日語閱讀:論語とそろばん

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みずほ証券が株を大量に誤って発注した問題で、與謝野経済財政?金融擔(dān)當相が述べた?!刚`発注と認識しながら、他の証券會社がその間隙(かんげき)をぬって自己売買部門で株を取得するというのは美しい話ではない。行動の美學(xué)を持つべきだ」
    身兼經(jīng)濟財政。金融部長職位的與謝也先生就瑞穗證券錯誤的大量定購股票問題,發(fā)表了自己的意見。“因為認識到這是一次錯誤的認購,其他證券公司就鉆孔子為自己的銷售部門賺取股票,這并不是一件美談。大家應(yīng)該具備有行動上的美學(xué)。
    今回、いわば瞬時に何億、十何億円という利益を得たとされる証券會社が幾つかある。発注後に間もなく間違いと気付いたが、システムの不備で訂正が利かず市場を巡ったジェイコム株をつかまえた會社だ。
    不備:必要なものが完全にはそろっていないこと。また、そのさま。
    這次,有好幾個證券公司可以說是在瞬間就獲得了幾億、十幾億日元的利益。雖說這些公司不久就意識到了錯誤,但仍利用系統(tǒng)問題無法撤銷錯誤這一點吃進了不少市場上J:COM的股票。
    生き馬の目を抜く舞臺で、俊敏に仕事をしたに過ぎないとも言えるだろう。しかし一方では、本當にこれでいいのだろうかという思いもわいてくる。
    生き馬の目を抜?く生き馬の目を抜き取るほど、すばやく物事をする。油斷のならないさま。生き馬の目を抉(くじ)る。「―?くせちがらい世の中」
    しゅん‐びん「俊敏」
    [名?形動]才知がすぐれていて判斷や行動がすばやいこと。また、そのさま。
    或許只能說這些公司不過是在先下手為強的情況下,迅捷地完成了工作而已。但另一方面,又不由得令人想到“他們這樣做真的合適嗎”。
    「右手にそろばん、左手に論語」。利潤の追求と道徳という、一見相いれない二つのものをあえて両の手に掲げたのが、明治期の実業(yè)家の草分け、渋沢栄一だった。著書の「経営論語」には、こんな一節(jié)がある?!腹扭?、「盛(さか)って入るものは盛って出づ」といふ諺がある。一攫千金の相場で儲けた金銭なぞが即ちそれで……」
    草分け:ある物事を初めて行うこと。また、その人。創(chuàng)始者。
    “右手拿算盤,左手持論語”。竟敢將追求利益和道德這看似不相容的兩樣?xùn)|西同時置于雙手的是明治時期實業(yè)家的開拓者,澀澤榮一。在其著作《經(jīng)營論語》中,有這樣一段話“自古以來,就有一句諺語'多投入并不等于多產(chǎn)出'”。在瞬間暴富的股市里賺得大量鈔票的謎團也不過如此而已……
    銀行家でもあった渋沢は、投機には一切手を出さなかったという。「論語とそろばん」が両立しにくい分野だと考えたのだろうか?!干虊婴螐预蠅婴胝撙赓Iふ者も共に利益を得て悅ぶ所にある」とも述べている。
    據(jù)說即使是身為銀行家的澀澤,從不參與投資。或許他也認為“論語和算盤”是一個難以同時并存的領(lǐng)域吧。他同時說到“商業(yè)的道德應(yīng)該是存在于令賣方和買方共同獲取利益而開心這方面吧”。
    兜町の東京証券取引所の前身である東京株式取引所は、渋沢らの提唱によって、明治11年、1878年に開設(shè)された。商売にも道徳的な美を求めた創(chuàng)設(shè)者の目に、今の巨大な市場は、どう映ることだろうか。あえて、辛口の言葉を聞いてみたい気もする。
    兜町東京證券所的前身東京股票交易所,是在澀澤的倡儀下,于明治11年、1878年開設(shè)的。在這位即使是商業(yè)上也追求道德之美的創(chuàng)立者的眼中,現(xiàn)在這巨大的市場,又呈現(xiàn)出怎樣的態(tài)勢呢?突然有了一種感覺,特意想去聽聽一下澀澤這位先人會說出怎樣尖銳的意見。