大學的大門只對富人敞開?
一流大學は誰のために
大學誰來上?對于那些家庭貧寒的孩子來說,他們是不是首先就不應該有這個夢想?因為上大學需要一筆相對昂貴的學費,數(shù)目也許是他們家庭一年總收入的好幾倍。
一流大學には誰が入るのか。貧しい家庭の子どもたちは、とにかく一流大學に入る夢など持つべきではないのか。一流大學に入るにはかなりの學費がかかり、その額は恐らく彼らの家庭の年収の數(shù)倍にもなるからだ。
隨著上世紀70年代末開始的改革開放,中國已從計劃經(jīng)濟時代步入市場經(jīng)濟時代,教育也在經(jīng)歷一系列變革。高等教育的改革更是受到全社會的關注。因為對絕大多數(shù)特別是出身貧寒的中國人來說,能否跨入大學尤其是大學的門檻,是能否改變?nèi)松\的重要一步。能進大學就讀以至畢業(yè),就意味著擁有了一個光輝的前程:好的工作和好的收入。
1970 年代末に始まった改革開放に伴い、中國は計畫経済時代から市場経済時代に入り、教育も一連の変革を経てきた。なかでも高等教育改革への社會の関心は一段と高い。絶対多數(shù)とくに貧困家庭出身の中國人にとって、大學とりわけ一流大學のハードルを越えられるかどうかが、その人生を変えられるかの重要な一歩になるからだ。大學に入り卒業(yè)できることは、明るい將來、つまり、いい仕事といい収入を意味している。
目前,高等教育中存在著學費貴、亂收費、國家對教育的投入不均衡、擴大招生導致就業(yè)困難等現(xiàn)象,使得人們對教育現(xiàn)狀抱怨頗多。
現(xiàn)在の高等教育は、學費が高い、みだりに費用を徴収する、國の資金投入が不均衡である、募集定員の拡大で就職が難しい、といった問題を抱えていることから、教育の現(xiàn)狀に対する不満は大きい。
據(jù)統(tǒng)計,中國高校的人均學費從改革前的免費教育到20年前的200元,上升到2005年的5000元,在近20年間上漲了25倍,大大高于中國人收入的增長幅度。加上大學期間的住宿費和生活費,平均每個大學生4年花費需4萬多元。2005年中國農(nóng)村人均收入為2936元,一名大學生的花費接近一個農(nóng)民13年的收入?!?005年中國居民生活質(zhì)量指數(shù)研究報告》顯示,教育花費占中國農(nóng)村和城市家庭收入的比重分別達到了32.6%和25.9%。目前,中國高等教育日常運行成本每個學生每年約1.4萬元左右,實際上學生分攤比例達44%,而國外通常在15%左右。
統(tǒng)計によると、大學の學費は、改革開放前は無料だったが、20年前に1人平均200元となり、2005年には5000元まで値上がりし、この間に収入の伸び幅を大幅に上回る25倍に膨らんだ。宿舎費や生活費も含めると、4年間で平均して4萬元以上(1元は約14円)が必要だ。2005年の農(nóng)村部の1人平均収入は2936元。大學生1人にかかる総費用は農(nóng)民1人の13年分の収入に近い?!?005年住民生活の質(zhì)の指標に関する研究報告」によると、教育費が農(nóng)村・都市部の家庭収入に占める比率はそれぞれ32.6%に25.9%。高等教育の年間コストは學生1人あたり約1萬4000元で、學生は実際にその44% 分を負擔しているが、外國では一般に15%前後だ。
最近,針對普遍存在的“上學貴”的問題,教育部新聞發(fā)言人王旭明對媒體發(fā)表了看法,他說:中國人對學費問題應當轉(zhuǎn)變觀念。在計劃經(jīng)濟時代,孩子從小學上到大學花的錢很少,因為國家都給包了,但是在市場經(jīng)濟時代,形勢已經(jīng)發(fā)生變化。非義務教育階段(義務教育階段指小學六年和中學的前三年)的教育已經(jīng)成為家庭的一種消費,既然是消費,就要根據(jù)自己的經(jīng)濟實力、智力實力來選擇。北大、清華(中國兩所最的高等學府)這些優(yōu)質(zhì)教育資源是有限的,自然應該比較貴,不是所有人都消費得起的。就好比逛市場買東西,如果有錢,可以去專賣店買1萬元一套的衣服穿;如果沒錢,就去逛小店,買100元一套的衣服穿?,F(xiàn)在很多人不考慮自己的實力如何,都想讓孩子往好學校里擠,這是非理性的,也是形成“上學貴”觀念的重要來由之一。
