●従來の読み方を參照しつつ、できるかぎり平易に訓(xùn)読したものである
●字音は現(xiàn)代仮名遣い、字訓(xùn)?送り仮名は歴史的仮名遣いを用いた。
訓(xùn)読 通釈 注=加藤敏
人之初 人(ひと)の初(はじ)め
性本善 性(せい)本(もと)善(ぜん)
性相近 性(せい)相(あひ)近(ちか)し
習(xí)相遠(yuǎn) 習(xí)(なら)ひ相(あひ)遠(yuǎn)(とほ)し
「通釈」人が生をうけたそのはじめ、人の性はもともと善である。本性は相似かよっているものの、習(xí)慣によって遠(yuǎn)く隔たってしまう。
「注」○性本善=本性はもともと善である。「孟子」告子上に「人性の善なるや、猶ほ水の下きに就くがごときなり。人に善ならざるもの有ること無く、水に下らざるもの有ること無し?!工趣ⅳ??!鹦韵嘟?、習(xí)相遠(yuǎn)=「論語(yǔ)」陽(yáng)貨に「子曰く、性相近きなり、習(xí)ひ相遠(yuǎn)きなり?!工趣ⅳ毪韦嘶扭?。
茍不教 茍(いやし)くも教(をし)へずんば
性乃遷 性(せい)乃(すなは)ち遷(うつ)る
教之道 教(をし)への道(みち)は
貴以専 専(もっぱ)を以(もっ)て貴(たふと)ぶ
「通釈」もし教え導(dǎo)かなければ、善なる性も変わってしまう。教えの道は、専一にすることを貴ぶのである。
昔孟母 昔(むかし)孟母(もうぼ)
択鄰処 鄰(となり)を択(えら)びて処(を)り
子不學(xué) 子(こ)學(xué)(まな)ばざれば
斷機(jī)杼 機(jī)杼(きちょ)を斷(た)つ
「通釈」昔孟子の母は、學(xué)舎の隣りを選んで住み、子供が學(xué)ぶのを怠ると、機(jī)(はた)の杼を壊したという。
「注」○昔孟母、択鄰処=孟子の母親が、孟子のために住居を三度移したという、孟母三遷の教えを言う。はじめ家が墓に近かったので孟子は幼いころ葬式のまねをして遊んでいた
そこで、市場(chǎng)の近くに引っ越すと、今度は商売のまねをするようになってしまった。今度は學(xué)校のそばに引っ越すと、孟子は祭禮や禮儀のまねをしてするようになった。そこで、やっと住居を定めたという?!鹱硬粚W(xué)、斷機(jī)杼=學(xué)問を途中で廃してはならないという斷機(jī)の戒め。孟母斷機(jī).孟子が學(xué)問を怠って家に帰ってくると、機(jī)織りをしていた母親が、織っていた織物を斷ち切って、「學(xué)問を中途でやめるのは、私が織りかけの織物を斷ち切るようなものだ?!工趣膜浃幛郡趣い?。ここでは、「杼(ひ)」を壊したことになっている。
竇燕山 竇燕山(とうえんざん)
有義方 義方(ぎほう)有(あ)り
教五子 五子(ごし)を教(をし)へ
名倶揚(yáng) 名(な)倶(とも)に揚(yáng)(あ)ぐ
「通釈」竇燕山は正道を持し、五人の子を教え、子供らは倶に名を挙げた。
「注」○竇燕山=竇禹鈞.五代末の人?!鹆x方=守るべき正しい規(guī)範(fàn)。子弟教育の正道?!鸾涛遄印⒚麄槗P(yáng)=竇禹鈞には五人の子(儀、儼、侃、稱、僖)があり、父親の厳格な教育によって、のちに相次いで科挙に合格して大いに名をあげ、「竇氏五龍」と稱された。
養(yǎng)不教 養(yǎng)(やしな)ひて教(をし)へざるは
父之過 父(ちち)の過(あやま)ちなり
教不厳 教(をし)へて厳(げん)ならざるは
師之惰 師(し)の惰(おこたり)なり
「通釈」養(yǎng)うのみで厳しく教えないのは、父親の過ちである。教えながら厳格でないのは、教師の怠りである。
子不學(xué) 子(こ)として學(xué)(まな)ばざるは
非所宜 宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず
幼不學(xué) 幼(よう)にして學(xué)(まな)ばざれば
老何為 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん
「通釈」子供であって學(xué)ばないのは、よろしいことではない。幼くして學(xué)ばなければ、老いて何ができようか。
玉不琢 玉(たま)琢(みが)かざれば
不成器 器(き)を成(な)さず
人不學(xué) 人(ひと)學(xué)(まな)ばざれば
不知義 義(ぎ)を知(し)らず
「通釈」天然の美質(zhì)を持つ玉も磨かなければ、器物としての役に立たない。優(yōu)れた素質(zhì)を持つ人も學(xué)ばなければ、道理がわからない。
「注」○玉不琢、不成器。人不學(xué)、不知義=「禮記」學(xué)記に見える言葉.學(xué)問につとめなければ、立派な人物にはなれないことをいう。
