每天一篇(中日對(duì)照)(十五)

字號(hào):

「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節(jié)句よりも、桃の節(jié)句の方が好きだった」。母が嫁入りの時(shí)に持ってきた雛(ひな)人形は「長(zhǎng)い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした?!饯稀ⅳ饯欷盲坤盲郡韦猡筏欷胜ぁ?。自著「昭和戀々 パートII」(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彥さんが70歳で亡くなった。
    “孩提時(shí)代,身為男孩,喜歡女孩節(jié)的程度卻超過(guò)了男孩節(jié)?!蹦赣H出嫁時(shí)帶來(lái)的女孩節(jié)偶人“散發(fā)出漫長(zhǎng)歲月的塵土和霉味兒?!?當(dāng)時(shí)或許是喜歡這種味道的?!痹谧灾刚押椭畱?篇章II」(清流出版)中這樣寫到的演藝家兼作家久世光彥先生去世了,享年70.
    テレビドラマ「寺內(nèi)貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側(cè)を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機(jī)微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時(shí)代のひだでもあった。
    在電視劇《寺內(nèi)貫太郎一家》中演出的小林亞星先生,認(rèn)為久世先生并不是容易淡忘舊往而極明事理之人。他確確實(shí)實(shí)確實(shí)用不少好文章來(lái)描繪人生的微妙之處,并把它們制作成卓越的電視劇。作品中所描繪的是人們內(nèi)心的微妙,同時(shí)也是時(shí)代的折射。
    改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの數(shù)々が現(xiàn)れる。三輪車、木造校舎、縁側(cè)、汽車、番傘、割烹著(かっぽうぎ)……。時(shí)とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。
    再次翻開久世先生的著作,眼前出現(xiàn)了那許多回憶中的痕跡。三輪車,木質(zhì)校舍,廊子,火車,油紙雨傘,烹飪罩衣……。作者用其巧妙的筆端再現(xiàn)了這些伴隨著時(shí)光從身邊消失的物品。
    「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。臺(tái)所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。寫真と文を組み合わせた「焚火」の一節(jié)だ。
    “冬天的早晨,在被窩里睜開眼睛,便能夠聞到漾來(lái)的各種各樣的氣味兒。從廚房里漂到走廊的是醬湯的氣味兒,淡淡籬笆的山茶花香味中,還攙雜著柴火的煙味兒”。這是圖文并茂的文章《柴火》中的一節(jié)。
    古物屋の大時(shí)計(jì)の寫真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語(yǔ)の主役は——〈歳月〉である」
    在古董鋪大鐘照片的旁邊這么寫著“大街也好,建筑物也罷,甚至是人的一生也罷,萬(wàn)物皆是故事的主角——是'歲月'”。
    いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を盡くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾燈だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠(yuǎn)ざかってゆく。
    世光彥先生在片刻不停消逝的歲月中,盡量地把記憶中的日子物化存留下來(lái),以傳給后人。久世先生,可謂是“昭和”這輛名列車的車尾燈。他一心一意地描繪著光跡,隨著列車一道遠(yuǎn)去。