滕王閣
唐 王勃
滕王高閣臨江渚,
珮玉鳴鸞罷歌舞。
畫(huà)棟朝飛南浦雲(yún),
珠簾暮捲西山雨。
閒雲(yún)潭影日悠悠,
物換星移幾度秋。
閣中帝子今何在,
檻外長(zhǎng)江空自流。
**********************
滕王閣
滕王(とうわう)の高閣(かうかく) 江渚(かうしょ)に 臨めり,
珮玉(はいぎょく) 鳴鸞(めいらん) 歌舞 罷(や)んぬ。
畫(huà)棟(ぐゎとう) 朝(あした)に飛ぶ 南浦の雲(yún),
珠簾(しゅれん) 暮(くれ)に捲く 西山の雨。
閒雲(yún) 潭(たん)に影(うつ)りて 日に悠悠(いういう),
物 換(かは)り 星 移りて 幾度(いくたび)の秋ぞ。
閣中の帝子 今 何(いづ)くにか在る,
檻外(かんぐゎい)の 長(zhǎng)江 空(むな)しく自(おのづか)ら 流る。
******************
◎ 私感訳註:
※王勃:648年(貞觀二十二年 )~675年(上元二年 )。初唐の詩(shī)人。字は子安。龍門の人、或いは太原の人。
※滕王閣:〔とうわうかく;○●〕唐?太宗の弟で、のち滕王に封ぜられた李元嬰が、洪州、章江門の上に建てた建物。江西省南昌市西端江の畔にある?,F(xiàn)在は、江の東寄りの川の中州にある。この作品は、荒れ果てた滕王閣を、時(shí)の洪州都督閻伯が修復(fù)した際の落成式でのもの。作者は、「滕王閣序」(寫真上:「古文真寶」巻三)の末尾にこの作品を載せている。なお、後世、韓愈も「新修滕王閣記」(寫真下:「唐宋八大家文」巻五)を遺している。「滕王閣」は、権勢(shì)を誇った者の夢(mèng)の跡で、我が國(guó)の例では「祇園精舎の鐘の聲、諸行無(wú)常の響有り。娑羅雙樹(shù)の花の色、盛者必衰の理を表す。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢(mèng)の如し。傲き者も遂には滅びぬ、偏に風(fēng)の前の塵に同じ?!工趣い盲课恢盲扭堡摔胜恧Δa崾?、王昌齡が「萬(wàn)歳樓」「江上巍巍萬(wàn)歳樓,不知經(jīng)歴幾千秋。年年喜見(jiàn)山長(zhǎng)在,日日悲看水獨(dú)流。猿何曾離暮嶺,空自泛寒洲?!?で、似た雰囲気をうたいあげた。
※滕王高閣臨江渚:滕王の御殿は川岸に面している。?。侩酰骸菠趣Δ铯?;○○〕唐?高祖の第二十二子。太宗の弟で、貞観十三年六月に滕王に封ぜられた李元嬰のこと?!概f唐書(shū)?本紀(jì)?太宗下」では「貞觀十三年六月丙申,封皇弟元嬰爲(wèi)滕王。」とある。また、「同?列傳?高祖二十二子?滕王元嬰」では、「滕王元嬰,高祖第二十二子也。」との記述。同項(xiàng)で「元嬰頗驕縱逸遊,動(dòng)作失度,高宗與書(shū)誡之曰:「王地在宗枝,寄深磐石,幼聞詩(shī)、禮,夙承義訓(xùn)。實(shí)冀孜孜無(wú)怠,漸以成德;豈謂不遵軌轍,踰越典章?!埂工?、李元嬰はその驕慢さについて叱責(zé)を受けている。驕傲不羈、軽佻浮薄、放縦遊逸…といった人物の典型としての位置で、後世人は捉えている?!??高閣:立派な建物。御殿?!??臨:面している。???江渚:(南昌市の西の江の)河畔。
※珮玉鳴鸞罷歌舞:著飾った高貴な人物たちの(典雅な)愉しみも、熄(や)んでしまっ(て、多くの歳月が過(guò)ぎ)た?!??珮玉鳴鸞:著飾った君子賢士の交際の意?!腹盼谋w寶」では「珮玉鳴鸞」を「佩玉鳴鑾」ともする。同音同義.?。揩樣瘢骸菠悉い绀?;●●〕おびだま。腰に付ける玉。?。盔Q鸞:(天子の)鈴を鳴らす。高貴な交際をいう?!??鸞:〔らん;○〕(天子の車につける)鈴の名。聲が音階に合うという鳳凰に似た神鳥(niǎo). ?罷:やむ。やめる。「やんぬ」は、「やみ?ぬ」の音便形。「やんぬるかな」(已矣哉、已矣乎)?!腹盼谋w寶」では「罷歌舞」を「歌舞を罷(や)む」と読み下している?!??歌舞:歌と舞い。広く娯楽のための音曲をいう。
