日語(yǔ)閱讀:書の至寶

字號(hào):

「良寛はしきり(に)欲いのですとても手には入りませんか」。晩年に良寛への関心を深めた夏目漱石が、1914年、大正3年に知人に送った書簡(jiǎn)の一節(jié)だ。
    “我很想要良寬的作品,但恐怕很難弄到吧”。這是晚年對(duì)良寬興趣濃厚的夏目漱石,于1914年,大正3年寫給熟人書信中的一段文字。
    1年余り後に、念願(yuàn)がかなって手に入った時(shí)の禮狀には、自分の書が所望ならいくらでも書きましょうとしたためている。「良寛を得る喜びに比ぶれば悪筆で恥をさらす位はいくらでも辛防可仕(つかまつるべく)候」(「漱石全集」巖波書店)。
    恥をさらす:たくさんの人の前で恥をかく。自分の不名譽(yù)を大勢(shì)の人に知られる。
    つかまつる「仕る」
    1 「する」「行う」の謙譲語(yǔ).目上の人のためにあることをする。また、自己の「する」動(dòng)作を、話し相手に対しへりくだる気持ちをこめて丁重に言う。いたします?,F(xiàn)在では古風(fēng)で堅(jiān)苦しい言い方?!杆饯嗍证颞D?りましょう」「いえいえ、どう―?りまして」
    2 「仕える」の謙譲語(yǔ).お仕え申し上げる。
    1年多后,夏目漱石心愿得以實(shí)現(xiàn)。他在感謝信中寫到,如果希望得到自己的書作,不論多少也定當(dāng)效勞?!芭c得到良寬作品的喜悅相比,即便是再拙劣的書法,自己也自甘不恥奉上?!?(「漱石全集」巖波書店)。
    良寛の書いた「詩(shī)書屏風(fēng)(びょうぶ)」が、東京?上野で開催中の「書の至寶」展に出品されている(東京國(guó)立博物館 19日まで)。自詠の漢詩(shī)を草書で揮毫(きごう)したもので、筆畫が極度に省略されていることもあって、ひとつひとつの文字は読み取りにくい。しかし、墨で示された筆の通り道と、その周辺の空白との間には、不思議な一體感が生まれている。屏風(fēng)全體として、見る側(cè)を緩やかに包み込むような大きさがある。
    在東京。上野召開中的“書法至寶”展覽中,展出了良寬的作品“詩(shī)書屏風(fēng)”。(東京國(guó)立博物館 展期至19日)。作品中以草書揮灑自己吟詠的漢詩(shī),其中也有部分筆畫被過(guò)度省略,因而難于一個(gè)個(gè)地讀取其中文字。但是,墨汁所揮灑出筆跡的運(yùn)道及字體周邊的空白部分,卻產(chǎn)生了一種奇妙的整體感。作為屏風(fēng)整體而言,其大小卻恰似緩緩地將欣賞者包容于其中。
    良寛は、中國(guó)や日本の書を手本にしながら、獨(dú)自の書風(fēng)を手にした?!钢翆殹拐工稀ⅳ饯问直兢韦窑趣辘趣丹欷搿笗}」王羲之(おうぎし)を含め、古代中國(guó)から日本の江戸期までの數(shù)々の逸品を中心に展示している。
    良寬,以中國(guó)和日本的書法為典范,從而形成了自己獨(dú)特的書法風(fēng)格?!爸翆殹闭?就包含著其中的典范之一——“書圣”王羲之的作品。此次展出是以古代中國(guó)至日本江戶這段時(shí)期的眾多精品為中心的。
    うらないを記録した文を牛骨に刻んだ「甲骨文」は、3千年以上前のものだ。文字の祖先のような素樸な線の連なりの前で、漢字がたどってきた長(zhǎng)い歴史を思う。
    在牛骨上刻有的記載占卦文字的“甲骨文”,至今已有3千年多的歷史。在這些仿似文字祖先的樸素筆畫前,不禁讓人想起了漢字所經(jīng)歷的悠久歷史。
    さまざまな時(shí)代を経て日本へも渡り、ひらがなが生まれ、今に至った。漢字とかなの、ぜいたくな競(jìng)演の場(chǎng)となった會(huì)場(chǎng)を巡り歩く?!笘|洋の記憶」とでも名付けたい音楽が、どこからともなく響いてくるかのようだった。
    漢字經(jīng)歷了各種年代傳到日本,產(chǎn)生了平假名,并一直沿用至今。筆者信步走在這成了漢字和假名爭(zhēng)奇斗艷的會(huì)場(chǎng)之上,仿佛聽見了一曲欲命名為「東洋的記憶」的樂(lè)曲傳來(lái)。