宮城県の女川町は、津波からの復(fù)興計(jì)畫の中で小さな漁村をまとめて高臺(tái)へ移転する案を掲げています。この案に漁師たちは複雑な思いを抱いています。
「前の風(fēng)景、何にもなくなった。終わりだっちゃ。集落なくなった」
宮城県女川町塚浜の漁師・阿部彰喜さん(61)。津波で家も集落も流されました。ただ、船だけは津波が來(lái)る前に沖へ出し、守ることができました。
「あの船殘ったから、なんぼでも、かんぼでも、船が殘ったから頑張るしかない」(阿部彰喜さん)
「早く生活を立て直し、再び海に出たい」。そう願(yuàn)う阿部さんに今、“ある問(wèn)題”が足かせとなっています。それは、町が計(jì)畫する漁村の集約と高臺(tái)移転。女川町は當(dāng)初、海沿いにある15の集落を6つに集約し、高臺(tái)へ移転させる計(jì)畫を示していました。しかし、漁村集約には反発が大きく、計(jì)畫を一部斷念。一部の漁村の集約を進(jìn)めながらすべての住宅を高臺(tái)移転させる計(jì)畫ですが、反対の聲が少なくありません。
「住み慣れてきて、急にそっちに行けって言われても、そう簡(jiǎn)単にはいかない」(漁師)
阿部さんも「これまで育んできた集落の伝統(tǒng)が失われてしまう」と訴えます。
「我々、苦しくったって、津波で流されたって、ここに居なくちゃならない。責(zé)任と使命があるんだもん」(阿部彰喜さん)
さらに、阿部さんは町が示した移転先にも納得していません。船を係留する海が見(jiàn)えない場(chǎng)所なのです。
「必ずしけになると船の管理や養(yǎng)殖施設(shè)の管理をしなければならない。(海から)離れていたら見(jiàn)えない」(阿部彰喜さん)
一方で、町の説明に心を動(dòng)かされる漁師もいます。小松吉城さん(38)は尾浦地區(qū)でカキやホヤを養(yǎng)殖してきました。
「最初はやっぱり何でって・・・。(近くの)山削って家を建てればいいって。だけど、自分はいいかもしれないけど、自分についてくる嫁さんとか、年取ってくるおふくろとか、子どもとか・・・」(漁師 小松吉城さん)
「たとえ海から離れても家族の安全には代えられない」と小松さん。
「住む所だけは、海が見(jiàn)えなくても、5分10分車で走れば海に來(lái)られるし、そういう生活スタイルも津波が來(lái)た以上、考えなくては」(小松吉城さん)
小松さんのように比較的若い世代の漁師は集落をまとめることに賛成しています。
「(沿岸に)てんでんに家を建てるより、まとめて建てた方が、防災(zāi)や介護(hù)面でも集約した方が良い」
「とにかく早く整地してもらって、一日も早く住みたい」(若手の漁師)
地域の復(fù)興、それは震災(zāi)前の故郷を取り戻すことなのでしょうか、それとも新しい故郷を作っていくことなのでしょうか。漁師たちの心は今、大きく揺れています。(25日18:15)
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以上是日本留學(xué)網(wǎng)https://riben.liuxue86.com/exam/日語(yǔ)組小編整理的2011年08月日語(yǔ)能力測(cè)試的《2011日語(yǔ):社會(huì):漁村集約、揺れる漁師たち》文章,恭祝大家考試順利通過(guò)!