※畫(huà)棟朝飛南浦雲(yún):美しい飾った建物の棟からは、朝になれば南浦にかかる雲(yún)が湧き出して。?。慨?huà)棟:美しい飾りのある建物の棟。美しく色を塗った建物の棟?!??朝飛:朝になれば湧き出す?!。磕掀郑旱孛纫?jiàn)た場(chǎng)合は、江西省南昌の西南の所、滕王閣の近くを指す。ただし、詩(shī)詞では屢々普通名詞として使われる別離の河辺.特定の地名ではなく、「送君南浦,傷如之何」等からきている。船での別れを表す常套句で、一種の詞語(yǔ).「別れの港」?!??雲(yún):巫山の雲(yún)雨に基づく表現(xiàn)でもある。
※珠簾暮捲西山雨:珠簾は、夕暮れには西山の雨を巻き上げて(眺める)。後世の白居易「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」「日高睡足猶慵起,小閣重衾不怕寒。遺愛(ài)寺鐘欹枕聽(tīng),香爐峰雪撥簾看??飶]便是逃名地,司馬仍爲(wèi)送老官。心泰身寧是歸處,故鄕何獨(dú)在長(zhǎng)安?!?に同じか?!??珠簾:〔しゅれん;○○〕たますだれ。「古文眞寶」卷三では「朱簾」ともする?!??暮捲:夕暮れには巻き上げる。???西山:西の山?!改掀帧工蚬逃忻~と見(jiàn)た場(chǎng)合は、南昌山。厭原山。
※閒雲(yún)潭影日悠悠:靜かに流れてゆく雲(yún)は、池の水面(みなも)に映って、日々ゆったりと落ち著いたさまである?!??閒雲(yún):靜かに流れてゆく雲(yún)?!腹盼谋w寶」では「閒雲(yún)」を「閑雲(yún)」ともする。同音同義. ?潭影:〔たんえい;○●〕池の水面に映る像。王勃の「亭夜宴」「竹晦南汀色,荷翻北潭影」、盧綸の「陳中丞東齋賦白玉簪」「松陰滿澗閒飛鶴,潭影通雲(yún)暗上龍」と池の影。 ???日:日々。日に?!??悠悠:〔いういう;○○〕遠(yuǎn)くはるかなさま。限りないさま。長(zhǎng)く久しいさま。ゆったりと落ち著いたさま。
※物換星移幾度秋:歳月が移りすぎて、何回秋を迎えたことだろうか?!腹盼谋w寶」では「幾度秋」を「度幾秋」ともする?!??物換星移:歳月が流れたことをいう。???幾度:何回の。何度の。???秋:秋。年の意で使われる。
※閣中帝子今何在:建物の中にいる建物の主である帝王の子?李元嬰は、今どこにいるのだろうか。 ?閣中:建物の中にいる(建物の主である滕王?李元嬰)?!??帝子:帝王の子のことで、唐?太祖の子である李元嬰(滕王)のこと。建物の主である?!??今何在:今、どこにいるのだろうか。
※檻外長(zhǎng)江空自流:てすりの外には、大河が空しく、ただ勝手に流れてゆくだけである?!??檻:〔かん;●〕てすり。おばしま。???長(zhǎng)江:長(zhǎng)い川。大河。江のこと?!??空自流: ?空:むなしく。意味もなく。???自:おのづから。自然と。
◎ 構(gòu)成について
換韻。韻式は「aaaBBB」。韻腳は「渚舞雨 悠秋流」で、平水韻上聲七、下平十一尤。次の平仄はこの作品のもの。
○○○●○○●,(a韻)
●●○○●●●。(a韻)
●●○○○●○,
○○●●○○●。(a韻)
○○●○●○○,(B韻)
●●○○●●○。(B韻)
●○●●○○●,
●●○○○●○。(B韻)
唐 王勃
滕王高閣臨江渚,
珮玉鳴鸞罷歌舞。
