日語文法:時(shí)制に関する問題

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問:
    高校教科書「日語」の本文に以下の文が出てきます。
    (1) 「その時(shí)、前を歩いていた少年選手が突然倒れました。辺りには、山本さんたち以外はだれもいません?!梗ǖ?冊(cè)第9課)
    (2) 「王様は國中の人に聞きましたが、だれも解けません?!梗ǖ?冊(cè)第16課)
    (3) 「家に帰ってからも何度も電話をかけましたが、だれも出ません。」(第3冊(cè)第8課)
    (1)~(3)の下線部は、どうして「いませんでした」「解けませんでした」「出ませんでした」ではないのですか。
    答:
    質(zhì)問はテンス(時(shí)制)に関係する問題です。質(zhì)問に答える前にテンスについてちょっと考えてみましょう。次の文を見てください。
    (1) a.明日、日本料理を食べる。(未來)
    b.昨日、日本料理を食べる。(×)
    c.昨日、日本料理を食べた。(過去)
    d.明日、日本料理を食べた。(×)
    (2) あそこにスーパーがある。(現(xiàn)在)
    この例文でわかることは、dのように時(shí)を表す「明日」をつけても、動(dòng)詞が基本形「食べる」でないと未來を表すことができないことです。同様にbでは「昨日」があっても過去形?食べた?がないと過去の意味を表すことができません。②の「ある」は現(xiàn)在を表しています?!甘长伽搿工韦瑜Δ蕜?dòng)作動(dòng)詞の基本形は、「未來」を表し、「ある」のような狀態(tài)動(dòng)詞の基本形は「現(xiàn)在」表すと考えられます。つまり、テンスの區(qū)別は、動(dòng)詞の部分によって基本的に表されていると言えます。
    しかし、動(dòng)詞の基本形は、すべて現(xiàn)在や未來を表しているのではありません。例えば、次のような例があります。
    (3) チンさんはいつも日本料理を食べる。 (習(xí)慣)
    (4) 太陽は東から昇る。 (真理)
    (5) 1972年に日中の國交が回復(fù)する。 (歴史的現(xiàn)在)
    (6) 一人暮らしの女性の家に泥棒が入る。 (提示?表題)
    (3)~(6)の例は、時(shí)間の流れにかかわりなく成立するものです。
    また、過去形は必ずしも過去を表しているわけではありません。
    (7) お名前は何とおっしゃいましたか。(想起)
    (8) あ、こんなところにあった。(発見)
    (9) ええい、やめた。(決定)
    (10) そこの角を曲がった所に病院がある。(狀態(tài))
    (11) さあ、買った、買った。(要求)
    (12) ありがとうございました。(確述意識(shí))
    (7)は以前名前を聞いていたのに、忘れてしまい、もう一度尋ねる時(shí)に言います。(8)は何かを探していて、見つかり、それが眼前にある時(shí)の言い方です。(12)は現(xiàn)在の時(shí)點(diǎn)での感謝の気持ちが確かなものであるという話者の意識(shí)を表しています。動(dòng)詞の過去形を使うことによって、話し手の意図や気持ち、意識(shí)を表そうとしているのです。
    では、質(zhì)問にあるように過去のことを表している文なのに、どうして基本形を使っているのでしょうか。もちろん、「いませんでした」「解けませんでした」「出ませんでした」を使っても不自然ではありません。しかし、書き手の立場(chǎng)から言うと、文章の効果をねらっていることが理由として挙げられます。このような手法は、小説や物語などに多く見られます。(1)の場(chǎng)合、過去に行われた登山競(jìng)技をスタートから描き、?少年選手が突然倒れました??「だれもいません」?「お互いの顔を見ました」となっています。これは書き手がその場(chǎng)にいて、見た様子をそのままに描いている臨場(chǎng)感が感じられます。(2)は物語ですが、「だれも解けませんでした」より「解けません」としたほうがよりその場(chǎng)の雰囲気が伝わってきます。(3)も同様です。この文では、だれも電話に出ない狀態(tài)がポイントになって場(chǎng)面が展開されていきますので、過去形にするよりも効果的です。これらはどの位置から事態(tài)を眺めるか、書き手の視點(diǎn)が入っていると言えます。