居間と言う呼び名を文字どおり解釈すれば、"そこに居るための部屋"であり、リビング、ルームは"生活する部屋"である。それじゃ、料理している時は臺所 に"居ない"のか、寢室で寢ている時は"生活していない"のか、と言えばもちろんそんなことはない。しかし逆に、居間とは何のための部屋か、と問い返され ると、一言で答えるのは難しい。居間は"料理する"とか、"寢る"と言う風に分節(jié)化し得る生活行為のための場所ではないからだ。まあごく通俗的に言えば、 "団欒のため"という答え方があるが、この"団欒"という言葉はホームドラマの一場面のような①白々しさが合って、どうもインチキ臭い。近頃ではテレビの 中でさえ、所謂辛口ホームドラマばやりで、絵に描かれたような家族団欒などにはめったに目にかかれなくなった。団欒とは複數の人間が楽しそうにおしゃべり していることを指すのだろうが、居間が②それだけを目的にしているとは思えない。ちょっと考えてみればすぐ解ることだが、居間では一人で新聞を読んでいる ことも、爪を切っていることもあるし、夫婦で酔っ払っていることだってあるのだ。
住宅の歴史を竪穴住居まで溯って考えると、初めにすべての生活 行為が一部屋で行われた住居があって、そこから調理、睡眠などの、③それ自身としての分かれやすい行為のための部屋が次々と分離していき、その後に殘った 行為すべてを引き受けているのが居間なのだと言えよう。後に殘ったのは、分節(jié)化され得ない行為の複合體だから、一言で名づけようがないのが當然だ。そうい う行為を敢えて言い表しているのが"居る"とは"生活する"という言葉なのだろう。
(④)、住居の中で居間が占める位置が、それぞれの目的に沿った室を引き去った余白のようなものであるかと言えば、むしろ反対であろう。住居の設計者はたいて い、発生論的な順序とは逆に、居間を注視にして住宅を考え、その周囲に個々の目的を持った部屋を配置していく。これはあまりにも⑤常識的な手順になってい るので、設計者自身も特に意識はしていないことが多いが、あの手順の中には⑥一つ確実な思想が潛在する。それは複數の人間が家族と言う共同體をなして一つ の住居に暮らしている時、その家族の共同性の絆となっているのは、料理するや寢ることではなく、そんな風に分節(jié)化され得ぬ行為の複合體である、という考え 方だ。
これが単なる常識ではなくて、一つの時代の刻印をもつ思想であることは、別の時代の住宅を思い浮かべてみれば明確になる。(⑦) 日本戦前における中流以上の住宅では、洋風の応接間か、座敷と呼ばれる接客空間が平面設計の中で優(yōu)先的な地位を占めていたが、これは社會的な體面を重視す る思想の現れである。また西部劇の世界では、たいてい食卓が住居の中心を占めていたが、これは激しい労働の後での食事がの喜びでもあり、それを神の恵 みとして神聖視するキリスト教の信仰の具體化であったと考えられる。もちろん今日でも、僕自身を含めた食いしん坊や飲み助にとって、食卓は大変重要な心理 的位置づけを持っているのだが、飢えの記憶から遠ざかった生活の中での食事は、(⑧)神聖な光背を失っている。そして、人工照明の発達によって引き伸ばされた長い夜や、家事労働の軽減によって生まれた時間を過ごすための空間として居間の 重要性が増してきた。その上、現在では戦前の家父長制的な"家"とは異なり、家族と言う共同體を外から限定する枠組みがなくなっていることを考えると、居 間は共同性を支える中心としても重要な役割を擔うようになってきたのである。
問1( ④ )、( ⑦ )、( ⑧ )に入る適當な言葉を下からそれぞれ選びなさい。
④ 1かえって 2 しかし 3 だから 4にもかかわらず
⑦ 1 つまり 2 それゆえ 3ところが 4 たとえば
⑧ 1 もはや 2 やがて 3 やっと 4 いよいよ
問2文中①「白々しさ」とあるが、この場合、「白々しい」の意味として最も
適當なものはどれか。
1明るく暖かい
2 寂しく冷たい
3 自然な
4 本當らしくない
住宅の歴史を竪穴住居まで溯って考えると、初めにすべての生活 行為が一部屋で行われた住居があって、そこから調理、睡眠などの、③それ自身としての分かれやすい行為のための部屋が次々と分離していき、その後に殘った 行為すべてを引き受けているのが居間なのだと言えよう。後に殘ったのは、分節(jié)化され得ない行為の複合體だから、一言で名づけようがないのが當然だ。そうい う行為を敢えて言い表しているのが"居る"とは"生活する"という言葉なのだろう。
(④)、住居の中で居間が占める位置が、それぞれの目的に沿った室を引き去った余白のようなものであるかと言えば、むしろ反対であろう。住居の設計者はたいて い、発生論的な順序とは逆に、居間を注視にして住宅を考え、その周囲に個々の目的を持った部屋を配置していく。これはあまりにも⑤常識的な手順になってい るので、設計者自身も特に意識はしていないことが多いが、あの手順の中には⑥一つ確実な思想が潛在する。それは複數の人間が家族と言う共同體をなして一つ の住居に暮らしている時、その家族の共同性の絆となっているのは、料理するや寢ることではなく、そんな風に分節(jié)化され得ぬ行為の複合體である、という考え 方だ。
これが単なる常識ではなくて、一つの時代の刻印をもつ思想であることは、別の時代の住宅を思い浮かべてみれば明確になる。(⑦) 日本戦前における中流以上の住宅では、洋風の応接間か、座敷と呼ばれる接客空間が平面設計の中で優(yōu)先的な地位を占めていたが、これは社會的な體面を重視す る思想の現れである。また西部劇の世界では、たいてい食卓が住居の中心を占めていたが、これは激しい労働の後での食事がの喜びでもあり、それを神の恵 みとして神聖視するキリスト教の信仰の具體化であったと考えられる。もちろん今日でも、僕自身を含めた食いしん坊や飲み助にとって、食卓は大変重要な心理 的位置づけを持っているのだが、飢えの記憶から遠ざかった生活の中での食事は、(⑧)神聖な光背を失っている。そして、人工照明の発達によって引き伸ばされた長い夜や、家事労働の軽減によって生まれた時間を過ごすための空間として居間の 重要性が増してきた。その上、現在では戦前の家父長制的な"家"とは異なり、家族と言う共同體を外から限定する枠組みがなくなっていることを考えると、居 間は共同性を支える中心としても重要な役割を擔うようになってきたのである。
問1( ④ )、( ⑦ )、( ⑧ )に入る適當な言葉を下からそれぞれ選びなさい。
④ 1かえって 2 しかし 3 だから 4にもかかわらず
⑦ 1 つまり 2 それゆえ 3ところが 4 たとえば
⑧ 1 もはや 2 やがて 3 やっと 4 いよいよ
問2文中①「白々しさ」とあるが、この場合、「白々しい」の意味として最も
適當なものはどれか。
1明るく暖かい
2 寂しく冷たい
3 自然な
4 本當らしくない