畫(huà)棟朝飛南浦雲(yún),
珠簾暮捲西山雨。
閒雲(yún)潭影日悠悠,
物換星移幾度秋。
閣中帝子今何在,
檻外長(zhǎng)江空自流。
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滕王閣
滕王(とうわう)の高閣(かうかく) 江渚(かうしょ)に 臨めり,
珮玉(はいぎょく) 鳴鸞(めいらん) 歌舞 罷(や)んぬ。
畫(huà)棟(ぐゎとう) 朝(あした)に飛ぶ 南浦の雲(yún),
珠簾(しゅれん) 暮(くれ)に捲く 西山の雨。
閒雲(yún) 潭(たん)に影(うつ)りて 日に悠悠(いういう),
物 換(かは)り 星 移りて 幾度(いくたび)の秋ぞ。
閣中の帝子 今 何(いづ)くにか在る,
檻外(かんぐゎい)の 長(zhǎng)江 空(むな)しく自(おのづか)ら 流る。
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◎ 私感訳註:
※王勃:648年(貞觀二十二年 )~675年(上元二年 )。初唐の詩(shī)人。字は子安。龍門の人、或いは太原の人。
※滕王閣:〔とうわうかく;○●〕唐?太宗の弟で、のち滕王に封ぜられた李元嬰が、洪州、章江門の上に建てた建物。江西省南昌市西端江の畔にある?,F(xiàn)在は、江の東寄りの川の中州にある。この作品は、荒れ果てた滕王閣を、時(shí)の洪州都督閻伯が修復(fù)した際の落成式でのもの。作者は、「滕王閣序」(寫真上:「古文真寶」巻三)の末尾にこの作品を載せている。なお、後世、韓愈も「新修滕王閣記」(寫真下:「唐宋八大家文」巻五)を遺している。「滕王閣」は、権勢(shì)を誇った者の夢(mèng)の跡で、我が國(guó)の例では「祇園精舎の鐘の聲、諸行無(wú)常の響有り。娑羅雙樹(shù)の花の色、盛者必衰の理を表す。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢(mèng)の如し。傲き者も遂には滅びぬ、偏に風(fēng)の前の塵に同じ?!工趣い盲课恢盲扭堡摔胜恧Δa崾?、王昌齡が「萬(wàn)歳樓」「江上巍巍萬(wàn)歳樓,不知經(jīng)歴幾千秋。年年喜見(jiàn)山長(zhǎng)在,日日悲看水獨(dú)流。猿何曾離暮嶺,空自泛寒洲?!?で、似た雰囲気をうたいあげた。
※滕王高閣臨江渚:滕王の御殿は川岸に面している。?。侩酰骸菠趣Δ铯?;○○〕唐?高祖の第二十二子。太宗の弟で、貞観十三年六月に滕王に封ぜられた李元嬰のこと?!概f唐書(shū)?本紀(jì)?太宗下」では「貞觀十三年六月丙申,封皇弟元嬰爲(wèi)滕王。」とある。また、「同?列傳?高祖二十二子?滕王元嬰」では、「滕王元嬰,高祖第二十二子也。」との記述。同項(xiàng)で「元嬰頗驕縱逸遊,動(dòng)作失度,高宗與書(shū)誡之曰:「王地在宗枝,寄深磐石,幼聞詩(shī)、禮,夙承義訓(xùn)。實(shí)冀孜孜無(wú)怠,漸以成德;豈謂不遵軌轍,踰越典章?!埂工?、李元嬰はその驕慢さについて叱責(zé)を受けている。驕傲不羈、軽佻浮薄、放縦遊逸…といった人物の典型としての位置で、後世人は捉えている?!??高閣:立派な建物。御殿?!??臨:面している。???江渚:(南昌市の西の江の)河畔。
