語閱讀:渡辺淳一「美しい別れ」2

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僕達(dá)はまた、今までと同じように、小さな座卓に向かい合って坐った。
    八畳とダイニングキッチンの部屋には、ガスストーブがつき、暖かさが部屋に満ちてきた。
    僕は、ガスストーブの火で赤く揺れる彼女の顔を見ながら、「今夜だけ」といった。
    結(jié)局、その夜も、僕は彼女のアパートに泊まり、翌日、あたふたと病院へかけつけた。
    僕たちの別れは、いつもこんなふうに、にえきれなかった。
    今日こそは別れようと、大決心をして會いながら、気がつくとまた互いに體を寄せ合っていた。
    男らしくな、女々しいといわれたら、弁解の余地はない。
    自分で自分にあきれた。
    それは彼女も同じようだった。
    「今日で終わりにしましょう」といいながら、いつか僕を受け入れていた。
    もちろん、最終的には、僕が求めるから、そうなるので、彼女から積極的に求めることはなかった。
    現(xiàn)実に求めていくのは、常に僕のほうである。
    だが、といって彼女のほうに責(zé)任がないとも言い切れない。
    雰囲気に流されるとはいえ、彼女のほうにも、ある程度、僕を受け入れる態(tài)度はあった。
    今日一日ぐらい、今一度だけ、という思いが、二人の気持ちを一層かきたてる。
    これで、この人と二度と會えないかもしれない、そう思うと、さらに燃える。
    それは殘り火が燃え盡きる瞬間、鮮やかな焔の色を見せるのに似ている。
    もう會えない、これで最後、そう思いながら、僕たちは逢瀬を重ねた。
    それはあたかも、より激しい戀をするために、別れを利用しているとも言える。
    だがいつまでも、そんな狀態(tài)が続くわけもない。
    彼女が僕から去っていく日は、刻々と近づいていたし、僕も周囲から注意を受けていた。
    結(jié)ばれる可能性もない女性と、いつまでも會っているのは罪悪だとも言われた。彼女の幸せを思うなら、きっぱりと離してやるべきだとも言われた。
    それもこれも、みんなわかった。
    充分すぎるほどわかりながら、そのようにできない。
    それは、人間の一つの業(yè)のようなものかもしれない。
    やがて十二月になった。彼女の去っていくっ日は目前に迫っていた。
    僕はふと、二人で會うのを、夜にするからだめなのだと思った。夜の、心が萎えるときに會うから別れられないのだ。
    真晝間、明るいガラス張りの喫茶店ででも會えば、きっぱりと別れられるのではないか。
    晝間、なに気ない會話のあと、「じゃあね」といって店を出て行く。それなら、未練なく、ドライに別れることができるのではないか。
    日曜日の午後、僕達(dá)はガラスごしに舗道の見える喫茶店で會った。
    平凡な會話のあと、「じゃあ」と、伝票を持って立ち上がった。
    だが外へ出て、明るい光の中で歩き出すと、二人は自然に同じ方向に歩き出した。
    どこに行くとも、行こうか、とも言わない。
    ただ足が一緒に並んでいく。
    それは、僕の意思というより、體が勝手に動(dòng)いたといったほうが正しい。僕でない、もう一人の自分が歩いていた。
    別れたくないのに、無理に別れるのは、罪悪ではないか、そんな理屈も考えた。
    こんなことをくり返して十二月の半ばになった。
    もう本當(dāng)に日が迫っていた。