讀新聞學(xué)日語(中日對(duì)照)2

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食糧難から
    今年も食欲の秋が巡って來た。思えば、今から60年前の終戦前後は、多くの人が食糧難に苦しんでいた。本紙?聲欄に寄せられた投書を編んだ新刊「庶民たちの終戦」にも戦後の様々な出來事とともに、ひもじかった日々がつづられている。
    ひもじい:空腹で食べ物が欲しい。ひどく腹がへっている?!附K戦當(dāng)時(shí)―?い思いをした」
    今年食欲旺盛的秋季又來臨了。想一想,距今60年前二戰(zhàn)結(jié)束前后的日子,還有很多人為糧食的匱乏而困苦不堪。本報(bào)將讀者給心聲欄目的投稿編纂成刊――《平民們的戰(zhàn)后》,在這個(gè)欄目中記述戰(zhàn)后各種各樣的事情以及那些倍感饑餓的日子。
    國(guó)民學(xué)校の4年だった渡辺マツ代さんは、群馬?高崎から父の出身地の妙義山のふもとへ、祖父や姉妹と疎開していた。いつも腹が減っていて、沢ガニやカエルが貴重なごちそうだった。
    疎開:空襲?火災(zāi)などによる損害を少なくするため、都市などに集中している住民や建物を地方に分散すること。「工場(chǎng)を―する」「學(xué)童―」「強(qiáng)制―」
    當(dāng)時(shí)還就讀于國(guó)民學(xué)校4年級(jí)的渡邊松代,從群馬的高崎和祖父及姐妹被疏散到父親的出生地、妙義的山腳下。平常總是食不果腹,那些山溝里的螃蟹和青蛙都是難得貴重的食物。
    ある夜、隣に寢ていたはずの祖父の姿が見えなくなった。やがて、戸板に乗せられて帰ってくる。裏山のがけから落ちて死んだらしい。冷たくなった祖父の右手に親指大の小さなサツマイモが握られていた?!笇Oたちに食べさせたいと思ったのでしょうか」
    といた:雨戸の板。特に、人や物をのせて運(yùn)ぶ場(chǎng)合にいう。
    一天夜里,原本應(yīng)該在隔壁房間睡覺的祖父卻不見了蹤影。不久,他被人用擔(dān)架抬著回來。好像是從后山的懸崖墜落死亡的。身體已經(jīng)冰涼的祖父右手還緊握著拇指大小的地瓜?!盎蛟S他是想給孫子們填填肚子吧!”
    占領(lǐng)軍の殘飯捨て場(chǎng)に、鍋を手にした女性たちが群がっていた。當(dāng)時(shí)17歳だった金武聖子さんは、情けなくて歯ぎしりしたという?!缸庸─朔证迸cえていたのだろう。今なら母親の愛と強(qiáng)さなのだと、しみじみ感じることができる」
    歯ぎしり:怒りや悔しさから歯をかみしめて音を立てること。また、非常に殘念がること。歯がみ。切歯.「―して悔しがる」
    在占領(lǐng)軍倒掉殘羹剩飯的地方,總是聚集著一群手持鍋碗的女性。當(dāng)時(shí)17歲的金武圣子說到那真是令人切齒難忘的悲慘呀?!八齻兪窍胍獛Щ厝シ纸o孩子們吃吧!只有到了現(xiàn)在,我才能夠更加深切地體會(huì)到那種母愛和堅(jiān)強(qiáng)。
    水澤間津男さんは、家に貓が迷い込んできた時(shí)のことを書いている。飼う余裕はなかったが、よくネズミを捕るので置くことにした。ある日、貓が牛肉の塊をくわえて來て、どこかに行ってしまう。肉をどうするか。結(jié)局、一宿一飯の恩義を感じた貓が持ってきたのだからと、家族でありがたく頂戴(ちょうだい)する?!肛垽潍@物を「ネコババ」する衣食足らざる時(shí)代の、思い出とも言えぬミミッチイ話である」
    貓糞(ねこばば):[名](スル)《貓が、糞(ふん)をしたあとを、砂をかけて隠すところから》悪いことを隠して素知らぬ顔をすること。また、拾得物などをこっそり自分のものとすること?!甘挨盲课铯颞Dする」(把拾物昧為己有)
    ミミッチイ:細(xì)かくて、けちくさい。しみったれている?!辅D?い料簡(jiǎn)」
    水澤間津男則寫到了一只小貓誤入家中時(shí)候的事情。雖說家中沒有飼養(yǎng)的條件,但由于它經(jīng)常捉老鼠所以就決定把它留下了。一天,這只小貓叼了塊牛肉回來,就不知跑到哪兒去了。牛肉該做何處置呢?最后全家人認(rèn)為這是懂得感激給予食宿的小貓帶來的,所以都心存感激地吃了。“在那衣不蔽體食不果腹的年代里,把貓叼來的食物吃掉,不用說是回憶了,根本就是不值一提的話題了。
    今この國(guó)では、食品のざっと3割弱が、殘飯となって捨てられている。
    在現(xiàn)今的這個(gè)國(guó)家里,食品中卻有將近3成,被作為剩飯倒掉。