日語文章閱讀(五)

字號:

通りの敷石の上に茶色いセミの羽が1枚落ちている。その先に、もう1枚。體はどこへ行ったのか。夏の終わりの始まりを感じさせる光景は、幼かった時へ、懐かしい場所へと人を誘う。
    人行道的地磚上落著一枚茶色的蟬的翅膀。不遠的前方,另一枚。身體跑別處去了嗎?這光景讓人感到夏天開始慢慢過去了。它帶人回到兒時,回到懷念的地方。
    「八月の石にすがりて/さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。/わが運命(さだめ)を知りしのち、/たれかよくこの烈しき/夏の陽光のなかに生きむ」。「日本浪曼派」同人だった伊東靜雄の詩集「夏花」の一節(jié)だ。
    曾是“日本浪漫派”同人的伊東靜雄的詩集《夏花》中的一段:八月的大石頭上蝶群幸福地飛舞著。知道命運之后,我活在這夏天的烈日下。
    故郷は長崎県の諫早だった。詩集「わがひとに與ふる哀歌」の「有明海の思ひ出」で、うたう?!笁簸撙膜恼T(いざな)はれつつ/如何(いか)にしばしば少年等は/各自の小さい滑板(すべりいた)にのり/彼(か)の島を目指して滑り行つただらう/あゝ わが祖父の物語!」
    伊東的故鄉(xiāng)在長崎縣的諫早。在詩集《給與我的哀歌》的《有明海的回憶》中他寫道:不停的做夢,不斷的被召喚。少年們踏上各自的小滑板,不斷地滑向那座島。??!我祖父的故事!
    多くの人が故郷へ行き、故郷を思い、あるいは自分にはあるのか、などと思い巡らす時期である。この人の場合はどうなのかと、東京?上野の東京 國立博物館で展示中の石の前で考えた。
    很多人都為歸鄉(xiāng)、思鄉(xiāng)或是自己是否還有故鄉(xiāng)而煩惱過。“換做是這個人的話會怎樣想呢?”我站在位于上野的東京國立博物館正在展出的石碑前思考著。
    「遣唐使と唐の美術(shù)」展(9月11日まで)に出品されている井真成の墓誌で、中國の古都?西安で昨年発見された??k橫約40センチ、厚さ約10センチの黒っぽい石板に伝記が刻まれている。
    “遣唐使與唐代美術(shù)”展(9月11日結(jié)束)中的展出品井真成的墓志,于去年在中國古都西安被發(fā)現(xiàn)。長和寬約為40厘米,厚約10厘米。發(fā)黑的石板上刻有傳記。
    「公は姓は井(せい)、通稱は真成(しんせい)。國は日本といい、才は生まれながらに優(yōu)れていた。それで命を受けて遠國へ派遣され……よく勉學し、まだそれを成し遂げないのに、思いもかけず突然に死ぬとは」(東野治之?奈良大教授訳)。36歳だったという?!干眢wはもう異國に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている」。その魂は千年以上の流離を経て里帰りを果たし、安らいでいるかのようだった。
    “姓井,名真成。日本人。天生才智過人。受命被派遣到國外……好學,但任務(wù)還沒完成,就意外猝死”(奈良大學教授東野治之譯)。據(jù)說死時只有36歲?!笆妆宦裨嵩诋悋?靈魂渴望回到故鄉(xiāng)”。他的靈魂經(jīng)過千年以上的流離終于得以返回故鄉(xiāng)。應該可以安息了。