讀新聞學(xué)日語(中日對照)(十八)

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ワンマン宰相
    ワンマン宰相の異名をとった吉田茂は、人を食ったような逸話をいくつも殘している。若き外交官時代、舊知の寺內(nèi)正毅(まさたけ)首相に「秘書官になれ」と言われ、「総理大臣は務(wù)まると思いますが、総理大臣秘書官は務(wù)まりません」と答えて「出世」を棒に振った。
    棒に振る:それまで積み重ねてきたものを無にしてしまう?!傅匚护颞D?る」
    人を食う:人を人とも思わない、ずうずうしい態(tài)度や言動をする?!负韦趣猕D?った話だ」
    棒に振?る:それまで積み重ねてきたものを無にしてしまう?!傅匚护颞D?る」
    人稱*宰相的吉田茂,至今仍有幾個目中無人的逸聞。據(jù)說他的舊知寺內(nèi)正毅首相曾邀請他出任“秘書長”,但他回應(yīng)說“我希望可以擔(dān)任總理大臣,不希望出任總理大臣的秘書長”,而白白地葬送了自己的前程。
    戦後は、戦犯容疑者に指定されて自殺した近衛(wèi)文麿(ふみまろ)の家を借りて、來客に「ここに寢ていたら、近衛(wèi)が出てくるだろうと思ってね」と平然と語っている。その破天荒さは時に、したたかな実利主義とも結(jié)びついた。
    したたか:
    1.粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま。しぶといさま?!甘坤沃肖颞Dに生きる」「―な相手」
    2.強く、しっかりしているさま?!辅Dな後見役」「―な造りの家」
    3.強く勇猛であるさま。
    戰(zhàn)后,他租借了因被認定為戰(zhàn)犯嫌疑而自殺的近衛(wèi)文麿的房屋。并淡然地對來客說“覺得在這里就寢,或許會遇到近衛(wèi)呢”。這種史無前例的事情,有時讓人覺得他是與強硬的實利主義結(jié)合在一起的。
    再軍備を迫る米國にしぶとく抵抗した吉田の軽武裝経済中心路線が、戦後日本の繁栄の基礎(chǔ)を作ったことは、よく知られている。「そうした商人的政治観は、必ずしも彼の本質(zhì)ではなかった」とみるのは、新しい伝記「吉田茂——尊皇の政治家」(巖波新書)を執(zhí)筆した原彬久(よしひさ)?東京國際大教授だ。
    しぶとい:強情で臆するところがない。また、困難にあってもへこたれずねばり強い。
    眾所周知,為了對抗美國強迫日本進行軍備調(diào)整,而頑強抵抗的吉田所采取的輕武裝經(jīng)濟中心的路線,為戰(zhàn)后日本的繁榮奠定了基礎(chǔ)。但“他這種商人的政治觀,也未必就是他的本質(zhì)?!边@種看法,在東京國際大教授原彬久所執(zhí)筆的新傳記《吉田茂——尊皇の政治家》(巖波新書出版社)中被提及。
    原さんに よれば、吉田を動かした原動力は、皇室への尊敬が社會秩序の基礎(chǔ)だという信念だった。少年時代の國粋主義教育に加えて、夫人を通して明治維新の元勲大久保利通(としみち)に連なる系譜は、彼の尊皇の念を一層強めた。
    原彬久先生談到,給吉田造成的原動力是“他認為對皇室的尊敬是社會次序基礎(chǔ)”這種信念。再加上他少年時代所接受的國粹主義教育,再加上其夫人與明治維新的元勛大久保利通為同一宗族這層關(guān)系,更加加深了他的尊皇的理念。
    「占領(lǐng)軍に協(xié)力したのも、マッカーサー元帥が日本の統(tǒng)治のために皇室存続を決斷したからだ」と原さん。さらに吉田は、戦爭責(zé)任から一時は退位すべきか迷っていた昭和天皇を思いとどまらせた。
    思い止まる:しようと思っていたことをやめる??激à郡工?、やめにする。思いとまる?!该摃颞D?る」
    原彬久先生還談到“他會協(xié)助占領(lǐng)軍,也是因為麥克阿瑟元帥為了統(tǒng)治日本已經(jīng)決定讓皇室得以繼續(xù)存在?!倍壹镞€讓是否該因戰(zhàn)爭責(zé)任暫時退位這個問題猶豫不決的天皇消除了顧慮。
    天皇の権威を守るためだっただろうが、「天皇が自らの戦爭責(zé)任を形にできなかった歴史的含蓄は重い」と原さんは言う。今日まで殘る日本の過去の問題を考えると、吉田が落とした影もまた大きかった。
    雖說是為了維護天皇的權(quán)威,但原彬久先生認為“天皇自身無法在形式上承擔(dān)起戰(zhàn)爭責(zé)任,這在歷的蘊意是沉重的”。只要一考慮道現(xiàn)今日本依然存在的過去的這些問題,就覺得吉田他所造成的影響是如此巨大。