「學校は高い」といった問題が全國的に存在しているが、教育部の王旭明報道官は先ごろ記者會見し、この問題に対する見解を示した?!钢袊摔蠈W費に対する考え方を変えるべきである。計畫経済時代、小學校から大學までかかる費用が非常に少なかったのは、國が負擔していたからだ。だが市場経済時代になって、狀況は変わった。非義務教育段階(義務教育は小學校6年間と中學3年間)の教育はすでに家庭の一種の消費となっており、消費であるからには、自分の経済力や知力、実力に応じて選択しなければならない。北京大學や清華大學(最も有名な學府)などの優(yōu)れた教育資源は限られているため、自然、高くなるのは當たり前であり、すべての人が消費できるものではない。マーケットを回って買い物をするようなもので、お金があれば、専門店で1萬元の洋服を買ってもいいだろう。お金がなければ、小さな店に行って、100元の洋服を買う。多くの人が自分の力はどうなのかを考えずに、誰もが子どもをいい學校へと押しやっている。これは非理性的であり、『學校は高い』という考えはここからも來ている」
王旭明先生的這番話立刻引來了人們極大的爭議。大學教育真的應該如他所說只是如買賣衣服般的一種消費,窮人家的孩子就應該對大學敬而遠之,只有富家子弟才能上大學嗎?
王報道官の発言はすぐさま極めて大きな論議を呼んだ。大學教育は本當に彼が言う洋服を買うような一種の消費にすぎないのか、貧しい家庭の子どもは一流大學を敬遠すべきなのか、富裕層の子弟だけが一流大學に入れるのか――。人人都有上好大學的權(quán)利
◆誰にもいい大學に入る権利はある
自由撰稿人周之南:經(jīng)過發(fā)言人這么一“捋”,問題就清楚了,原來“上學貴”的問題是不存在的,主要是太多的人因為缺少理性而自找煩惱。而且,清華、北大原本就不是辦給平民大眾的,這樣優(yōu)質(zhì)的教育資源也只能由富人來享用。但是,我們有幾個問題一時還是無法弄明白,想求教于發(fā)言人。
一流大學は誰のために
大學誰來上?對于那些家庭貧寒的孩子來說,他們是不是首先就不應該有這個夢想?因為上大學需要一筆相對昂貴的學費,數(shù)目也許是他們家庭一年總收入的好幾倍。
一流大學には誰が入るのか。貧しい家庭の子どもたちは、とにかく一流大學に入る夢など持つべきではないのか。一流大學に入るにはかなりの學費がかかり、その額は恐らく彼らの家庭の年収の數(shù)倍にもなるからだ。
隨著上世紀70年代末開始的改革開放,中國已從計劃經(jīng)濟時代步入市場經(jīng)濟時代,教育也在經(jīng)歷一系列變革。高等教育的改革更是受到全社會的關注。因為對絕大多數(shù)特別是出身貧寒的中國人來說,能否跨入大學尤其是大學的門檻,是能否改變?nèi)松\的重要一步。能進大學就讀以至畢業(yè),就意味著擁有了一個光輝的前程:好的工作和好的收入。
1970 年代末に始まった改革開放に伴い、中國は計畫経済時代から市場経済時代に入り、教育も一連の変革を経てきた。なかでも高等教育改革への社會の関心は一段と高い。絶対多數(shù)とくに貧困家庭出身の中國人にとって、大學とりわけ一流大學のハードルを越えられるかどうかが、その人生を変えられるかの重要な一歩になるからだ。大學に入り卒業(yè)できることは、明るい將來、つまり、いい仕事といい収入を意味している。
目前,高等教育中存在著學費貴、亂收費、國家對教育的投入不均衡、擴大招生導致就業(yè)困難等現(xiàn)象,使得人們對教育現(xiàn)狀抱怨頗多。
現(xiàn)在の高等教育は、學費が高い、みだりに費用を徴収する、國の資金投入が不均衡である、募集定員の拡大で就職が難しい、といった問題を抱えていることから、教育の現(xiàn)狀に対する不満は大きい。