※珮玉鳴鸞罷歌舞:著飾った高貴な人物たちの(典雅な)愉しみも、熄(や)んでしまっ(て、多くの歳月が過(guò)ぎ)た?!??珮玉鳴鸞:著飾った君子賢士の交際の意?!腹盼谋w寶」では「珮玉鳴鸞」を「佩玉鳴鑾」ともする。同音同義.?。揩樣瘢骸菠悉い绀?;●●〕おびだま。腰に付ける玉。?。盔Q鸞:(天子の)鈴を鳴らす。高貴な交際をいう?!??鸞:〔らん;○〕(天子の車につける)鈴の名。聲が音階に合うという鳳凰に似た神鳥(niǎo). ?罷:やむ。やめる。「やんぬ」は、「やみ?ぬ」の音便形。「やんぬるかな」(已矣哉、已矣乎)?!腹盼谋w寶」では「罷歌舞」を「歌舞を罷(や)む」と読み下している?!??歌舞:歌と舞い。広く娯楽のための音曲をいう。
※畫(huà)棟朝飛南浦雲(yún):美しい飾った建物の棟からは、朝になれば南浦にかかる雲(yún)が湧き出して。?。慨?huà)棟:美しい飾りのある建物の棟。美しく色を塗った建物の棟?!??朝飛:朝になれば湧き出す?!。磕掀郑旱孛纫?jiàn)た場(chǎng)合は、江西省南昌の西南の所、滕王閣の近くを指す。ただし、詩(shī)詞では屢々普通名詞として使われる別離の河辺.特定の地名ではなく、「送君南浦,傷如之何」等からきている。船での別れを表す常套句で、一種の詞語(yǔ).「別れの港」?!??雲(yún):巫山の雲(yún)雨に基づく表現(xiàn)でもある。
※珠簾暮捲西山雨:珠簾は、夕暮れには西山の雨を巻き上げて(眺める)。後世の白居易「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」「日高睡足猶慵起,小閣重衾不怕寒。遺愛(ài)寺鐘欹枕聽(tīng),香爐峰雪撥簾看??飶]便是逃名地,司馬仍爲(wèi)送老官。心泰身寧是歸處,故鄕何獨(dú)在長(zhǎng)安?!?に同じか?!??珠簾:〔しゅれん;○○〕たますだれ。「古文眞寶」卷三では「朱簾」ともする?!??暮捲:夕暮れには巻き上げる。???西山:西の山?!改掀帧工蚬逃忻~と見(jiàn)た場(chǎng)合は、南昌山。厭原山。
※閒雲(yún)潭影日悠悠:靜かに流れてゆく雲(yún)は、池の水面(みなも)に映って、日々ゆったりと落ち著いたさまである?!??閒雲(yún):靜かに流れてゆく雲(yún)?!腹盼谋w寶」では「閒雲(yún)」を「閑雲(yún)」ともする。同音同義. ?潭影:〔たんえい;○●〕池の水面に映る像。王勃の「亭夜宴」「竹晦南汀色,荷翻北潭影」、盧綸の「陳中丞東齋賦白玉簪」「松陰滿澗閒飛鶴,潭影通雲(yún)暗上龍」と池の影。 ???日:日々。日に?!??悠悠:〔いういう;○○〕遠(yuǎn)くはるかなさま。限りないさま。長(zhǎng)く久しいさま。ゆったりと落ち著いたさま。
※物換星移幾度秋:歳月が移りすぎて、何回秋を迎えたことだろうか?!腹盼谋w寶」では「幾度秋」を「度幾秋」ともする?!??物換星移:歳月が流れたことをいう。???幾度:何回の。何度の。???秋:秋。年の意で使われる。
※閣中帝子今何在:建物の中にいる建物の主である帝王の子?李元嬰は、今どこにいるのだろうか。 ?閣中:建物の中にいる(建物の主である滕王?李元嬰)?!??帝子:帝王の子のことで、唐?太祖の子である李元嬰(滕王)のこと。建物の主である?!??今何在:今、どこにいるのだろうか。
※檻外長(zhǎng)江空自流:てすりの外には、大河が空しく、ただ勝手に流れてゆくだけである?!??檻:〔かん;●〕てすり。おばしま。???長(zhǎng)江:長(zhǎng)い川。大河。江のこと?!??空自流: ?空:むなしく。意味もなく。???自:おのづから。自然と。
◎ 構(gòu)成について
換韻。韻式は「aaaBBB」。韻腳は「渚舞雨 悠秋流」で、平水韻上聲七、下平十一尤。次の平仄はこの作品のもの。
○○○●○○●,(a韻)
●●○○●●●。(a韻)
●●○○○●○,
○○●●○○●。(a韻)
○○●○●○○,(B韻)
●●○○●●○。(B韻)
●○●●○○●,
●●○○○●○。(B韻)