両者は、どちらも何かが低いところから高いところへ動(dòng)くという意味では共通していますが、いくつかの違いがあります。
兩個(gè)詞語都有著相同的意思,即表示從低處向高處移動(dòng)。但是兩者還是有一些區(qū)別的。
たとえば、「空に太陽がのぼる」とは言えても「空に太陽があがる」とは言えません。また「空に花火があがる」とは言えますが、「空に花火がのぼる」とは言えません。
舉例來說,我們可以說“空に太陽がのぼる(太陽升上天空)”,卻不能說“空に太陽があがる”。還有,可以說“空に花火があがる(煙花升上天空)”,而不能說“空に花火がのぼる”。
ここでの違いは、「花火」は誰かが「あげた」結(jié)果、空に「あがった」のに対し、「太陽がのぼる」のはそうした人為的なものではなく自然現(xiàn)象であるという點(diǎn)にあります。つまりこれらの場(chǎng)合は、「あげる」という作用が働いた結(jié)果として高いところへ動(dòng)くのが「あがる」であるのに対し、おのずから動(dòng)いているのが「のぼる」であるという違いがあります。
上述兩個(gè)例子的差異在于,“煙花”是由某人“あげた(發(fā)射升空)”的結(jié)果,所以用了“あがった(升上)”天空。與此相對(duì)的,“太陽がのぼる”則不是這樣的人為行為,而是對(duì)自然現(xiàn)象的描述。所以就這種情況而言,“あげる”所發(fā)出的作用是經(jīng)過人為的努力向高處移動(dòng),另一方面,“のぼる”則是指自身主動(dòng)移動(dòng)。
ただし、「あがる」が「おのずから動(dòng)く」という解釈になる場(chǎng)合も存在します。たとえば「階段をあがる」は、だれかが「あげた」結(jié)果「あがる」わけではありません。このように他動(dòng)詞的に用いられる場(chǎng)合は「あがる」も自ら動(dòng)作する解釈となります。この場(chǎng)合は「階段をあがる」でも「階段をのぼる」でも意味の差は少なくなります。
但是,“あがる”也有用于說明“自身發(fā)生移動(dòng)”的情況。比如“階段をあがる”,這是指某人“あげた”的結(jié)果,而不是“あがる”。這樣將“あがる”作為他動(dòng)詞來使用,也解釋為自身的動(dòng)作。在此情況下,無論是“階段をあがる”還是“階段をのぼる”在意義上差別都不大。
ただし、「あがる」は位置変化全般を指し示し得るのに対し、「のぼる」は「山を頂上へのぼっていく」とは言えても「海中を淺瀬へのぼっていく」では不自然となるように、使われる場(chǎng)面が限られてきます。
只是,“あがる”能夠指示所有的位置變化,與此相對(duì)的,“のぼる”可以用于“山を頂上へのぼっていく”,如果用在“海中を淺瀬へのぼっていく”中則顯得不自然,所以使用的情況有所限制。
兩個(gè)詞語都有著相同的意思,即表示從低處向高處移動(dòng)。但是兩者還是有一些區(qū)別的。
たとえば、「空に太陽がのぼる」とは言えても「空に太陽があがる」とは言えません。また「空に花火があがる」とは言えますが、「空に花火がのぼる」とは言えません。
舉例來說,我們可以說“空に太陽がのぼる(太陽升上天空)”,卻不能說“空に太陽があがる”。還有,可以說“空に花火があがる(煙花升上天空)”,而不能說“空に花火がのぼる”。
ここでの違いは、「花火」は誰かが「あげた」結(jié)果、空に「あがった」のに対し、「太陽がのぼる」のはそうした人為的なものではなく自然現(xiàn)象であるという點(diǎn)にあります。つまりこれらの場(chǎng)合は、「あげる」という作用が働いた結(jié)果として高いところへ動(dòng)くのが「あがる」であるのに対し、おのずから動(dòng)いているのが「のぼる」であるという違いがあります。
上述兩個(gè)例子的差異在于,“煙花”是由某人“あげた(發(fā)射升空)”的結(jié)果,所以用了“あがった(升上)”天空。與此相對(duì)的,“太陽がのぼる”則不是這樣的人為行為,而是對(duì)自然現(xiàn)象的描述。所以就這種情況而言,“あげる”所發(fā)出的作用是經(jīng)過人為的努力向高處移動(dòng),另一方面,“のぼる”則是指自身主動(dòng)移動(dòng)。
ただし、「あがる」が「おのずから動(dòng)く」という解釈になる場(chǎng)合も存在します。たとえば「階段をあがる」は、だれかが「あげた」結(jié)果「あがる」わけではありません。このように他動(dòng)詞的に用いられる場(chǎng)合は「あがる」も自ら動(dòng)作する解釈となります。この場(chǎng)合は「階段をあがる」でも「階段をのぼる」でも意味の差は少なくなります。
但是,“あがる”也有用于說明“自身發(fā)生移動(dòng)”的情況。比如“階段をあがる”,這是指某人“あげた”的結(jié)果,而不是“あがる”。這樣將“あがる”作為他動(dòng)詞來使用,也解釋為自身的動(dòng)作。在此情況下,無論是“階段をあがる”還是“階段をのぼる”在意義上差別都不大。
ただし、「あがる」は位置変化全般を指し示し得るのに対し、「のぼる」は「山を頂上へのぼっていく」とは言えても「海中を淺瀬へのぼっていく」では不自然となるように、使われる場(chǎng)面が限られてきます。
只是,“あがる”能夠指示所有的位置變化,與此相對(duì)的,“のぼる”可以用于“山を頂上へのぼっていく”,如果用在“海中を淺瀬へのぼっていく”中則顯得不自然,所以使用的情況有所限制。