,就是盛餐了。久違了的一頓豐盛的午餐!
我終于直起身,把身體和視線從電視機移動到飯桌上??戳俗郎系娘埐耍械溃骸巴?!好豐盛??!這么豐盛,到底是怎么回事呢?”
“說什么呢,今天不是你的生日嗎?呵呵?!本烷_始這樣的臺詞對話,這是一如既往的模式。
我一邊期待這樣的模式,一邊往桌上瞄。只見桌上只是堆著歪歪斜斜、大大小小的飯團子。
“今天就做久違了的粗食日了!為了身體偶爾吃點粗食也不錯?。 ?BR> 又一次把我的生日忘得一干二凈的妻子,竟然把今天作為粗食日!
不會是故意的吧,我半信半疑地想著,生日這天就結(jié)束了。