據(jù)統(tǒng)計,中國高校的人均學費從改革前的免費教育到20年前的200元,上升到2005年的5000元,在近20年間上漲了25倍,大大高于中國人收入的增長幅度。加上大學期間的住宿費和生活費,平均每個大學生4年花費需4萬多元。2005年中國農(nóng)村人均收入為2936元,一名大學生的花費接近一個農(nóng)民13年的收入?!?005年中國居民生活質(zhì)量指數(shù)研究報告》顯示,教育花費占中國農(nóng)村和城市家庭收入的比重分別達到了32.6%和25.9%。目前,中國高等教育日常運行成本每個學生每年約1.4萬元左右,實際上學生分攤比例達44%,而國外通常在15%左右。
統(tǒng)計によると、大學の學費は、改革開放前は無料だったが、20年前に1人平均200元となり、2005年には5000元まで値上がりし、この間に収入の伸び幅を大幅に上回る25倍に膨らんだ。宿舎費や生活費も含めると、4年間で平均して4萬元以上(1元は約14円)が必要だ。2005年の農(nóng)村部の1人平均収入は2936元。大學生1人にかかる総費用は農(nóng)民1人の13年分の収入に近い?!?005年住民生活の質(zhì)の指標に関する研究報告」によると、教育費が農(nóng)村・都市部の家庭収入に占める比率はそれぞれ32.6%に25.9%。高等教育の年間コストは學生1人あたり約1萬4000元で、學生は実際にその44% 分を負擔しているが、外國では一般に15%前後だ。
最近,針對普遍存在的“上學貴”的問題,教育部新聞發(fā)言人王旭明對媒體發(fā)表了看法,他說:中國人對學費問題應當轉(zhuǎn)變觀念。在計劃經(jīng)濟時代,孩子從小學上到大學花的錢很少,因為國家都給包了,但是在市場經(jīng)濟時代,形勢已經(jīng)發(fā)生變化。非義務教育階段(義務教育階段指小學六年和中學的前三年)的教育已經(jīng)成為家庭的一種消費,既然是消費,就要根據(jù)自己的經(jīng)濟實力、智力實力來選擇。北大、清華(中國兩所最的高等學府)這些優(yōu)質(zhì)教育資源是有限的,自然應該比較貴,不是所有人都消費得起的。就好比逛市場買東西,如果有錢,可以去專賣店買1萬元一套的衣服穿;如果沒錢,就去逛小店,買100元一套的衣服穿?,F(xiàn)在很多人不考慮自己的實力如何,都想讓孩子往好學校里擠,這是非理性的,也是形成“上學貴”觀念的重要來由之一。
「學校は高い」といった問題が全國的に存在しているが、教育部の王旭明報道官は先ごろ記者會見し、この問題に対する見解を示した?!钢袊摔蠈W費に対する考え方を変えるべきである。計畫経済時代、小學校から大學までかかる費用が非常に少なかったのは、國が負擔していたからだ。だが市場経済時代になって、狀況は変わった。非義務教育段階(義務教育は小學校6年間と中學3年間)の教育はすでに家庭の一種の消費となっており、消費であるからには、自分の経済力や知力、実力に応じて選択しなければならない。北京大學や清華大學(最も有名な學府)などの優(yōu)れた教育資源は限られているため、自然、高くなるのは當たり前であり、すべての人が消費できるものではない。マーケットを回って買い物をするようなもので、お金があれば、専門店で1萬元の洋服を買ってもいいだろう。お金がなければ、小さな店に行って、100元の洋服を買う。多くの人が自分の力はどうなのかを考えずに、誰もが子どもをいい學校へと押しやっている。これは非理性的であり、『學校は高い』という考えはここからも來ている」
王旭明先生的這番話立刻引來了人們極大的爭議。大學教育真的應該如他所說只是如買賣衣服般的一種消費,窮人家的孩子就應該對大學敬而遠之,只有富家子弟才能上大學嗎?
王報道官の発言はすぐさま極めて大きな論議を呼んだ。大學教育は本當に彼が言う洋服を買うような一種の消費にすぎないのか、貧しい家庭の子どもは一流大學を敬遠すべきなのか、富裕層の子弟だけが一流大學に入れるのか――。人人都有上好大學的權(quán)利
◆誰にもいい大學に入る権利はある
自由撰稿人周之南:經(jīng)過發(fā)言人這么一“捋”,問題就清楚了,原來“上學貴”的問題是不存在的,主要是太多的人因為缺少理性而自找煩惱。而且,清華、北大原本就不是辦給平民大眾的,這樣優(yōu)質(zhì)的教育資源也只能由富人來享用。但是,我們有幾個問題一時還是無法弄明白,想求教于發(fā)言人。