●字音は現(xiàn)代仮名遣い、字訓(xùn)?送り仮名は歴史的仮名遣いを用いた。
訓(xùn)読 通釈 注=加藤敏
人之初 人(ひと)の初(はじ)め
性本善 性(せい)本(もと)善(ぜん)
性相近 性(せい)相(あひ)近(ちか)し
習(xí)相遠(yuǎn) 習(xí)(なら)ひ相(あひ)遠(yuǎn)(とほ)し
「通釈」人が生をうけたそのはじめ、人の性はもともと善である。本性は相似かよっているものの、習(xí)慣によって遠(yuǎn)く隔たってしまう。
「注」○性本善=本性はもともと善である。「孟子」告子上に「人性の善なるや、猶ほ水の下きに就くがごときなり。人に善ならざるもの有ること無く、水に下らざるもの有ること無し?!工趣ⅳ??!鹦韵嘟?、習(xí)相遠(yuǎn)=「論語(yǔ)」陽(yáng)貨に「子曰く、性相近きなり、習(xí)ひ相遠(yuǎn)きなり?!工趣ⅳ毪韦嘶扭?。
茍不教 茍(いやし)くも教(をし)へずんば
性乃遷 性(せい)乃(すなは)ち遷(うつ)る
教之道 教(をし)への道(みち)は
貴以専 専(もっぱ)を以(もっ)て貴(たふと)ぶ
「通釈」もし教え導(dǎo)かなければ、善なる性も変わってしまう。教えの道は、専一にすることを貴ぶのである。
昔孟母 昔(むかし)孟母(もうぼ)
択鄰処 鄰(となり)を択(えら)びて処(を)り
子不學(xué) 子(こ)學(xué)(まな)ばざれば
斷機(jī)杼 機(jī)杼(きちょ)を斷(た)つ
「通釈」昔孟子の母は、學(xué)舎の隣りを選んで住み、子供が學(xué)ぶのを怠ると、機(jī)(はた)の杼を壊したという。
「注」○昔孟母、択鄰処=孟子の母親が、孟子のために住居を三度移したという、孟母三遷の教えを言う。はじめ家が墓に近かったので孟子は幼いころ葬式のまねをして遊んでいた
そこで、市場(chǎng)の近くに引っ越すと、今度は商売のまねをするようになってしまった。今度は學(xué)校のそばに引っ越すと、孟子は祭禮や禮儀のまねをしてするようになった。そこで、やっと住居を定めたという?!鹱硬粚W(xué)、斷機(jī)杼=學(xué)問を途中で廃してはならないという斷機(jī)の戒め。孟母斷機(jī).孟子が學(xué)問を怠って家に帰ってくると、機(jī)織りをしていた母親が、織っていた織物を斷ち切って、「學(xué)問を中途でやめるのは、私が織りかけの織物を斷ち切るようなものだ?!工趣膜浃幛郡趣い?。ここでは、「杼(ひ)」を壊したことになっている。
竇燕山 竇燕山(とうえんざん)
有義方 義方(ぎほう)有(あ)り
教五子 五子(ごし)を教(をし)へ
名倶揚(yáng) 名(な)倶(とも)に揚(yáng)(あ)ぐ
「通釈」竇燕山は正道を持し、五人の子を教え、子供らは倶に名を挙げた。
「注」○竇燕山=竇禹鈞.五代末の人?!鹆x方=守るべき正しい規(guī)範(fàn)。子弟教育の正道?!鸾涛遄印⒚麄槗P(yáng)=竇禹鈞には五人の子(儀、儼、侃、稱、僖)があり、父親の厳格な教育によって、のちに相次いで科挙に合格して大いに名をあげ、「竇氏五龍」と稱された。
養(yǎng)不教 養(yǎng)(やしな)ひて教(をし)へざるは
父之過 父(ちち)の過(あやま)ちなり
教不厳 教(をし)へて厳(げん)ならざるは
師之惰 師(し)の惰(おこたり)なり
「通釈」養(yǎng)うのみで厳しく教えないのは、父親の過ちである。教えながら厳格でないのは、教師の怠りである。
子不學(xué) 子(こ)として學(xué)(まな)ばざるは
非所宜 宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず
幼不學(xué) 幼(よう)にして學(xué)(まな)ばざれば
老何為 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん
「通釈」子供であって學(xué)ばないのは、よろしいことではない。幼くして學(xué)ばなければ、老いて何ができようか。
玉不琢 玉(たま)琢(みが)かざれば
不成器 器(き)を成(な)さず
人不學(xué) 人(ひと)學(xué)(まな)ばざれば
不知義 義(ぎ)を知(し)らず
「通釈」天然の美質(zhì)を持つ玉も磨かなければ、器物としての役に立たない。優(yōu)れた素質(zhì)を持つ人も學(xué)ばなければ、道理がわからない。
「注」○玉不琢、不成器。人不學(xué)、不知義=「禮記」學(xué)記に見える言葉.學(xué)問につとめなければ、立派な人物にはなれないことをいう。