一日一記(中日對照)(五)

字號:

幕末の志士、高杉晉作は何かと仲間に血判を求めた?!敢牡遥àい皮─蛴懁摹工冉瓚酩怯鶚J(みたて)組を結(jié)成した時には二十數(shù)人が血盟に応じた。なのに京都で將軍暗殺の同志を募ると1人しか応じない。高杉の呼びかけでも、企てがむちゃならそっぽを向かれたようだ。
    けっぱん[0]「血判」
    ―する 誓書などに そむかないという決意を形の上で示すために、自分の小指などから採っ
    た生(ナマ)血で印を押すこと。また、その印。
    いてき[0][1]「〈夷狄〉」
    〔「夷」は東方の未開人、「狄」は北方の野蠻人の意〕 中國人以外の野蠻な人。
    むちゃ[1]―な/―に 〔もと、擬態(tài)語〕
    (一)言動が常識や論理を逸脫していて△まともとは考えられない(人に迷惑をかける)こと。
    (二)程度がひどくて、異常と感じられる様子。
    そっぽ[1]〔口頭〕〔「外方ソツポウ」の変化〕 よその方。よそ。
    「―を向く〔=△協(xié)調(diào)しない(無視した)態(tài)度をとる〕」
    幕府末年,義士高杉晉作想方設(shè)法尋求愿意按血指印的志同道合的伙伴。雖然在江滬地區(qū)響應(yīng)歃血為盟以征討蠻夷的隊伍達到了二十余人。但是在京都響應(yīng)暗殺將軍的卻只有一人。雖然是高杉發(fā)出的號召,但如果沒有周全的計劃,也是無法達成一致意見的。
    郵政法案をめぐる血判の動きが報じられている。民営化に反対の自民黨議員たちが結(jié)束を固めるため、誓紙に名を連ね、血の判を押したと。本當なら、何とも時代がかった話ではないか。
    時代がかる:古風な感じがする。古めかしく大仰な感じになる。
    圍繞著郵政法案血指印的事件已被公布于世。反對民營化的自民黨議員們?yōu)榱诉M一步鞏固結(jié)果,聯(lián)名上書,并按下了血指印。這難道不是背離時代的做法嗎?
    発案したと伝えられる亀井久興衆(zhòng)院議員に尋ねた。「たしかに私が誓紙を用意した。同じ意見の衆(zhòng)院議員に署名を頼んだが、血判はお願いしてませんよ」。応じたのは約20人で、採決では全員が誓い通り反対票を投じた。牛王(ごおう)寶印と呼ばれる熊野神社発行の誓紙を使ったそうだ。
    就此事詢問了發(fā)起者龜井久興眾議員。他答曰“確實是我準備的盟書用紙。并懇請持相同意見的眾議院成員簽名。但我并不曾提請血指印之事?!表憫?yīng)此事的大約有20人,大家按盟書約定在最后裁決時投了反對票。據(jù)說他們使用的盟書用紙被稱之為“牛王寶印”,是由熊野神社発行的。
    熊野信仰では、牛王寶印の誓いを破ると血を吐いて死ぬと伝えられる?!肝崞掮R」には、義経が頼朝に忠心を訴えた手紙は牛王寶印に書かれたとある。赤穂浪士が復(fù)仇(ふっきゅう)の誓いに使ったのもやはり牛王寶印だった。神罰覚悟の連判狀など講談の世界だけかと思っていたが、政界では今でも立派に通用するらしい。
    浪士:主家を離れ、祿を失った武士。仕える主家をもたない武士。浪人。主家を離れ、祿を失った武士。仕える主家をもたない武士。浪人。
    連判狀:志を同じくする者が名を連ね判を押した書面。連判帳。
    據(jù)說在熊野這個地區(qū)有一種信仰,說是如果違背了牛王寶印的誓約,就會吐血而死。在《吾妻鏡》一書記載著:義經(jīng)給賴朝表達自己忠心的書信就是寫在牛王寶印上。流浪的武士赤穂也是使用牛王寶印來表達自己的復(fù)仇決心。雖然曾以為堅信違背誓言的聯(lián)名書會受天譴的事情只會在故事里出現(xiàn),卻沒有想到政界至今仍可以將此舉運用得如此“出色”。
    誓文に署名する習わしは平安時代にさかのぼる。戦國の世に裏切りが相次ぎ、署名だけでは安心できなくなった。それで血判が重みを増す。徳川幕府も忠誠の血判をしばしば諸大名に出させている(石井良助「はん」學(xué)生社)。
    在誓言中簽名這種習俗可以追溯到平安時期。在戰(zhàn)國時期倒戈的事情時有發(fā)生,如果不在誓言里署名反倒令人不安心了。因此血指印的分量也得到加重。德川幕府也不斷地要求諸大名提交他們表示忠誠的血指印書。(石井良助「はん」學(xué)生社)
    參院自民黨でも、血判や連判の動きがあると聞く。切り崩しや寢返りをにらみつつ、票を読む聲がセミのごとくかまびすしいこの夏である。
    寢返り:味方を裏切って敵方につくこと。
    かまびすしい:うるさい。やかましい。さわがしい。
    聽說參議院的自民黨也有血指印和聯(lián)名上書的舉動。冷眼看著他們不斷地離間與背叛,同時又聽著他們高亢的唱票聲。簡直就象是蟬聲不絕嘈雜不已的今夏。